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夢の続きからみる景色
パリに来てから 時間 を気にしなくなった。
日本にいるときは、夜遅くなれば親がうるさいから、どれだけ遅くなっても許してもらえるゼミの飲み会を除いて帰る時間が遅くならないかどうか、いつも怯えていた。
朝は乗る電車の時間に間に合うように起き、朝ごはんを食べ、化粧をし、家を出る。なんとしても乗りたい電車の時間に間に合うよう、間に合わなさそうなときは愛用のチャリをかっ飛ばし、歩くときは全力で走っていた。遅刻しそうなときは電車が遅れていることを祈り、遅れたくないときに電車が遅延していたら電車を恨む(ものすごく、勝手ね)。
それがパリにきてから、メトロの時間がどうだなんて気にしていない。乗り遅れても2〜3分で次のメトロが来るというのもあるし、少しでも美しい街並みを楽しみたい、寝ている時間すら惜しい、だから余裕を持って起きる、というのもある。
余談だが、メトロはそもそもホームで電車が来る時間の表示が「○:○○発」ではなくて、「1st train=△分後、2nd train=*分後」という意味の数字が表示される。焦らず済むので私はそこも好き。
夜も、誰にも文句を言われないので、徐々に遅くなりつつあった。夜のパリは昼とはまた一味違っていて、そこもすごく、好きだ。
時間に縛られないというのはすごく自由を感じるものだ。ずっと、こんなふうに生きていたい。
パリにきて、2週目。
前回の記事を書いていた時くらいからゆっくりと、けれども確実に、この街が私の日常になっていく足音を感じていた。
1週目のうちに、近所の八百屋さん(ヘッダーのお店)と仲良くなった。はじめて訪れた日、トマトに加え「バルサミコ酢ほしい」と英語で伝えた私に、英語がわからないからとたまたま買い物に来たマダムに英語がわかるか?と確認して私との通訳を頼んで、私が求めているものが「酢」とわかると、店にはないからと店にある中で1番それに近いものを教えてくれた。そのときの縁で、次の日から朝と晩、私が店の前を通りかかると必ず声を掛けてくれるようになった。おかげで1週目から寮があるBrochant(ブロシャン)という街は、「滞在先」ではなく「私の街」になった。
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おかげで2週目は八百屋さんでトマトやアボカドを買って、夜ご飯にパスタやサラダをよく作って食べた。
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ここにきて初めての土曜日はモン・サン・ミシェル と その経由地であるレンヌ、二度目の土曜日はルーアン、日曜日はソー(Sceaux)という街を訪れた。
ルーアンやソーでは英語が通用しない(フランス語しか話せない人が多い)ところがあったけれど、そんなことはどうでもよかった。どの街も美しく、人も良くて、とても良い街だったけれど、TGVやTER、RER(高速列車)に乗るのは緊張した。少し前まではパリは”憧れの街”で、メトロに乗るのだって緊張していたくせに、パリ以外の都市からパリ市内に戻ってきたときにはパリやメトロに「ただいま」と言いたくなるような安心を感じた。
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寮の最寄り駅・Brochant のあるメトロ13番線は、私にとっては語学学校への通学駅でありパリ最古のターミナル駅であるSaint-Lazare(サン=ラザール)駅、その名の通りのChamps-Élysées Clemenceau(シャンゼリゼ・クレマンソー)駅、モン・サン・ミシェル等へ行く際のターミナル駅であるMontparnasse(モンパルナス)駅など、多くの人が利用する主要な駅が集まっている。なのに、汚い。その上、来た時は8月末でまだバカンスの時期だったから本領を発揮していなかったけれど、9月に入っていきなりいつ乗っても大混雑な満員電車になった。
パリのメトロで学校に通うだなんていう、留学前の私からしたら甘美な響きのシチュエーションも、日を経るにつれて満員電車「早く降りたい」と思うようになった。最初のうちは、降りる駅がまちがっていないかとか、スリを警戒してスマホもカバンの中に閉まってカバンも前に抱えてとか、緊張感を持って乗っていたけれど、少し無愛想な校舎時のアナウンスがフランス語の発音の学習教材に変わる時期を経て、今では日本の電車と同じようにスマホを触りながら乗っても降りる駅をまちがわないまでになった。
モン・サン・ミシェルからの帰りのバスが遅れて帰宅が23:30を過ぎた日以降、もちろん十分に気をつけながらも夜のパリを楽しめるようになった(ナイトクラブとかではない)。
いつまで経っても覚えられなかったSaint-Lazare駅から語学学校までの道も覚えはじめた。
行きたい場所へ行くために、メトロは何番線を使ってどの駅で降りればいいのか。「まだ帰りたくないなぁ」と思った時に、その時間からならどこに行けるのか。そういったことをGoogleマップなしにも大体考えられるようになった。
語学学校の授業が月水金は午前で終わるけれど、火木は午後からで観光の予定を立てにくくて、その2日はあまり好きではなくなった。
相変わらず毎日たくさんの写真を撮っているけれど、最初の頃に「ほんものだ…!」「なんて綺麗なの…!」というハイテンションで目をキラキラ輝かせながらカメラを手に取っていた時のようにパァァッとニコニコ笑顔になるというよりも、「今日の君も綺麗だね」というような落ち着きを持ってカメラを手に取り、微笑むような感じになった気がする。雨の日であっても「雨の日の君もいいね」と、パリがいつもと違う表情を見せてくれることに感謝してカメラを構える。
街中を歩いていても、パリジェンヌ・パリジャンが彼らにとっては当たり前であろうこの風景を写真に収めている姿をよく目にする。彼らと同じところで立ち止まり、カメラを構えると、自分も彼らと同じ感性を持ったパリジェンヌになれたような気がして嬉しい。
2週目は1週目のときのように詰め詰めで観光の予定を立てるというよりも、午後から授業の日の午前はベンチに座ってnoteを書きながらプティパレが開館するのを待ってプティパレに行ってから学校へ行ったり、なにも考えずにぶらぶら歩いて見つけたカフェでまったりしてみたり、夜に同じ寮の子の部屋に呼ばれて3人でワインを2本開けて音楽かけながら踊ったり、と「日常」を感じる過ごし方をした日もあった。(使ったお金の計算と行動ログをNotionで取るようになったのもこのあたり)
「慣れてきた」といえばそれまでなのだけれど、これまでになにか他のものに慣れた時とは違って、パリに対しては「ここが私の日常になったということなのかもしれない」と胸があたたかくなる。
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美術館やモニュメントなど行きたい場所はおさえつつも、お土産を買う場所やレストラン、カフェなどはあまりリサーチせず、流れに身を任せて辿り着いたお店で過ごすのが好きだ。Googleマップの評価よりも、自分の感覚を信じ、自分だけが辿り着いた自分だけが知る場所、ということに喜びを感じる。これはパリという街を信頼しているからできることなのかもしれない。
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私が日本を経ってからの2〜3週間で、日本では様々なことが起きていた。
日本男子バスケのパリ五輪出場決定、ラグビー勝利、VIVANTの生放送と盛り上がり、ジャニーズの騒動、少し後に阪神優勝。
それらすべてをリアルタイムで、みんなと一緒に、盛り上がることができない悲しさや虚しさが全くなかったといえば嘘になる。私も見たかったな、と思った瞬間がたくさんあった。
基本ひとり旅だから、自分と景色の写真は「写真撮って」と言ってきた人にお返しで撮ってもらう以外は自撮りが増えていくばかりだったし、
何よりどんなに素晴らしいものを見ようとも、どんなに美味しいものを食べようとも、この、ほんものがもつ美しさを共有できる人が誰も隣にいないというのは寂しかった。
だけど、そんなのはパリに来れたことと比べれば些細なことだ。
私はパリに、このタイミングで来るべくして来た。
そして長年焦がれたパリは私に合う街だった。
それだけで、十分。
夢の続きから見る景色は、ちょっぴり贅沢で、美しすぎる私の日常。
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