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迷い猫|短編小説

 帰宅すると、妻が「ねぇねぇ!」と手招きした。

「ガレージに迷い込んでたの」

 妻の膝の上には、白いモフモフの小さな生き物がコロンと横になっている。

 ――仔猫か。

 青い首輪が付いている。きっとどこかの飼い猫だろう。私が猫に顔を近付けると、猫はちょっとダルそうに私の方へ頭を向けた。首輪に付いている小さな鈴が「チリン」と鳴る。少し目ヤニが付いているが、真っ白な毛には汚れひとつない。

「良い毛並みしてるでしょ? きっと大切に飼われてたんだわ」

 妻が愛おしそうに猫の体を撫でると、猫は気持ちよさそうに目を閉じた。かなり人に慣れているようだ。

「動物病院に連れて行ったら、生後3か月くらいだって。怪我や病気はないみたい。ご飯もたくさん食べて元気よ。警察に遺失物の届出も出して、動物保護センターにも連絡したわ」

 さすがに実家で猫を飼っていただけあって、恐るべき手際の良さだ。猫を動物病院に連れて行き、遺失物届を出し、動物保護センターに連絡する……これらを一度に実行できる人は、きっとそう多くない。

 翌日、帰宅すると妻は猫とじゃれ合っていた。パッと見た感じ、昨日初めて出会ったとは思えないくらいだ。

「キャットフード、買って来たよ」
「サンキュー!」

 いつの間に買ったのか、キャットフード用のお皿があった。相変わらず行動が早い。猫がキャットフードをがつがつと食べる姿を、妻と見守る。

「迷子猫の情報、アップしないと」

 キャットフードを食べ終わった猫に、妻はスマートフォンを向けた。しかし、猫がじゃれついて上手く撮れないようだ。

「俺が撮るよ」
「可愛く撮ってね」
「どっちを?」

 妻は真顔で、「猫に決まってるでしょ?」と言った。

 その翌日、帰宅してキャットフードを渡すと、「ねぇ見て見て!」とパソコンのモニターを指さした。そこには、昨日私が撮った猫の写真と共に、「迷子猫を保護しています」というウェブサイトが出来上がっていた。

「相変わらず凝るねぇ」

 私が感心半分、呆れ半分で言うと、妻は「とーぜんでしょ?」と胸を張る。
 迷子猫の情報なんて、何枚か写真を撮って、発見した日時と大まかな場所を載せれば良いものだと思うが、妻が作成したページは、もはや飼い猫を紹介するウェブサイトのレベルだった。
 さすがグラフィックデザイナー。無意識でも高クオリティのものを作るあたり、もはや私みたいな凡人とは「普通」の概念が違う。

「情が移る前に、飼い主が見つかるといいね」

 独り言のように呟く妻に、「そうだね」と返す。

 ――情が移る前に。

 猫用おもちゃで猫と遊ぶ妻を見る限り、もう手遅れのような気がした。
 それから4日が経ったが、何の連絡もない。迷子猫情報の「探しています」のコーナーにも、それらしい書き込みは見当たらなかった。

 私は内心、飼い主は見つからないだろうと思っていた。こちらは警察に届出をして、動物保護センターにも連絡している。つまり、本気で飼い主が探していれば、割と早い段階で何かしら連絡が来るはずだ。それがないということは、飼い主はもう探すつもりがない……いや、元々飼い主なんていなかった可能性もある。

「このまま飼い主が現れなかったら、ウチの子にする?」

 すっかり猫グッズが増えた家の中を見渡しながら言った。

「それはダメよ」

 てっきり「そうしましょう」という返事が来るものだと思っていた私は驚いた。

「ちゃんと元の場所に帰らないと」
「でも、ガレージに迷い込んだのは、飼い主から逃げて来たからかもしれないよ?」
「うーん、そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。とにかく、私達が勝手に決めることじゃないのよ」

 私は「そうか」と返すのが精一杯だった。

 前々から「ペットは飼わない」と決めていた。独身時代、お互いにペットロスを経験したから。
 突如として我が家にやって来た招かれざる客は、そんな夫婦の「決まりごと」を揺るがしてしまったのかもしれない。とは言え、ガレージに迷い込んだ猫をそのまま放っておくことなんて、妻も、そして私も出来なかったに違いない。

 私は部屋に戻ってパソコンに向かうと、妻とじゃれ合うのに飽きたのか、猫は私のパソコンのキーボードの上に「でん」と横たわった。

「君は一体どこから来たんだ?」

 そう問いかけると、猫は大あくびで答える。

「ちゃんと元の場所に帰るんだぞ? あんまりここに長くいると、妻が悲しむからな」

 聞いているのかいないのか、猫がゴロンと寝返りを打つと、ワープロソフトの画面には意味不明な文字が並んだ。

 ――1週間後。

 帰宅すると、妻はソファに座っていた。その膝の上には、すっかり定位置と言わんばかりに猫がいる。

「明日、引き取りに来るって」

 思わず「返すの?」と聞き返すと、妻は眉間にしわを寄せ、「もちろんよ」と答えた。

 なぜか怒りに近い感情が沸き上がる。

 一時的に預かっていただけなので、飼い主が現れたら返すのは当然だ。分かっている、分かるっているのだが……。猫はもうすっかり我が家の一員になっている。それを突然奪われる気がするのは、例え自分勝手と分かっていながらも、心が拒否反応を示す。

 私はいつものように帰宅途中に買って来たキャットフードを見ながら、あることを決意した。

 猫を引き取りに来たのは、年配のご夫婦だった。息子夫婦と同居するために引っ越し作業をしていたら、いつの間にか猫がいなくなってしまったと言う。自分達で探していたところ、息子がネットで迷子猫情報を見て、妻のウェブサイトに辿り着いたらしい。

 私は大きく息を吸い、心の中でリハーサルした。

 ――あの……。

 私がそう言うのと同時に、夫婦は「実は、お願いがあるんですが……」と切り出した。

「すず! ご飯よ!」

 名前は「すず」に決まった。名付け親は私だ。首輪に付いていた「鈴」から取った。

 弾んだ声で警察と動物保護センターに連絡した妻は、「すずのウェブサイト、作らないと」と言って笑った。

 私は妻にカメラを向け、「可愛く撮るから。両方ね」と、シャッターを切った。

(了)


以前、実家の車庫に白猫が迷い込んでいて、「野良犬に襲われたら大変」と、ウチの中に「避難」させていたら、そのまま家族になりました。

片手に乗るくらいの小さな小さな仔猫でしたが、よく食ってよく遊んで、あっという間にデカモフにゃんこに成長しました。

名前は「ちゃちゃ」です。(私が名付け親)
※トップのバナー写真はフリー素材。

実家のにゃんこ「ちゃちゃ」

テーマ「猫のいる幸せ」で「CONGRATULATIONS」を頂きました!


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