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「さあ、哲学しよう」

紅顔の哲学者を目指して#18

2024年5月8日(水)

今日は短く、スパッときりさく。
たまにはいいだろう。
間奏曲。
長い曲の間にはさむお休み。
そのような感じで。


第七感的なもの。
気についての試論。
五感以外の感覚を第六感と言ったりするが、それより先がある様な気がする。
精神疾患を患っているとそれを顕著に感じる。
特に感覚過敏。
人間から発せられる気を感じ取って、さらには不穏な気を自ら放ち、空間を支配する。
これは結構本当で、最初は気のせいだとずっと思っていたが、そうではないことに気づいた。
この感覚は当事者しか分からない。
正直第何感とかどうでも良いくらい本人は辛いのでそれどころではないが、全然能力的なものではない。
能力だったとしても、自分で自由に操って発動できる様な便利なものではなく、制御できない能力的なものだ。
使いたくないのに発揮してしまう能力ほど不幸なものはない。
それが誰かを幸せにするならまだしも、自分も不快だし相手も不快にさせてしまう。
この第七感的なものは、普通の人が「自分の得たい情報だけ」を自分の感覚器官を通して受け取っているのに対して、全てのあらゆる情報を感知してしまう様な感覚に近い(全ては少し誇張し過ぎたが)。
特に視覚と聴覚がそれを一番感じやすい。
ボクとしては、その状態を自分の中で異常なのではなく、ましてや健康でもなければ、普通なのだと正当化したいところだが、どうにもそれは難しい。

なぜだろう。

本当に普通のこととして認めることはできないのだろうか。
それが病気であると、普通ではないと、固定観念から思い込んでるだけだとしたらどうだろう。
考え方や倫理観、その人の思想次第では価値観を根本からくつがえすことはできないか。
再び、それが可能かどうか考え直してみても良い時なのかもしれない。

そうだ。
だから、哲学があるのではないか。
哲学は生活に直接関わっており、その人の生活を色鮮やかにし得るものではなかったか。
少なくとも僕はそう解釈していたはずだ。

さあ、哲学する時間だ。
考えよう、よく観察しよう。
そして、気が済むまで書き続けよう。


あ、最後に。
さすがに明日の日記では昨日言った通り、本について書く。
楽しみにしてて。
また明日ね。
じゃあね。

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