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「○○力」とかって生まれ持ってるもの?それとも後で身に付けるもの?

(写真は栃木県那須高原の崖にできあがった氷柱:2016年1月撮影)

タイトルを見てあなたは「○○力」とは、何の「力」と想像したでしょうか?

想像力
予知力
発言力
交渉力
吸収力
分析力
変革力
応用力
企画力
人間力
などなど。三文字熟語だけでも色んな種類の「力」があります。

あなたは今どんな「力」を必要としていますか?

どんな「力」を持っていれば良かったと思っているでしょうか?

これら人間の様々な「能力」これはどこから来ているのでしょう。

リーダーシップ論研究史の例から

組織やチームなどの集団を共通の目標に向かわせ、達成するようにすることを一般的に「リーダーシップ」といいます。

「リーダーシップ」も、その意味から「統率力」「影響力」などと理解されて「能力」の一つとして考えることができます。

この「リーダーシップ」についての研究の歴史的変遷を見ると、「リーダーシップ」という「能力」に対する理解の変遷が分かりますので見てみましょう。括弧内の年代は、それぞれのリーダーシップ論が主流であった時代です。

  1. 特性論:リーダーの生来の素質に起因した能力(〜第二次世界大戦)

  2. 行動論:リーダーのとる行動を生み出す能力(戦後〜60年代)

  3. 状況適合論:リーダーの行動と置かれた状況の関係性に起因する能力(60年代〜80年代)

  4. プロセス論:ビジョンや変革などの目標達成のプロセスに見られる動力や仕組みに関連する能力(80年代〜90年代)

  5. 関係論:リーターとフォロワーとの関係、複数のリーダーの関係や組織全体に作用する動力に関連する能力(2000年代〜)

「リーダーシップ」についての研究が盛んになったのは戦後のことですから、それまでの長い間「リーダーシップ」という「能力」は、リーダーシップ特性論にまとめられるように、リーダーの素質に起因する「能力」であると理解されていました。

「リーダーシップ」という人々を目標達成に向かわせる能力を発揮しているリーダーの生まれ持っている素質に注目したわけです。

リーダーの容姿や身体や声の大きさなど、生来の資質に注目したわけです。

リーダーシップ「能力」は生まれ持っているものなので、リーダーになるのも運命みたいな理解でしょうか。

私の知人でこう言っていた人がいます。

「リーダーが誰かって?そりゃ、声が一番大きい人だよ。」

この場合の「声」とは、単にデシベルの大きいという意味よりかは、その人の「声」すなわち「発言」が最も影響力がある人という意味だったと思いますので、「特性論」にも聞こえますが、影響力のある「発言」をするという意味において「行動論」のように聞こえますね。

「特性論」から「行動論」への変遷は、非常に大きなものです。

「特性論」に基づけば、リーダーシップの研修などしても意味はないのです。誰もが身に付けられる「能力」ではなく、先天的な要因によって決まってしまうわけです。

「行動論」以降の理論はすべて、後天的要素を「能力」は習得できる後天的なものであるとの前提に立つわけです。

リーダーシップという「能力」を使って先天的か、後天的かについて見てきました。

冒頭に上げた10の「能力」についてはどうでしょう? 

それぞれの「能力」についての定義にもよると思いますが、あなたは、先天的な要素と後天的要素がどの程度あると考えますか?

例:リーダーシップ(先天:10%後天:90%)
想像力(先天:  % 後天:  %)
予知力(先天:  % 後天:  %)
発言力(先天:  % 後天:  %)
交渉力(先天:  % 後天:  %)
吸収力(先天:  % 後天:  %)
分析力(先天:  % 後天:  %)
変革力(先天:  % 後天:  %)
応用力(先天:  % 後天:  %)
企画力(先天:  % 後天:  %)
人間力(先天:  % 後天:  %)

「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」

発明王と言われるトーマス・エジソンの言葉です。この意味については二つの理解があるようです。

  1. ひらめきがあっても、努力がなければ意味がないとの理解。

  2. ひらめきがなければ、努力は99%無意味であるとの理解。

どちらの意味でエジソンが発言したかは分かりませんが、努力というものが必要不可欠であるとエジソンは考えていたわけです。

「私は失敗したことがない。ただ、1万通り(2万5千通りとの記述もあり)のうまくいかない方法を発見しただけだ」とも発言していることから、大変な努力家であったことからも、努力が必要であると考えていたと思われます。

ひらめきが先天的かどうかは意見の分かれるところでしょうし、天才を「能力」として考えることにも異論があろうでしょう。

しかし、私たちの「能力」というものが、先天的か後天的かについても、同じようなことが言える様に思います。

100%先天的、100%後天的である「能力」はわずかか、存在しないと言って良いと思われます。

たとえ100%先天的であったとしても、磨きをかけて100%生まれ持った「能力」を更に伸ばすことが可能であると思われます。

ですから、その「能力」がどこから来たのかは別として、私たちは現在備え持っている「能力」を伸ばすことができるのだと思います。

「能力」を伸ばす

「能力」を伸ばすために最適なことは、「能力」を用いることです。

自分の「能力」を発揮することが磨きをかけることになるのです。

それと同じくらい大切なのは、「能力」を発揮することを阻害している要素を取り除くことです。

日本の労働生産性が低いのはよく知られていることですね。

公益財団法人日本生産性本部の調査によれば、日本の一人当たり労働生産性は、OECD加盟38カ国中28位となっています。

国内総生産(GDP)は、米国、中国に続いて日本は3位を位置をキープしています。

生産性が低いからこれを高めて企業にもっと貢献する必要があると言いたいのではありません。

生産性が先進国で最低なのに、国内総生産が3位と高いのは、就労者の労働時間が長いことがその理由の一つです。

この「長時間労働」は日本人就労者の「能力」を発揮する阻害要因の一つと思われます。

長く働くより、賢く働くことによって「能力」を発揮することができます。そして、「能力」が発揮されれば「能力」が高められ、その結果、生産性があがる事になるのではないでしょうか。

また、自分の持つ様々な「能力」のうち、最も低いと思われるもの(苦手な分野に関連した能力)に磨きをかけるよりも、最も高いと思われるもの(得意な分野に関連した能力)に磨きをかける方が良いのです。

ですから、ピーター・ドラッカーはこう言います。

「強みのみが成果を生む。弱みはたかだか頭痛を生むくらいのものである。しかも弱みをなくしたからといって何も生まれはしない。強みを生かすことにエネルギーを費やさなくてはならない。」

あなたはどのような「能力」を持っていますか?

そしてそれをどのように発揮しようとしていますか?



長くなってしましましたが、お付き合い頂きありがとうございます。





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