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イチョウの木|掌編小説(#シロクマ文芸部)

 12月の頭に帰省しようと思ったのは、年末年始の民族大移動に巻き込まれるのが嫌だったから。
 100%渋滞すると分かっている高速道路、大混雑すると分かっている電車や飛行機、これらに飛び込むのは、私から言わせれば愚かなことだ。いつもの200倍疲れて、500倍イライラするに決まっている。

 平日のガラガラの飛行機を降り、羽田からやっぱりガラガラの高速バスに乗り、駅でレンタカーを借りて実家に向かう。実家が辺鄙へんぴなところにあると、帰る時に苦労する。

 実家が近くなり、何となくカーナビを見ると「イチョウ屋」という文字が見えた。小学生の時、通学路の途中にあった小さな商店だ。店の前には大きなイチョウの木があり、子供ながらに「この木は空まで伸びるんじゃないだろうか」と思っていた。

 ――まだあるのかな。

 私は吸い寄せられるように、イチョウ屋に向かって車を走らせた。小学校卒業以来、もうイチョウ屋の前を通ることはなくなったので、多分行くのは25年ぶりだ。

 イチョウ屋はなくなっていた。
 イチョウの木もなくなっていた。

 ――ここまで徹底的にやるかね。

 記憶違いなのか、カーナビが間違っているのかと思うほど、そこは何もない。いや、別にあったとしても、何がどうってわけじゃない。きっと「ふーん」くらいで終わっていただろう。これが田舎の運命なのだ。四半世紀という時間の流れは、容赦なくいろいろなものを飲み込んでしまう。

 風が吹いてきた。どこからともなく、ザワザワと葉が揺れる音が聞こえる。

 ――ん?

 一体どこから聞こえてくるんだろう。木なんてどこにもないのに……。私はキョロキョロと辺りを見回した。

 ――うわ!?

 地面を見て、思わず後ずさりした。葉を茂らせた大きな木の影が揺れている。あの時に見た、力強くて生命力に満ち溢れたイチョウの木だ。

 ――そうか。空まで届いたのか。

 懐かしい思いで影を見つめていると、やがてゆっくりと影は消え、風もんだ。

 あのイチョウの木は、私みたいにふと立ち寄る人を、密かに待っているのかもしれない。

(了)


小牧幸助さんの「シロクマ文芸部」に参加しています。


実家の近くの小さな個人商店をモデルにしました。
イチョウの木はなくなっていましたが、お店はちゃんとありました。


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