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フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊【映画感想文】〜好きを体現するウェス・アンダーソンの世界へ〜

ポップコーンは買わない。vol.117


はじめに

ウェスアンダーソンの10作目ということらしいのだが、私は今回がはじめまして。

後々追って配信で数作品見させてもらったのだが、とても愛おしい作品たちだった。人柄が表れているようだった。

いろんな媒体で、本作についての評論やら意見を目にしたり耳にしたりした。

「フランスに行きたくなった!」
「雑誌の映像化をするなんて斬新!」
「とにかくおしゃれ!」

このような意見を多く見聞きした。
これは見事にウェス・アンダーソンの作品にかけたものが存分に伝わったのではないかと思った。⇦誰が何言ってんだ。

自分が好きなもの、作りたいものに、観客、キャスト、スタッフ全て巻き込んだ、傑作だったのではないかと思う。


好きなものを伝えるときに重要なのは第三者的媒体に載ること

あなたが好きなものを語るとき、その語る相手に対して、良さを伝えたい、知ってもらいたい、一緒に好きになってもらいたいという気持ちがあるかもしれない。

言葉として伝えるのはなかなか難しいと思うし、むしろ野暮に感じてしまうことも多いにあり得る。

例えば、自分の好きな音楽の良さを語るときの言語化ほど野暮ったいことはない。

この曲のこの部分が最高なんだよ!と言ったとて、知らない人からすれば乗り切れない熱量なのである。

私は自分の好きを効果的に伝えるには第三者的媒体が重要なのではないかと思っている。

それは雑誌やテレビ、映画、ラジオなどのメディア媒体がそれに当たる。

ウェス・アンダーソンという監督はフランスや雑誌(ニューヨーカー)への「好き」を映画を使って大胆に表現した。そして私たちはその作品に対して、ウェスが語らなくとも熱量を持ってフランスや雑誌への憧れを持つことができたのではないだろうか。


シンメトリーが助長するフィクション性と西洋の美学、そしてそれをぶち壊す雑誌というものの混沌

作品の中で、左右対称(シンメトリー)の構図が至る所で見られる。

ウェス・アンダーソンの作品ではよく見られる構図で、スタンリーキューブリックもその構図は、シャイニング等で垣間見ることができる。

それは彼の完璧主義的な思想によるものであるという指摘もあるが、ひとえに、これはあくまでフィクションであるということを強調したいがために用いているものなのではないかと思うのだ。

シンメトリーで想像するもので一番身近なものといえば、鏡だろう。鏡の向こうはまさにフィクション。似て非なるもの、だからこそそこへの憧憬は強くなる。

映画というもののフィクション性もそれに似ている。現実をうつす鏡でもあり、理想を映し出すものである。逆に絶望や悲観ももちろんである。

そういう後ろ盾があるからこそ表現できるところもあるし、伝わることもあると思う。

あとは西洋の美学ともいうべきか、西洋の格式がきちっと決まった思想も反映されているに違いないのではないか。

ある意味「分け隔て」を表現しているともいえるかもしれない。

そこに雑誌というカルチャーをごちゃ混ぜにした媒体があることで、バランスを保っているともいえるのではないだろうか。

あえての分け隔てをなくす雑誌という媒体を映像化することで、混沌を作り出していく。でもそれが本作では全く気持ち悪くない。むしろ高揚感に満ち溢れるものだった。

正直一回では理解できないという指摘もあったようだが、それはそれで良いのではないだろうか。むしろ中身を理解することはそこまで重要ではなく、なんだかよくわからないけど、「おしゃれ」とか、「美しい」ということを観客から抽象的に浮かび上がらせたいという気持ちの方が強かったのではないかと今になって思う。

例えであげた音楽の話に戻るが、具体的に言語化することのバカバカしさ、恥じらいみたいなものが表れているのではないだろうか。


最後に

私が今このように文章に書き表すのはnoteという媒体に載せていることになるのだが、直で消費者に届く産物であるから初めて見かける人からすれば、得体のしれないちょっとグロテスクなものではある。

この記事をnote公式さんが何かのマガジンに入れてくだされば、それはやっとクリーンな流通に乗ったということになる。

生産者と消費者の関係が出来上がれば、その距離は縮められていくべきだとは思うが、それまでは第三者的な媒体から流通してもらった方が生産と消費はつながりやすくなるのではないだろうか。

生産者との距離が縮まるということは、映画でいえば、過去作を観ること、インタビューを読むこと、制作のスタッフを知ることなどである。それを経て再び映画をみると、印象が変わるということは大いにあり得る話。

上記にあるように、「おしゃれ」「美しい」といった抽象的な印象でいいというのはあくまで、ウェスアンダーソン初めましての人に向けた印象論で、それが変化していくことに映画のおもしろさがある。

だからある意味ウェス・アンダーソン入門としても一役買っている作品だと思うし、私たち自身の感受性や表現性についても考えさせられる一本だった。

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