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癒しの触媒として|ガウディとサグラダ・ファミリア展

先週はガウディ・ウィークとして特集が組まれたこともあってか、東京近代美術館で開かれている「ガウディとサグラダ・ファミリア展」が人気です。世紀の大聖堂が当初、完成までに300年も掛かると言われた理由はなぜなのか、最近になってこれが半分にまで縮められた理由はなぜなのか。人とテクノロジーとの関係性に着目してみれば、必ずしも竣工を急ぐことが正しいとは言い切れないと思うのです。

 昭和の子供たちにとって、スペインのサグラダ・ファミリアは、ネス湖のネッシーやノストラダムスの大予言と同じように好奇心を掻き立てられるおとぎ話だった。着工から100年が経ってもまだ建設中であり、完成まではさらに100年以上を要するとも言われる建造物がまさかこの世の中に存在するだなんて、誰も信じられなかったのだ。当時、すでにアントニ・ガウディ(Antoni Gaudí)が死去していることも知らず、きっと一人でこつこつと石を削っているに違いないと笑い飛ばしたものだった。あれから歳を重ねて、その存在を現実に認めてみれば、サグラダ・ファミリアはなぜ作られたのか、なぜ未だに完成しないのか、疑問は募るばかりだろう。

 東京近代美術館で開かれている「ガウディとサグラダ・ファミリア展」を覗いてみれば、膨大な数の図面や試作模型に圧倒される。ガウディは考えながら創っていたのだ。それは建築というよりもアートに近いアプローチで、資本主義的な工業生産から距離をとるものだろう。作れよ作れのバブル景気に湧く80年代の日本において、子どもたちに理解されなかったのもやむを得ない。「クライアントである神は急がれていない」というガウディの名言は、合わせて、その資金が信者らの寄付によって賄われてきたことを表している。企画展の会場には、分かっている限りの投資金額の推移が示されている。一貫して右肩上がりで増え続けてきたものの、直近は新型コロナウイルスの影響を大きく受けたようだ。これによって、一度は発表された2026年の完成予定もまた延期されるという。まるで神がまだ完成させずに作り続けるのだと言っているかのように。

 当初、300年とも見られていた建築期間が半分に縮められた要因のひとつに、1990年代のコンピューターの導入がある。ガウディ建築の特徴である「自然」と「幾何学」を体現するための道具として、テクノロジーが使われた。風や水による侵食によって生み出された洞窟のようなデザインは、ただ感覚的に削り出されたわけではなく数字の裏付けを持って描かれていた。それを試作して、物理的な実現性を測っていたとすると、これは正にコンピューターが得意とするシミュレーションなのだ。例えば、12個の双曲放物線面で構成された聖器室の最終案模型は1929年に完成していたものの、その後の内戦で失われ、2016年にコンピューター解析による復元設計がなされるまで着工できなかったという。どこまでも神のためにテクノロジーを磨く私たちがいる。

 テクノロジーが利便性、効率性の向上に向かう未来に疑問を呈するのが、GROOVE Xの創業者である林要氏である。「風の谷のナウシカ」に登場するメーヴェに憧れるも、その世界の「成れの果て」が望むべき未来ではないと知った氏が家族型ロボット・LOVOTを創り出す経緯は著書『温かいテクノロジー』(ライツ社、2023)に詳しい。言語によるコミュニケーションもままならないソフトバンク社のペッパーにハグする人々を見て、ペットのような愛されるテクノロジーに向かわれたという。それは決して2本の脚で走り回るロボットよりも技術的に劣るわけではなくて、主人の表情を見分けて、甘えたり、距離を取ったりとまた別の複雑さを伴うものだ。人は何に幸せを感じるのか。可愛いものを放っておけないという心理は、他人を助けることに幸福感を覚えるという、人類が生存するために組み込まれたアルゴリズムに起因するものなのだろう。

 歴史を振り返れば、貨幣も、宗教も、テクノロジーに分類されるケースがあった。実際、林氏も大佛師・松本明慶氏に出会い、目指す世界観が一緒であったことに驚かれている。すなわち「癒しの触媒」としての仏具やロボットの存在が、レジリエンスを中心としたウェルビーイングの実現に欠かせないと言われている。だとしたら、必ずしも早く作ればよいというものではない。愛着や信仰を通じて自らの心を癒そうとすれば、それは気付いたタイミングから生まれる力であって、多くの人々が参拝を通じて共に作り上げる気持ちを共有するものなのだから、いつまでも作り続けるのも一つのあり方だと気付かされるだろう。サグラダ・ファミリアはこれまでのテクノロジーを活用して竣工を急ぐべきなのか、これからのテクノロジーとしてさらなる作り込みを続けるべきなのか。「クライアントである神は急がれていない」という言葉の本質に照らし合わせれば、後者なのかもしれないと思うのだ。

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