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#6 自己嫌悪は自己愛の裏返し?

必要以上に自分自身に対して辛辣な言葉や否定をぶつけ、必要以上に落ち込む。俯瞰すれば非常に無駄な行為だとわかるが、当人からすれば必然の心理現象、あるいは「当然の報い」でしかない。そもそもの問題は「なぜそのような自己否定を行ってしまうのか」にある。

今回は人間関係ではなく、多方面での悩みからくる自己否定と、その原因のあくまでひとつの「可能性」についてである。

ある日「なぜ自分はこんなこともできない低脳なのか」という自己否定にいつもの如く悩んでいると、とある閃きがあった。

「そもそも、なぜ自分はできると思っていたのか?」 この疑問から、自分はとある気づきを得ることになる。

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自己否定をするのは、元々の自己肯定感が高いからだ。つまるところ自分は「できる」と思っているから、できない自分に失望する。自分に期待しているから、期待に応えられない自分を責める。要するに自分は過度なナルシシズムを背負っていたのである。

ここで自分に「完全な失望」をしてしまいさえすれば、いくら自分の出した結果が悪くとも「まあ自分はそんなものだったな」ぐらいのダメージしか負わずに済む。しかしそれを捨て切れないのが人間の性というべきもので、むしろ「自分大好き」な自分という存在への「嫌悪を伴った」失望(つまりこれはまた「自分への期待があったということだ)が先に立ち昇って来るわけである。

このような状況でとるべき行動は「現状の客観的な把握」である。自分の無能を嘆くとき、人はそれを客観的ではなく主観的に捉えていることが多い。「ああ、自分はこんなこともできないのか」という嘆きは、実際のところは「こんなこと」とはどのレベルなのかを正確に捉えていないのである。

あえて強めの言葉をかけるとすれば「ピーピー泣いてるなら働けバカ」というべきだろうか。嘆く/自己を責める余力を現状の改善、「できることをする」方に向ける。ポジティブに転換できるわけではないものの、少なくとも現状の心の整理は多少つくはずである。

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