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パリに焦がれて


原田マハさんの『たゆたえども沈まず』を読みはじめた。



マハさんのアート作品を読むのは4冊目。

いつもなら夢中になるあまり読む手を止められないはずなのに、私は手を止めた。



フランスへ、パリへ、行きたい。


想いが溢れて苦しくなって本を読む手を止めた。本の中にいるテオや、忠正や、重吉(ゴッホすらまだ出てきていない)に強い共感をおぼえると同時に、パリにいられる彼らに嫉妬した。


この夏、読んだ本18冊・内、マハさん作品8冊。(9/6(火)時点)


小学校の頃は『フランス』だとか『パリ』だとか書かれた表紙の るるぶ や ことりっぷ を読むしかなかったというのに、今はSNSでリアルタイムでパリの風景を、パリにあるショコラティエやパティスリーのパティシエさんがスイーツを作る様子を、見ることができる。

加えて『オペラ座の怪人』を観た。
大学の友人がイタリアへ留学に行った。

この夏は、私が小学生の頃からあたためてきた パリへの憧れ、フランスへの、ヨーロッパへの憧れを爆発させるには十分すぎた。




そんな予定もないのに、初めてパリへ降り立つ日のことを想像して長年の憧れの地を踏む気持ちはどれほどのものだろう、と考えた。きっと感動で言葉も失うだろう。空港に降り立つだけで、エッフェル塔の目の前に立つだけで、涙が止まらないかもしれない。異国の地・特有の空気感に、ルーブルやオルセーの所有する世界最高の美術に、歴史ある優雅な街並みに、それを構築する建造物の1つ1つに、眺めているだけだった雑貨やフレンチやスイーツたちに、いちいち心躍らせるのだろう。

旅行なら、はじめての朝は早くに目を覚まして街を何時間も1人で散歩し、容量がパンパンになるくらい写真を撮るのだろう。スマホじゃ足りなくて、その頃にはSONYαシリーズの最高級カメラを買って、写真の勉強を始めているかもしれない。

次の日の朝は全身に焼き付けるために、写真なんて撮らずに1人ゆらゆらとのんびり街を歩くのだろう。自分なりにパリっぽい服を着て、嬉しくなって偶然通りかかる人1人1人に「Bonjour」と挨拶してまわるかもしれない。


そういえばゴッホは日本に強い憧れを持っていたというし、ゴッホはオランダ人だけど、もし私がパリに生まれたフランス人だったなら、日本に憧れを持っていたのだろうか、とありもしないことも考えた。



元はと言えば、大学に入ったらバイトしてお金を貯めて、1回生や2回生の間にパリに旅行に行く予定だった。もっというと、(うちの学部には制度自体がないけれど)第二外国語でフランス語を専攻するところまでが私の計画だった。きっとそれが叶っていれば、私のガクチカは間違いなく「幼い頃からの憧れだったパリに行く夢を叶えたこと。そのためにフランス語を勉強し、バイトをしてお金を貯めたこと。」だっただろう。

諦めきれなくて、1回生の秋学期にはフランス留学生用のものがコロナで留学できなくなったから、と全学生向けに開講された、大学のフランス語講座(5日間)を受講した。その後、コロナのせいでタイミングを失って、気づけば3回生になり、就活だ・ゼミだ、とあれよあれよと夢を見失っていた。

私があまりにも長年言い続けるから、とうとう父が「就職祝いに来年の春、行こうか。」と、(実現するかはわからないけど)言い始めてくれている。私がフランスへの憧れを拗らせていることを知っているから、彼は記念日の度に「せめて食事だけでも気分味わおうよ」とフレンチに連れて行ってくれる。全部、ありがたい。

だけど、待てないかもしれない。1週間や2週間そこらじゃ、足りないかもしれない。死ぬまでに1度だけでも、と思っていたけれど、1度じゃ死にきれないかもしれない。

ルーブルは1週間通い詰めても観終わらないと聞くから。

パリもいいけれど、ベルサイユも、モン・サン・ミシェルも、リヨンも、マルセイユも、ロワール渓谷も、シャルトル大聖堂も、行きたい。見てみたいから。

1ヶ月くらいパリにいられたらどんなにいいだろう、と思った。



留学でもいい、滞在でもいい、旅行でもいい。
死ぬまでに少しの時間、パリで過ごしてみたい。
欲を言えば、2024のパリオリンピックで活気溢れるパリを訪れたい。


溢れ出るパリへの憧れを、
これ以上 私は止められそうにない。





左下以外はフランスへの憧れを拗らせた小学生の私が買ってもらった2011〜2012のもの。



p.s. 書きたいことも、書く予定のことも山ほどあるのに、書く予定のなかったパリへの憧れを私に綴らせてしまうのだから、もう。ほんとうに。

ちなみにヘッダーは富士Qです。
フレンチか、大塚美術館の絵画かで迷ったけれど、サイズ的に良かったから。















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