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ウィキペディアにおける地域づくりの可能性

北海道栗山町で文化観光プランナーという、怪しい肩書で活動している望月です。前回の投稿から少し時間が空いてしまいましたが、今回はこれから業務として行うウィキペディアウィキペディアタウンについてお話しします。

※本記事は、自身ウィキペディアの活動履歴として随時、更新予定です。


みんなでつくる地域の百科事典との出会い

栗山町の総合計画である「栗山町第7次総合計画」おいて「地域経営」の項目の中で「情報収集・発信体制をつくり、町民との情報共有や町外への情報発信を充実を図る」[1]と明記されており、前任の地域おこし協力隊(情報発信プランナー)の活動の中でも、くりやまのおと広報くりやまとの連携など、少なからず一定の構築を図ってきましたが、町民との情報共有のなかでも、関心のある栗山町内の方とともに栗山の情報を発信するという課題も一つ残っていました。

特に地域の歴史や文化は地域情報の礎たるものであるので、重要な情報になるのですが、専門性が高くかつ興味・関心がはっきりと分かれる分野ではあるので、どうしたものかと考えていたところです。

後述するウィキペディアで地域の百科事典をつくる、という出会いは、2024年5月下旬に、文化観光や関係する業務に関する先進地の視察として、京都府京丹後に向かう準備をしているときが、きっかけとなります。

市役所へのヒアリング以外で主体的な活動(できれば歴史文化に関する団体)はないか探していたところ、ウィキペディアを通じて町の観光施設や文化財等を発信する団体edit Tango(エディット丹後)」の情報を発見。折よく5月25日に同主催の「ウィキペディアタウンin久美浜」の情報も発見し、早速、応募することにしました。

さらに主催するedit Tangoの伊達深雪さんが、2023年12月に「ウィキペディアとまちおこしーみんなでつくろう地域の百科事典」を上梓されたばかりであり「これはグッドタイミングだ~」と思いつつ、一読後、来訪することに。

ウィキペディアタウンin久美浜

当日は、edit Tangoの皆様に温かく出迎えていただきました。午前中はまちあるきがメインで、福知山公立大学地域経営学部教授の小山元孝さんの案内のもと、久美浜内に所在する熊野酒造、金毘羅宮、本願寺、久美浜小学校等を見学し、鎌倉時代(本願寺)から現在まで続く息づかいを、江戸時代から続くの街並みとともに案内をしてもらいました。

画像提供:edit Tango

午後は、豪商稲葉本家内で編集作業に入り、私は熊野酒造を担当しました。全国でウィキペディアタウンで講師や執筆者として参加されているかんたさんとも出会い、ご指導のもと、事前に用意された酒造関係の書籍や旅行雑誌、酒造組合の会報誌から熊野酒造の情報整理し入力しました。

画像提供:edit Tango

アカウントの取得は開催の一週間前と、慣れない作業(投稿日現在も慣れていない)のため、メンバーの皆様にご協力いただきながらとなりましたが、記事作成を通じて、熊野酒造に対する愛着と、見学&文献を通じて共同で作業した集合知として探求学習の側面も、ウィキペディアの編集作業から知りうることができました。

当時の様子はウィキメディア財団内でのレポートとして整理されています

ウィキペディアで地域情報を編集する

ウィキペディアの信憑性について

近年のインターネット利用者の中で、インターネット百科事典「ウィキペディア」を触れたことない人はほとんどいないと思います。

ウィキペディアにアクセスする端末の数は1ヵ月当たり15億にも上り[2]、月間200億PVを超えるウィキペディア[3]は、世界で7番目に利用されているウェブサイト[4]でもあります。

出典:VISUAL CAPITALIS

The Most Visited Websites in 2024
1位 Google 82 billion
2位 YouTube 31 billion
3位 Facebook 15 billion
4位 instagram 7 billion
5位 X 6 billion
6位 baidu 4 billion
7位 Wikipedia 4 billion

VISUAL CAPITALISTより引用

私も「見る専」というか、調べものする際の最初のステップとして、ウィキペディアを利用することが多いのですが、そもそも編集をしようという考えが全くありませんでした。

ウィキペディアが謳う「誰でも編集可能なフリー百科事典」を通じて「みんなで地域の情報を編集する」という行為は、栗山の人や興味をもっている町外の人が参加できる仕組みがないか、模索していた私にとって、ウィキペディアタウンの存在は完全に盲点でありました。

しかし「デマや嘘ばっかり」「信用には値しない」といったネガティブな情報も多く聞こえるウィキペディア。誰もが編集できる反面、情報の信憑性がなかなか担保できないという、負の側面も抱える媒体です。

実際、論文(レポート)や仕事の資料作成の中でも、ウィキペディアから引用する行為は、あまり望ましいものではありませんし、私自身も内容の真偽はさて置いて、一定の距離を持ちつつ閲覧を心掛けています。

ただ、これはウィキペディアというプラットフォームそのものが信用できない訳ではなく、内容の信憑性を保つ目安である、ウィキペディアの三大方針Wikipedia:検証可能性」・「Wikipedia:中立的な観点」・「Wikipedia:独自研究は載せないの基準に満たない記載が、散見されていることが問題であり、信頼できる情報媒体としての難しさについては、管理団体であるウィキメディア財団やedit Tangoの方々ともヒアリングの中から共有させていただいています。

逆に言えば、上記の三大方針(検証可能性、中立的な視点、独自研究は載せない)を基準を満たすことができれば、私が活動しているような地方都市の情報も、特筆性がある記事として全世界に発信できる可能性があります。

ウィキペディアとウィキペディアタウンを行う利点

全国各地で行われているウィキペディアタウンは、ウィキペディアのアウトリーチ活動[5]の一つで、日本では2013年2月に横浜で開催された編集イベントが最初のウィキペディアタウンとされています[6]。

地域情報を編集・発信するウィキペディアタウンの取り組みは、地域情報の収集と利活用を模索する図書館関係者を中心に広がり、2017年にはLibrary of the Year優秀賞(主催:IRI知的資源イニシアティブ)が関係者に送られています[6]。

上記の経緯や文献、交流等を通じて次のとおり、地域でウィキペディア編集及びウィキペディアタウンを行うことによるメリットを整理してみました。

・ウィキペディアは「三次情報媒体」として、二次情報である、新聞、郷土史、広報誌などの郷土に関係する資料の集積として機能
・世界中に公開されることにより、共通・集合知としての地域情報の整理、検証可能な基づく原出典(郷土史)の価値が向上する
・ウィキペディアの編集活動により、アナログの郷土資料からデジタルアーカイブ化、個々の郷土史間との紐帯(ネットワーク)の形成や発掘が可能となる
・Googleなどの検索エンジンにおける(一応の)信頼性の担保が可能(検索のトップになりやすい)となり、該当項目の観光・教育利用や文化発信媒体として寄与
・ウィキペディアタウンは、図書館資料に基づいたアウトリーチ活動(地域づくり)の手法としての実績が多数ある
・アウトリーチ活動の延長として、文化財(候補)の基礎研究・発信や、町外の関心のある層(テーマそのものやウィキペディア編集等)の参加により関係人口の構築も可能となる

他方、デメリットとしては、前述の三大方針の基準を満たさないものや、百科事典の項目として網羅性の無いものである場合は、信頼に足る情報でないと認識されます。そのため立項(新しい記事をつくる行為)の際は、きちんとした所作が肝要になります。

業務としてのウィキペディア編集

ウィキペディアタウン in 栗山(2024年8月13日公開)の募集開始より、公式に、栗山町文化観光プランナーの業務としてウィキペディアの編集をすることとしました。

ただ、いくら私が栗山に関する記事を充実させようとしても、他の業務が少なくなるわけでもないので、以下の編集方針のもと、基本は業務の隙間時間の中で行いつつ、無理のない編集活動を行うこととします。

業務として行うウィキペディア活動(栗山町の公益に資する項目に限る)
(1) 栗山町に関係するウィキペディアの執筆
(2) ウィキペディアタウン等、栗山町に関係するアウトリーチ活動
(3) その他、栗山町に関係するウィキペディア活動と認められるもの

これ以外の内容に関してはプライベート(趣味)で行うことに整理しています。(こちらは、必要に迫られるときや、やる気があるときなどで増減します)

ですので、「栗山町と直接・間接問わず関係が無いもの」や「特定の個人・団体・営利目的のイベント等の宣伝するもの」を立項した場合は、望月のライフワークの一環として作業したもの判断となります。


(適宜加筆)栗山でのウィキペディア編集

▼新しい記事

プライベートで執筆したもの(2024年5月~)

炭鉄港カード(たんてつこうかーど)
日本遺産「本邦国策を北海道に観よ!~北の産業革命「炭鉄港」~」の構成資産等を紹介する記念カード(非売品)。明治期~昭和後期までの石炭の採掘、運搬、積み出しに関係した資産が対象。栗山町は小林酒造建造物群が構成資産として該当している。ホームページをはじめ、新聞記事、券面の情報を中心に立項した

王子製紙森林博物館(おうじせいししんりんはくぶつかん)
1956年、王子製紙(株)が日本最初の育林研究所として栗山に設置した施設。2000年に現在の名称で一般開放し「王子の森」親しまれたが、2010年に閉鎖。栗山町史(平成史)や平成初期の町発行物、新聞記事、論文、農林水産省のデータベースを中心に立項した

栗山町サッカー誘致活動(くりやまちょうサッカーゆうちかつどう)
栗山で1994年から2002年までの間に起った、まちぐるみのサッカーのまちおこし活動。地元経済団体が主として官民一体となってプロサッカークラブや海外ナショナルチームに対して誘致を行った。栗山町史(平成史)では3ページに渡り紹介されており、全国紙含めた新聞、関係団体の会報誌など情報が多数あり立項を試みた

栗山町の業務として執筆したもの(2024年8月~)

レンガ通り(栗山町)(れんがどおり(くりやまちょう))
栗山町に所在する歩道で、1990年の栗山町歩道改修工事に伴い、町民有志が中心となり、言葉や図案を彫り込んだ手作りレンガ6,000枚をちりばめて敷設。1992年に「手づくり郷土賞」を受賞した。国土交通省の資料、栗山町史(平成史)、書籍、新聞記事から立項した

▼加筆した記事

プライベートで執筆したもの(2024年7月~)

中川晃(なかがわあきら)
東京出身、栗山町在住のガラス作家。地域おこし協力隊時代に取材させてもらった縁で、交流を続けさせていただいている。2024年に小樽市での展示「日本のガラスアート」を機に、過去の図録を入手したので加筆した

(適宜加筆)栗山でのアウトリーチ活動

▼ウィキペディアタウン in 栗山

2024年10月6日開催

出典:栗山町

日時:2024年10月6日(日) 10:00-17:00 計7時間
主催:栗山町ブランド推進課 協力:小林酒造、小林家、栗山町図書館
講師:伊達深雪さん(edit Tango)、かんたさん(東京ウィキメディアン会)
料金:2,000円 ※小林家見学料(文化財保護費)及び小林酒造見学料
定員:10名(先着順 ※定数に達した場合はキャンセル待ち有)
応募方法:電話受付・Googleフォーム
開催場所:午前の部:小林酒造、小林家 ※集合:北の錦記念館前駐車場
     午後の部:栗山町図書館 ※集合:同左


脚注
[1] 栗山町(2023) p.22
[2] ニュースウィークより引用
[3] クーリエジャポンより引用
[4] VISUAL CAPITALISTより引用
[5] 「手を伸ばすこと」を意味する英語から派生した言葉で、公的な機関や文化施設などによる地域への出張サービスのこと
[6]ウィキペディアタウンより引用
[7]伊達深雪(2023) pp.8-9

参考文献
・栗山町(2023)「栗山町第7次総合計画(概要版)
・伊達深雪(2023)『ウィキペディアでまちおこし みんなでつくろう地域の百科事典』紀伊國屋書店
・ニュースウィーク「20周年ウィキペディアは高評価、でも編集ボランティアは人手不足」(2021年3月8日付け記事)
・クーリエジャポン「ウェブ百科事典『ウィキペディア』はなぜこれほど世界で評価されているのか」(2021年5月18日付け記事)
・VISUAL CAPITALIST「Ranked: The Most Visited Websites in 2024」(2024年7月31日付け記事)

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