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12.賢さは時として己の血を流す

人というのは非常に不思議な生き物で、自殺をしたり、自分をナイフで切りつけるなど何かと他の生き物にはなかなか見られないようなことをする。嫌なことがあって物を破壊したり他者を攻撃する、悪口を言うということはあれど、その矛先というのは時として自分に向けるということがあるのだ。これは一体、どういうことなのだろうか?

そういえば以前、たまたまこのような話を聞いたことがあった。テレビ番組でもよく知られるある男性の方の話なのだが、その方は子どもの頃ケンカにとても自信があり、同級生だろうと他校生だろうと誰に対してもケンカを挑んでいた。それまで何度も勝利してきた経験から「自分は誰に対しても負けることは無い。自分は今最強だ!」と自身でもそう思ってきていたのだが、ある日初めてケンカに負けてしまったのである。

この時の、20歳くらいになるまでの子といえば何かと怖いもの知らずな所があり、特にそれが負けた経験とか挫折を味わうことが少なければ少ないほど一見無謀と思われるようなことでも挑むように見える。この方の話だとケンカになるのだが、その揺るぎない自信が崩れ落ちてしまった時、どうやら人は変わることがあるようだ。

ケンカに初めて負けたその日、その方は家の中にある小さなくぼみを見つけた。丁度その方の手に収まるくらいの大きさだったらしく、その方は一体何を思ったのか。そのくぼみに向かって自身の拳を思い切り叩きつけたのである。手からは血がどんどん流れ出し、くぼみはやがて大きな穴にまでなる。それでもその方はひたすら自身の手を止めることはなかったのだそうだ。

この話を聞くと、一見我々日本人だけに思われる話かもしれないが、実は海外でもよく見られることなのだそうだ。つまり、人であるということが自傷行為に何かしらの関係があると言っても良い。何故我々は自身のことを傷つけてしまうのだろうか?

このようにして書かれると「自分を殺したい」だとか「自分を許せない」などさまざまな自分に対する嫌悪感、自己肯定感の低さが挙げられるかもしれない。なるほど、確かにその理由もあるだろうと筆者も感じるのだが、ある方によれば、自身を傷つけることによって得られるその痛みから「自分はまだ生きてる。人間のままだ。」と生きている実感を得るために屈折した行為として現れているというのだそうだ。この考えを聞いた時、筆者は「そのような考えもあるのか!」と大変驚いたわけである。

人は誰しも好きなことをし好きなように生きているはずなのだが、人によってはその「生きる実感」というものが全く感じられない人というのも中には存在しているようだ。

例えば親や保育園幼稚園、学校の先生など我々大人たちから子どもに向けて圧力をかけたとしたら、その子は生きている実感など全く湧いてこないのではないだろうか?毎日「靴脱ぎなさい!履きなさい!危ないから手を繋いで!ほら次は着替えて!食事中に喋らない!早く食べる!寝なさい!起きなさい!トイレに行きなさい!何やってるの!ほんと駄目な子ね!あっち行きなさい!ずっとそこで立ってなさい!」といつも子どもに都合を押し付ける大人たち。何が園生活だろうか?何が学校生活だろうか?何が家族生活なのだろうか?これではただのロボットや人形、軍隊を生み出し監獄に入れているのと全く同じである。こうした大人たちが将来自殺するような子ども、同じクラスの子をバカにする、いじめるような子を生み出し、大人になって自身の子どもに殺されたりするのだ。

もしくは自分がある日突然交通事故に巻き込まれて下半身が全く動かない人になってしまった。それまで見下していた障害者の方と同じになってしまったことで「もう死にたい。」と話し、そのままガラスを突き破る。割れたガラスで自身の下半身を滅多刺しにして痛みを無理矢理にでも感じようとするということさえあるし、声がある日出なくなったからといって喉を掻き毟ろうとする人さえいるだろう。そのような時、我々は一体どうしたら良いのだろうか?

当然ながら、ここには自傷行為などについて解決する方法などというものは一切書かれてはいない。しかし、「自分は子どもに対してこんなことをしていた。そして自身もかつて大人たちからそのようなことをされてきた経験があった。」という自身について改めて知るきっかけにはなるとは思われる。まずはそこが大事なのではないだろうか?

自傷行為をする人に対して「自傷をやめなさい!」と言ってはならないにしろ、時には死を覚悟して全力で止めにかからねばならぬ時もあるだろうと筆者は思う。子どもの頃、午前で学校が終わり家であるテレビドラマを見ていた時の話だ。

そのドラマの主人公と思われる女性が病院で突然発狂し出し、担当医であると思われるその医者の頭を、その場にあった椅子で思い切り殴り飛ばしたのである。当然、医者の頭からは血がどくどくと流れ出し、当時見ていた筆者は「こんな人がいるのか。」とドラマに釘付けになっていたわけだ。実際大人になってからも、あながち間違ってはないだろうと感じる。

人というものは甘く見てはいけないのだ。甘く見たその瞬間、人は変貌し、その人に向かって殺意の刃を向けることになる。例えそれが、中学校に入ったばかりの子どもだとしても。

子どもに殺されるというのは非常に悲しい話だ。自分の子どもを産むということは、それだけの覚悟が必要であると思われる。子育てというのは、簡単な話ではないのだ。

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