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陰キャのはなし

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コミュニケーションが苦手だからということに甘えていても、周りの親切を蔑ろにしてしまうだけ。接してくれる「親切な人」への恩返しのための自己分析、改善策など。
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#4 セルフ・ネガティブ・スパイラル-陰キャが陥るもうひとつの「SNS」

#4 セルフ・ネガティブ・スパイラル-陰キャが陥るもうひとつの「SNS」

唐突だが、いわゆる「陰キャ」は2つの「SNS」をする、というのが、中高大と「陰キャ」スタンスで過ごしてきた自分の持論である。自分は陰/陽の判断は友人関係の多寡では判断していないので、当てはまらないと思った場合はそれは貴方が自分から見て「陰キャ」でなかっただけのことと思っていただいて構わない。羨ましい限りである。

1つ目は勿論「Social Networking Service」である。陰キャはS

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#5 会話ができない・続かないー「キャッチボール」と「壁当て」

#5 会話ができない・続かないー「キャッチボール」と「壁当て」

自分から話ができない。会話が続かない。一体何を話せばいいのか?話題がないので自分の話をとりあえずする。話が終わる。「あれ、次に何を言えばいいんだ?」気づけば相手はそれまでの自分の話、もとい「いきなりワーっと話が飛んできた」ことに辟易しており、話を続ける姿勢がない。申し訳なくも、もう自分にはどうすることもできない。なぜなら「話題を使ってしまった」からである…

「趣味の話になると急に饒舌になる」とい

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#6 自己嫌悪は自己愛の裏返し?

#6 自己嫌悪は自己愛の裏返し?

必要以上に自分自身に対して辛辣な言葉や否定をぶつけ、必要以上に落ち込む。俯瞰すれば非常に無駄な行為だとわかるが、当人からすれば必然の心理現象、あるいは「当然の報い」でしかない。そもそもの問題は「なぜそのような自己否定を行ってしまうのか」にある。

今回は人間関係ではなく、多方面での悩みからくる自己否定と、その原因のあくまでひとつの「可能性」についてである。

ある日「なぜ自分はこんなこともできない

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#2 陰キャが陰キャを自称するのはなぜか

#2 陰キャが陰キャを自称するのはなぜか

こんなことをよく言われる。

「陰キャか陽キャかなんて、気にするのは陰キャだけ」

「そんなの気にしているから陰キャなんだよ」 

紛れもない事実だ。ただ、そう言われて素直に改善できる人間はそもそも陰キャにならないので、どうしようもないのが現実。「そうだよな、だから自分は…」「どこまで行っても自分は陰キャだな…」などの開き直りが行われる。親切から投げかけられたその言葉は陰キャの「精神プリズム」の中

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#3 「自分以外皆イケメンに見える病」

#3 「自分以外皆イケメンに見える病」

自己肯定感が低い人間は、往々にしてこの病気に悩まされる。字面だけ見るとそれは全然いいことのように思えるかも知れないし、「事実そうなだけだろ自惚れるな」と言われても否定できない。しかしながらこの病気の本質は「客観性のある自己評価が不可能になる」ことにあり、その場合自己肯定感の回復は非常に難しくなる。悲劇的だが、ある種「優しさの裏返し」とも言えるので、どうにも始末が悪い。

自分の顔が嫌いという人間が

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#1 「謙虚さ」のエスカレートが陰キャを自虐に走らせる

#1 「謙虚さ」のエスカレートが陰キャを自虐に走らせる

陰キャにも色々なタイプがいるとは思う。「自分は本当なら周りにチヤホヤされるべき」と信じていつつも、中身を覗くと平々凡々なタイプ。「自分には何もない」と自覚、あるいは思い込んでいるタイプ(思い込みの場合は周りの引き出し方が毒にも薬にもなると思う)。

今回は、自分の思う陰キャの内的「あるある」のようなものである。あくまで自分のようなタイプの「陰キャ」についてのこと、つまりは自分語りに近い。

基本的

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