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この気持ちを愛と呼んでいいのかは未だにわからないけれど

彼と5年間一緒に生きてきて、この人を手放してはならないと、強く思ったことは幾度となくあるけれど、そのうちの5回はこの旅にあった。

1つ目。そもそも今回の旅は、卒業旅行どこ行きたい?という彼の問いに、私が「よーろっぱ いきたい」と答えたことからはじまった。私は正直、金銭的余裕と時間的余裕の両側面から無理だろうと半分冗談のつもりで、願望を唱えたようなものだったけれど、彼は私のその一言で大学のウィーン留学プログラムに応募し、ヨーロッパへ行く手段というか口実というかを作り、改めて誘いに来た。うちの両親の説得は必要だったものの、最終的には送り出してもらうことに成功した。職もなければ婚約もしていない中で、あの過保護な両親からGOを貰える男なんてきっと、彼くらいだろう。


2つ目。私が自由奔放に繰り出す「ここ行きたい!」「あれ食べたい!」と言った願望をすべて叶えてくれた。正確には、行きたいところにすべて行けるように、交通手段を調べ、マップを見て道を案内し、連れて行ってくれた。食事において、私の希望がない場合はミュンヘン流のソーセージはどれで、ザッハトルテ以外のオーストリアで有名な食べ物はウィンナーシュニッツェル、ザルツブルガーノッケルン、シュトゥルーゼル、カイザーシュマーレンといったもので、それらで有名な店はどこなのかまで調べて、そこへ行こうと提案してくれた。そして、ちゃんとした語学留学の経験はないはずの彼の英会話力はどこへ行っても十分なもので、私が自分で英語で会話する必要もなかった。

3つ目。オペラ座で『GUILLAUME TELL(ウィリアム・テル)』を観ていた時に、倒れた私に寄り添ってくれた。そもそもこのオペラは「オペラを観たい」と言ったときにはすでに座席が予約で完売していたなかで、当日の開演1時間半前から売り出される立見席を彼が3時間前から並んで取ってくれたものだった。(その間、彼は私に当初の予定的には行けそうになかったレオポルド・ミュージアムに行ってくることを薦めてくれて、私はのほほんと絵画を楽しんでいた。)

彼のおかげでオペラの中でも最も人気のある演目の1つと言っても過言でない『ウィリアムテル』を、ウィーン国立歌劇場の立見席の最前列で観るという最高の機会を手に入れたというのに、私の身体は暑さと空気の籠もり様に耐えられず、開始から僅か30分ほどで意識を失った。

倒れる前に「暑い、気分悪い」とうっすら頭をよぎったことは覚えていたけれど、その直後の記憶はない。気づいた時には彼と、彼がチケットを並んでいる時に仲良くなったというミュンヘンに留学中の日本人の男の子に抱えあげられ、外に運ばれていた。(歌劇場のスタッフのムッシュもとても親切にしてくれた)

苦労して手に入れたチケットを一瞬で無駄にした私を、彼は責めることも呆れることもせず、ただただ心配してくれた。「今日はもう帰ろう」という彼を制して廊下のモニターで画面越しに観ることを選んだけれど、その後も何度か眠ってしまってまともには観られなかった。それでもそんな私の身体を支え、会場に戻ることもせずに最後まで隣にいてくれた。

4つ目。最終日、彼には大学が用意した宿があったため、宿泊先は別々になる予定だったけれど、「寂しい」と言った私のために、ホテル側に自分の部屋に私を泊めていいかを尋ねてくれた。あっさりと認められて一緒に泊まることになったチェックインの際には、駅から少し距離のあったそのホテルまで、自分のスーツケースと私のスーツケースの両方を彼が押して行ってくれた。

5つ目。最終日の夜、留学プログラムがはじまって、ウェルカムディナーに行った彼から予想よりも早く帰りの連絡が来た。その頃、私は夜ごはんを食べてちょうどホテルに帰ってきたところだった。

彼は、ホテルに着くまでに2回、私の電話を鳴らした。1回目はプログラム終了直後、2回目は電車を降りてホテルまで歩いているときのものだった。

帰ってきて「はやかったね!」と言うと、「彼女が待ってるからって2次会とパブの誘い、断ってきた!」と彼は言った。左手の薬指には、元々右手の薬指用だったのに「入らなくなった」と言っていたペアリングがしっかりと着けられていて、キラキラと輝いていた。





***


ウィーンで学校の前を彼と歩いていたとき、「you too are beautiful !! (あなたたち素敵ね!!)」と小学生くらいの女の子たちに声を掛けられて思わず頰が緩んだ

けれど同時に、彼が素敵であることは疑いようがないけれど、私に、彼の隣でその言葉を受け取る資格があるのだろうか、という考えが頭をよぎった。


彼女たちの目に、私たちが愛し合っているように、仲良さそうに見えたのだとしたら、素直に嬉しい。
「この人の相手をできる女なんて私くらいだろう」と思う日や「ちゃんと私も彼の支えになれている、大丈夫。」と思う日もあるけれど、今回のような彼の大きな愛を感じたとき、私たちの愛はほとんど彼の寛大さ、愛情深さに支えられているのではないか、と不安になってしまう。


時折、彼は「愛してる」と囁いてくれることがある。まっすぐに響いて嬉しくて泣きそうになるけれど、そんなとき私は「へへへ」と照れくさそうに呟いて抱きしめ返して誤魔化す。

私たちより付き合った期間が短いカップルたちでも「愛」という言葉を躊躇いなく使う。
一方、5年付き合っているというのに私は、時間が経つにつれて、どんどん「愛」という言葉から遠のいている気がする。

彼からの私への行動、態度、気持ちは「愛」だと確信できる。

私だって、長い月日のなかでブレることなく彼を想い続けてきて十分に「愛」という言葉を使う資格があるはずのに、私から彼への行動、態度、気持ちは "ちゃんとした「愛」" ではないかもしれないと思ってしまって、「好き」「大好き」はまっすぐにたくさん伝えることができても、「愛してるよ」はふさわしくない気がして、うまく言えない。



もしも、別の人だったら。

たとえば、小学校のときに好きだった人が相手なら、私は多分、もっと大人だったのだと思う。彼が面倒くさい女を嫌がることは知っていたから、そうならないように努力をしただろう。寂しさとか嫉妬とか不安とか、そういうものに蓋をして、たまに溢れちゃって、でも「たまに」のことだからむしろかわいい、みたいな感じで彼も許してくれて、自分も彼のために努力していることの自覚があるから「愛される資格」はちゃんとあると思えたりなんかして。崩れない自分で相手との「愛」を築けた気がするし、そんな関係には「愛してるよ」がふさわしい気がする。


だけど、今の彼には全然ダメで。普段、誰といても頭の回転が止まらないはずの私が、彼の隣にいると私は頭が空っぽになって、一気に子どものようになってしまう。嬉しい楽しいおもしろいときは「見て見て!」とはしゃぎ、悲しいときにはしょぼんとし、納得いかない時には【納得いかない】という顔をして、嫌な時は「やだ」と拗ね、寂しいときには「寂しい」と言って、思ったらすぐに「(彼の名前)好きー!」と言って、美しいものを見つけたら突然立ち止まって写真を撮り始める。

基本的に彼といて本気で機嫌を悪くすることはなくて大抵の場合は【拗ねる】に留まるけれど、私が【納得いかない】という顔をしようが、【拗ねる】をしようが、しょぼんとしようが、基本的に彼は変わらない。①大抵は数十秒〜数分で機嫌をなおす、少し長引いても②彼が私にいろいろ試しているうちに通常モードになる、③最終、寝て起きたらケロッとすること、という取説が彼の中で完全に確立されているからかもしれないけれど、その彼の心の余裕に私も甘えてコロコロと感情を豊かに表現し続けて今に至る。


本当にこんな彼女で、彼に「愛している」と言う資格はあるのだろうか。

感情やワガママで自己中心的に彼を振り回してはいる気がする。付き合って1年目くらいの頃、私の好きなところの1つに、彼は「俺に尽くしてくれるところ」を挙げたけれど、当時も今も私は彼のために何かできている自覚がなくて、彼が私にしてくれたことはたくさん思い出せるのに、私が彼にしたことはなにも思い出せない。

そんな私よりもっと彼にふさわしい人がいるはずって思う。もしかしたら離れることが私に唯一できることかもしれないのに、それは絶対にしたくないと心が言う。どこまで身勝手なんだって思うけれど、それでも私は彼のことがどうしようもなく好きで、これまでもこれからも手放す気は毛頭ないのだ。もちろん腹が立つことも、嫌なこともあるけれど、そんなのは些細なことで、これからも隣にいてくれさえするのなら、どうだっていい。

そんな気持ちも、愛と呼んでいいのだろうか。



***



彼は私と付き合いはじめた当初、「合わなさそう」「すぐ別れそう」と言われたらしい。

一方、私はと言うと、付き合う前に行きたい国の話をしたときに感じた「これから先ずっと一緒にいるかもしれない」という勝手な直感はあれど、そう言われることに納得もしていた。

だから、別れたときに思い出に残るのが怖くて、付き合って半年間はツーショットもまともに撮れなかったくらい、自信がなかった。



1年越えたら、大丈夫。

「初めて」を迎えたあとも、2回目、3回目とちゃんと誘ってもらえたら、大丈夫。


2年越えたら、大丈夫。

お泊まりして幻滅されなければ、大丈夫。

一緒に旅行に行ったら、大丈夫。



そんな風に勝手に基準を設けて、それを迎えては安心して、そんな基準を気にすることもなくなって、今に至る。


はじめて一緒に金沢を旅行したときには「また思い出が増えてしまった」「この幸せが今回で終わってしまったらどうしよう」という思いもあった。今となっては、東京、福岡、ディズニー、岡山、和歌山、香川、パリ、広島、ミュンヘン、ザルツブルク、ハルシュタット、ウィーンと、海外まで彼との思い出が増えていった。




4月からは2年間の遠距離が確定した。

2週間に1回、金曜の夜から日曜の夜or月曜の朝まで東京に行けるようにして、2年後は一緒に東京で住めるようにすると言ってくれる彼との思い出は、これからさらに関東圏にまで広がっていく。

相変わらず「いつか」の終わりに怯えてしまったりもするけれど。彼とずっと一緒にいたいという心だけは決まっているから、私は自分のその気持ちを信じて進むだけだ。



この気持ちを愛と呼んでいいのかはわからないけれど、それでも私はあなたを選び続けるから。

隣にいてくれるかな?



なんて、重いラブレターは封印しておくね。





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