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内面的に自立した人が実践している3つのこと

こんにちは!映像クリエイターのウズです!( ^ω^ )

11月初旬も終わりそうですが、少しずつ、着実に寒くなってきてきますね。。

やはり寒くなる方が好都合なのか、コロナの感染も再び拡大している兆しがあります・・

マスク着用は当たり前として、免疫力維持のためにもなるべく外で体を動かすなど対策していきたいですね^^

まあ、寒がりな方であれば少し難しいとは思いますが。笑

・・・とにもかくにも、体調管理気をつけてくださいね( ̄▽ ̄)


しかし振り返ると今年はそのコロナの影響でインドアで過ごす機会が増えた方も多いと思います。

お家時間というやつですね。

ただ、普段アウトドアである方や外出メインの方からすると、ストレスの溜まる年だったと思います。。

離婚や家庭内DV、そして性的暴力が増えたのも、そういった慣れない状況から生まれたのかもしれませんね。

上手く時間を工夫しないといけない年であったわけです。


そうした工夫をやり遂げた人とそうでない人、どちらもやはりいるのが現実ではありますが、個人的にやり遂げた人は内面的に自立している人が多いのかなと思っております。


人に依存せず、自分の中で問題を対処できるのが上手い人。


そんな内面を持つ人ほど、コロナへの対応もスマートだなと。


もちろん年齢は関係なく、こうした内面を持っている人に偏った傾向や特色はありません。

ではどうやって自立した内面を確立したのか。。

今回はその確立方法について、彼らが実践していること3つを私見ではありますが記載していこうと思います。

自分が当てはまっているかどうかも是非チェックしてみてくださいね!

客観的視点でありながらも、主観的視点を保つこと

子供の頃は誰しも主観的視点を強く持っている事が多いです。

子供が自分勝手な行動したり、親に反抗したりするのは自分の主張でしか考えれていない事がよくわかります。

一方、大学〜社会人になっていくにつれて客観的視点の方が強くなっていきます。

物事を決める際主観的な感情や視点よりも、客観的な情報を優先して参考にします。

会社の人気ランキングで上位の会社に多くの人が集まりやすいのがその理由でしょう。


ただ内面的に自立している人は主観と客観、どちらの視点も持ち合わせております。いや、どちらも意識した上で物事を判断する人が多いです。

小さな判断や決断、後の人生に大きな影響がでない決め事については客観的視点を強く持っております。それとは逆に、大きな決断の場合は自分が考えていることを全面的に表して主観的な視点を強く持っている事が多いです。(人への迷惑影響度合いは一旦省いております)

日常生活を送る上で、小さな決断はたくさんありますが大きな決断は頻繁にありませんよね。

なので普段は客観的視点を保ちつつも、主観的視点を秘めているというのはこうした決断の大きさと頻度と大きく関わってて形成されています

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上記の画像のように、普段は客観的視点を持ちながらも時には主観的である強い意思が必ずあります。

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ただ現実的には、上記のように客観的視点だらけな内面性を持つ人が多く、マジョリティーな人間性として世間で認知されています。

こうした人はすぐに周り言動や発言を取り入れる傾向にあり、内面的な核として受け入れてしまうので今回のようにコロナ起因で起きた環境変化に対して上手く自分だけの生活スタイルを確立する事ができません。

結果的に人へ当たったり、政府の対応が悪いなどと当てつけな理由を探します。

【解決方法】

解決方法を考えるにあたり、一番はやはり自分の主観的視点を持つにはどうすれば良いか。という事だと思います。

ただこれについては冒頭述べたとおりでして、元々子供の時に持っていた主観性を大切にする事他なりません。

もちろん、社会人として生きていく上で主観性を保つのは大きな精神的負担になる可能性もあります。なので無理に主観性を持とうとしなくても良いです。

たまにでも良いので、自分の心の声に正直に行動してみること。

これを少しでも意識するだけで大きく変わると思います。


詳しくは前の記事「自分の芯を強く持っている人が必ず意識していること
」をご参考いただければと思います。

人の生き方に偏見がない

私たちは普段、人と関わって暮らしていく事が当たり前な世界で生きています。

特に組織や特定の環境に身を置いている場合は自分の良し悪しに関わらず、多種多様に人と付き合わなければなりません。

人はそれぞれ違いますので、本来それぞれに適した対応や会話をしなければならないのですが、現実は違います。

自分と内面的性質が似通っている人には愛着があり、そうでない人には無愛想にする。子供であればそれは顕著で、いじめるか友達であるかのどちらかですよね。


いずれにせよ、同じ環境に例えいても自分と馬が合わない人とは深く接しようとしないのが常です。常だからこそ、また別の環境に移った時、馬が合わないと判断した人とは会話をしようとしません。

いわゆる偏見というものですね。


ただ、本来人は自分の素を表に常に出していません。


先ほど紹介した画像のように、本来持つ主観的な視点は通常秘めている事が多いからです。

だからこそ、まずは偏見をなくして接する事です。

もちろん、状況に応じてだと思います。会議中や公な時間でいきなり私的な空間を含んだ会話をされると嫌ですよね。なので、ちょっとカジュアルな雰囲気になった時に自ら主観的な視点を話始め、相手のコアな部分を引き出していきます。

そして引き出した内容について、必ず偏見を持たないでください。

もちろん主観的な意見をいうことは良いのですが、偏った考えをぶつける事はNGです。


仮にあなたが賛同できないことでも、それが好きな人もいるんだという気持ちで会話をしましょう。

そういった姿勢はほぼ絶対的に相手に伝わります。

もし、あなたが偏見のない姿勢で接する事ができれば相手も同じようにあなたを理解しようとします。


内面的に自立している人はこうしたポイントを掴む事がとても上手いです。

どんな人にも一定のカジュアルな態度でまずは接する事ができる人は仕事でもプライベートでも優遇される存在になります。

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【偏見を持たないようにするには】

偏見とは、大抵の場合一部の人間が作り出した思想から生まれたものであり絶対的に正しいものでは当然ありません。

人が偏見を持つ理由は、自分の意見と偏見を摺り合わせることを怠った時です。もしくは自分の意見が弱いことで偏見に頼ってしまうこともあります。

自分ならどうするか、常に考えて生活できるのが1番の解決方法ではありますが中々それも難しいと思います。

そういった方はまず自分が絶対譲れないものを見つけましょう。

そういったものがいくつかあると、自分の自己がはっきりと見えるようになります。

詳しくは別記事の「人間という不思議な生物について考えてみる」を参考にいただけると幸いです

この世の中に絶対的正解がないことを自覚する

偏見を持たない、という事は自分のオリジナルな意見を持つということになります。

しかし私たちはやっぱり現実を見ないと物理的に生きていけない世界にいます。

自分の意見も決して正解であり続ける事はなく、常に変動していくものです。今この時これは絶対的にそうだ!と思っても、10年後はそうでないことなんてたくさんあります。

仕事柄答えのない世界でそれを形作っている私ではありますが、例え自分が作った映像や音楽が次の日には霞んで見えることもしばしばあります。。(めっちゃ辛いですけど。)

音楽や映像は確かに素晴らしいですが、今生きている人間全てがある一つの映像又は音楽に感動する事はないです。テレビで流行っているものでも、やっぱり嫌いな人は嫌いですし、逆もまた然りです。


正解がないからこそ、正解に近いことを模索する。


内面が自立している人はその事実に気付いてる方が多いです。

だから人に優しくできるし、偏見を持つこともないですし、人の生き方を否定することもないのです。

もしかしたら1ヶ月後、今相手が言っている事が正しいと思う自分がいるかも知れない。だから今は賛同できなくても、意見として耳を傾けて話を聞いてみよう。

そう思っているのではないか、と私は思います。

ちなみに私はこの世の中に絶対的な正解はない!

と強く思えてはいません。笑

そんなに人生経験していないですしね、、


でも曖昧には認識していますし、そうなのかなと思う時が私よりも自立した方々とお会いする度に思うことでもあります。

まとめ

今回はちょっと長めに書いてしまいました。(気付いたら2時間くらい経っていた、、)

でもたまにはいいですよね、こういうのも。笑


お仕事が忙しいと中々考えれないことも、こうして深く考える時間が時にあることに幸せだなと思いますし、共感してくれる方々が例え少数であっても嬉しいものは嬉しいですね、やっぱ。( ^ω^ )


今回記載している事はもちろん私見ですが、まだあったことのないあなたに共感頂けたら幸いです。












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