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#5 会話ができない・続かないー「キャッチボール」と「壁当て」

自分から話ができない。会話が続かない。一体何を話せばいいのか?話題がないので自分の話をとりあえずする。話が終わる。「あれ、次に何を言えばいいんだ?」気づけば相手はそれまでの自分の話、もとい「いきなりワーっと話が飛んできた」ことに辟易しており、話を続ける姿勢がない。申し訳なくも、もう自分にはどうすることもできない。なぜなら「話題を使ってしまった」からである…



「趣味の話になると急に饒舌になる」という文言が、至る所で「オタク」層のコミュニケーション力不足の批判に用いられている。自分にもその傾向はあるものの、その際ですら「饒舌に」なっているとは言い難いので、「自分の得意範囲であれば饒舌に喋れる」だけの能力のある人には尊敬の念すら抱いている。無論、普段から饒舌に「トーク」のできる人はもはや神聖視している。

脱線したが、今回は「普段は饒舌でない」が「得意範囲なら話せるし、話したい」という人が陥る「会話のキャッチボール」の失敗についてだ。普段から饒舌でなくとも、話したいことが特にない、あるいは会話に満足している人はこの限りではなく、シンプルに無口な人であり、それはそれで雰囲気として必要十分な魅力となりうる。

「普段の会話」の量が圧倒的に少ない、話す対象が非常に限定的である人間は「会話欲」のようなものが解消されないので、「話したいこと」が消化できずにどんどんと蓄積していく。そして「あの話、まだ相手は知らないな」と思うと、やがては「この話をしなきゃ」という意識に変貌してしまう。こうなるともはや「会話のキャッチボール」などという意識は二の次三の次となって、脳内から滑り落ちる。兎にも角にも何がなんでもその話をしよう、その話に流れを持っていこう、という意識に支配されてしまう。結果として流れをぶった切った「一方的な話」が展開されることとなり、その先は結び方がわからないので不時着する。空気は荒れ放題になり、気まずさが場を包み込む。

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早い話、会話が「キャッチボール」ならば陰キャはそれに憧れて「壁当て」を重ねる。「ボールを投げる」ことが望ましくなるあまり、「相手の取りやすいボールを投げる」「次のボールは投げずに相手の返投を待つ」などができなくなってしまうのである。

これはひとえに「キャッチボール」経験の希薄さが影響している。また「話をする」、「相手にボールを投げる」ことの意味を重く捉えすぎていることにも原因はある。なかなか話せない相手に対し「この話ならきっと印象に残ってくれる」と考え、それ以外の話題を見ようとしなくなる気持ちは理解できるが、たとえその話をしたところで「さほどの影響もない」という事実を認識しなくてはならない。1回の会話で常人の印象は決まると思っているとしたらそれは思い上がりなのである。

人間関係は「積み重ね」なのだから。


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