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#3 「自分以外皆イケメンに見える病」

自己肯定感が低い人間は、往々にしてこの病気に悩まされる。字面だけ見るとそれは全然いいことのように思えるかも知れないし、「事実そうなだけだろ自惚れるな」と言われても否定できない。しかしながらこの病気の本質は「客観性のある自己評価が不可能になる」ことにあり、その場合自己肯定感の回復は非常に難しくなる。悲劇的だが、ある種「優しさの裏返し」とも言えるので、どうにも始末が悪い。

自分の顔が嫌いという人間がどれほどいるかは分からないが、「100%好き!」という人よりも「好きではない」と答える人の方が多い、ということぐらいの予想はつく。「どちらかと言えば好き」という答えは逆に「好きでない部分」の存在を示している。殆どの人間が自分の顔を「100%好き」ではない。ここで注意すべきは、その中にはさらに複数のパターンが存在するということである。自分の顔を好きになる可能性があるか否か。今回は主に後者について述べていく。

「自分の顔の改善すべきところを挙げてください」と言われてどうするか。ここで危ないのは①やたらと箇所を挙げる②「全体的に」とか「纏ったオーラが」などと言う といった場合だ。彼らはおそらく、自分の顔がどうであろうと好きになることはないだろう。「自分の顔である」ことが既にマイナスポイントとなり、無条件に嫌うように脳が覚えてしまっている可能性が高い。

このような「自分の顔が無条件で嫌い」な者たちは、非常に「隣の芝が青く」見えるようになる。その判断は客観性から著しく離れたものとなり、もはや3Dメガネをかけているかのようにとにかく他人を「青く」見る。判断基準は基本的に「自分か否か」に沿ったものとなり、自分でなければ基本的に嫌悪感を抱かなくなる。自分と比べて誰でも「上」に感じるようになるのだ(正しくは自分がより「下」に感じる、と言うべきかもしれない)。今回はこのような状態を「自分以外皆イケメンに見える病」とネーミングし、その「患者」として話していく。

患者はとにかく他人を褒める。そして大体いつも自分を卑下する。やがては自分を卑下しないで人を褒める術がわからなくなっていくのだ。

これは仮に人の特徴を挙げて褒めたとして、その特徴が自分に多少でも合致した場合に、自己に矛盾が生じてしまうためである。自分を褒めるということを徹底的に避けるには、自分を徹底的に「下である」と示さなくてはならない、といった思考回路が展開される。

この病気は言ってしまうと治療が難しい。また、そこまで治療は必要ではないと考えてしまう自分もいる。自分の顔が嫌いならばその改善に向かうエネルギーも多少は存在する(完全に諦めてしまっている場合は別だが)ので、外から見ればそれは「努力している人」として映りうる。これに関してはさして周りへの害はない。「相手を褒めること」を避けるようになってしまっては、それこそ本末転倒であろう。強いて言うならば「褒めの語彙を増やす」ことによる「自分を下げずに人を褒められるようになる」ことだろうか。「誰かが何かに優れている」ことが「自分はそれに対し劣っている」ことに直結した思考を断つための訓練である。陰キャの性格改善は結局のところ「自虐、自傷を減らす」ことが特効薬なのだ。周りから受けるダメージは正直のところ微々たるもので、自分で与えているダメージを取り去ることで一気に解決する可能性を持っている。


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