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物語に浸る。
中学の頃、ミステリー小説に夢中だった。教室や登下校中に独りでいる寂しさを紛らわすかのようにミステリー以外の小説も手にとるようになり、人間関係の悩みに対する答えを本の中に求めるかのように自己啓発本も読むようになった。
高校生になって知識を本の中に求め、ビジネス本や参考書を読むようになった。
そして、受験期を経て大学に入学した。
久々に本を手に取ると、読むスピードが遅くなっていた。中学の頃、1日1冊読むのが当たり前だった本は、読みたい!という気持ちも、カバンの中にいつも1冊の本が入っていることも、本屋に自然と足が向かうことも変わらないのに、習慣化を意識しないと読めなくなっていた。ずっと「受験が終わったら読む本」としてiPhoneメモにリストアップし続けていたのに、いざ読むと進まなかった。
noteは基本その時に書きたいと感じた気持ちを、タスクや時間を気にせずに勢いで書いて、校正もすることなく公開する。
本も、読むと決めている作家さんの本やシリーズでない限り、私は本屋に行ってその時の感情や状況に合う「読みたい!」と思える本を選んで、勢いで読み切る。
綴りたい感情やメッセージをありのままに綴るための期限があるように、「読みたい!」という想いのままに読み切ることができる期間にも期限があるのだろう。
受験が終わった頃には、受験期に読みたかった本よりもそのとき本屋の表に出ている本を読みたくなるものだし、ビジネス本なら新しい情報になっていくわけだから、なおさらだ。
読みたい本は読みたいと思っているうちに読まなきゃいけない。そのためには本を読み続けなくては。そう思った。
そんな中、先月大学帰りに本屋に寄った日があった。
本屋は大好きなので、用がなくてもぶらつくことが多いが、そのときは学業とESラッシュに追われていてしばらく本屋にすら立ち寄れていなかった。久々になったが故に本の配置が変わった近所の本屋の、平積み本と書棚本を少し新鮮な気持ちで眺めていた。
そこで目に留まった本が『宙ごはん』。
ふとみてみると町田その子さんの本であることがわかった。本屋大賞を取った『52ヘルツのくじらたち』がすごく好きだったから、今回もおもしろいかもしれない、と思った。
一方で「今手に入れたら他のことがなにもできなくなる」と思った。「他にも読まないといけない本は溜まっている」とも思った。
その日は、一旦見送って家に帰った。
しかしその決断を私は後悔することになる。
数日、数週間経っても頭から『宙ごはん』が離れてくれなかったのだ。
とうとうある日の帰り道、本屋に立ち寄って買って帰ってしまった。
家に帰り、1度本を開いたら手が止まってくれなかった。
最近本を読み始めても、忙しさを理由に読み終わるのに時間がかかっていた私が、2〜3日ほどで読んでしまった。
小学生の頃に青い鳥文庫を読んでいた時のように。中学生の頃にミステリーを読んでいた時のように。続きが気になって仕方がない、という夢中を久しぶりに味わった。
読み終わった後、私はすごく満たされていた。
心の奥がじんわりあたたかくなって、胸がいっぱいで、「いいものがたりに出逢えた」という喜びと感動で、少しの間、なにも手につかなかった。
この小説を、この人が紡ぐ物語を、また読みたいと思った。
こんな物語にまた出逢いたいと思った。
大学に入ってから、ビジネス本ばかり読んでいた。
もっと多くの知識を得たい、単純に知りたい、知っておかなければ、知っておいた方がいい。
いろんな気持ちがそこにはあった。
だけど、そこに純粋な没頭はなかったかもしれない。
読んではいても、その時々によって求める知識が違うせいで読み終わるものはあまりなかったのだ。
だけど物語には純粋な没頭がある。
それがなんとも心地よい。
あれから、私は小説ばかり読んでいる。
小説は読み始めると、周囲の音が消えて、物語の世界に入り込んでしまう。時には寝る時間を惜しんでページを捲り続ける。
「一度手をつけたものを最後まで読まずに終わるのは気持ち悪い」という消極的な理由の時もあれば、「手が止まってくれない」という贅沢な理由なこともある。
だけどどんな小説も、私の心の真ん中に手を伸ばしてその手のひらから優しい光を放ち、読み終わったあとに爽快感と少し増えたエネルギーを残していく。そして少しだけ元気になって、明日を生きる活力となる。
この夏はそんな風な物語とたくさん出逢える夏にしたい。
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