高速バスに乗って|短編小説
運良く一番後ろの席に座れた。これでシートを倒して眠れる。あとは高速バスが勝手に僕を目的地まで運んでくれる。そう思うだけで、ずいぶんと気が楽だ。
混雑を避けるため、年が明けてから帰ろうとしたが、どうやら同じ考えの人がたくさんいるようで、前の便はあっという間に満席になり、高速バスは臨時便を出した。臨時便は座席が半分くらい埋まっている。
発車時刻まで、あと6分。気の早い人は、もう隣の座席に荷物を置いていた。僕は「隣に誰も座りませんように」と、祈りながら待つ。
車内のデジタル時計は23時44分を表示していた。元旦が終わろうとしているのに、まだ年末気分が抜けない。コタツに入って年越しそばを食べ、うとうとしていたら、いつの間にか年が明けていた。こんなつまらない新年を迎えるくらいなら、年末に帰るべきだったと、今さらながら後悔する。
専門学校のクラスメイト達は、少し前に帰省した。長野、愛知、京都、大阪、岡山……みんな遠いところばかりで、親友の小倉君が広島へ帰る時には、山陽新幹線のプラットホームまで見送りに行った。でも、今の僕に、見送ってくれる人は誰もいない。もっとも、高速バスで1時間ちょっとのところに実家がある僕に、見送りなんて必要ないのだが。
発車を待つバスの車内は妙に静かで落ち着かない。気を紛らわそうと窓の外を見ると、深夜にもかかわらず、東京駅八重洲南口のバスターミナルは大勢の人が行き交っている。人が多ければ多いほど、余計に自分が独りだと感じて憂鬱になる。東京には、こんなにも大勢の人がいるのに、なんで僕は寂しいんだろう。今、目の前を通り過ぎる人達の中に、僕みたいに独りでいることに耐えられなくなって、高速バスに飛び乗った人はいるんだろうか。
そんな、考えてもどうにもならないことをぐるぐると頭の中で巡らせていると、急に眠気が襲ってきた。
――寝よう。
寝てしまえば、きっと今考えていることのほとんどは、どうでもよくなる。
そう思った瞬間、こちらに向かって手を振る女性が目に入った。白いコートにフードをかぶり、白い手袋をしている。きっとこのバスに恋人が乗っているんだろう。僕は前の席を見た。でも、バスの中から女性に手を振っている人はいない。
――気付けよ、薄情な奴だな。
そう思って女性を見ると、目が合った。僕に向かって右手を振っている。
――え? 誰?
もしかしたら専門学校の知り合いかもしれない。そう思って目を凝らして女性を見ても、フードを目深にかぶっていて、顔がよく見えない。ただ、僕と同じくらいの、二十歳そこそこのような気がする。
僕は戸惑いながら小さく手を振ると、女性はぴょんぴょんと飛び跳ねて、大きく両手を振った。もう一度車内を確認したが、やはり女性に向かって手を振っている人はいない。さすがにちょっと混乱する。
「お待たせしました。23時50分発、つくばセンター行き、ミッドナイトつくば号、発車します」
車内アナウンスが流れた。
女性は相変わらず飛び跳ねながら手を振っている。飛び跳ねるたびに、フードがずれて顔の表情が見えた。
満面の笑みだった。
僕は、さっきよりも大きく手を振り返した。
――人違いでも、勘違いでもいい。自分に手を振ってくれる人がいる。それでいい。
僕はこの状況を受け入れた。
バスがゆっくりと動き出す。
僕は窓に張り付く。
バスターミナルと、手を振る女性が遠ざかる……。
僕は女性の姿が視界から消えるまで、手を振り続けた。やがて窓の外には、煌びやかな都会の光が流れて行く。
しばらく窓の外の景色を眺め、シートに深く身を沈めた。
――結局、誰だったんだろう。
そんな疑問も、バスが首都高速道路に入った途端、眠気にかき消された。
目が覚めると、バスの中はすっかり明るくなっていた。なんか、ずいぶん眠った気がする。今、どの辺を走っているんだろう。三郷ジャンクションを過ぎたくらいだろうか。
――いや、待て。
東京駅からつくばセンターまでは、せいぜい1時間ちょっとだ。朝になるはずがない。
――ここは……一体どこだ?
慌ててシートから上半身を起こすと、隣に人が座っているのに気付いた。
――誰だ!?
東京駅を出発した時、隣には誰も座っていなかった。直通バスなので、途中で人が乗ってくることはあり得ない。まさか……車内で移動して、わざわざ僕の隣に来たのだろうか。
――なんて迷惑な奴だ。
そう思ってチラッと隣を見ると、その人が着ているコートに見覚えがあった。白いコートにフードをかぶっている。そして……手には、白い手袋。
――あ!
思わず叫ぶと、その人は僕を見て、ニッコリと微笑んだ。固まる僕を見ながら、女性はゆっくりとフードを取る。
その頭には、白く、大きな耳が付いていた。
僕は全てを理解した。
――そういうことか!
きっと、まだ2022年から抜け出せない僕に、わざわざ知らせに来てくれたんだ。そうに違いない。
「2023年、卯年だよ」って。
神様も、ずいぶんと回りくどいことをする。神様なんて、いるかどうか分からないけど。
――寒そうだね。
思い切って話しかけると、女性は手袋をしたままの両手に「ふぅー」っと息を吹きかけ、その両手を僕の頬っぺたに当てた。
――うん、あったかい……。
女性は笑顔で頷いた。
「ご乗車ありがとうございました。終点、つくばセンターです」
車内アナウンスが現実のものだと気付くのに、少し時間がかかった。弾かれるように起きると、降車口に向かう乗客の後ろ姿が見えた。
窓の外は暗い。真夜中だ。煌々と光を発する街路灯のLEDが眩しい。今後こそ、帰って来たみたいだ。
――変な初夢だったなぁ。
大きく伸びをして、網棚の荷物を取る。
隣の席には、白い手袋が片方だけ、ポツンと置かれていた。
(了)
朗読用に書きました。
胸キュン要素とか萌え要素は一切意識していません。
23時50分発、つくばセンター行きのミッドナイトつくば号は実在する路線で、私がつくば市に住んでいた頃、たまに使っていました。
(終点はつくばセンターではなく筑波大学)
秋葉原からつくばエクスプレスに乗るより、高速バスに乗って眠る方が楽なんですよね。
テーマ「創作」で「CONGRATULATIONS」を頂きました!
こちらもどうぞ。
ありがとうございます!(・∀・) 大切に使わせて頂きます!