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「はだしのゲン」を18禁にせよ

「「はだしのゲン」は平和教材としてわかりにくいのか “教育の放棄に等しい”との批判も〈AERA〉」
(AERA)


 「表現の自由」「思想の自由」
 これらは全ての人に認められるべき自由である。
 だが、この様な「自由」というものは、前提条件が存在する事を理解しなければならない。
 その前提条件とは、「道徳」である。
 道徳を無視した表現や思想は、個人の自由として認められてはならなず、制限を掛けるなり禁止するなりすべきという事である。

 左翼、全体主義者の常套手段として、「表現の自由」「思想の自由」を道徳よりも上位の概念として扱うというのがある。例えを出すと、「あいちトリエンナーレ2019・表現の不自由展」などがそれに当たる。

 人は誰しも、国の庇護無くして人権は保証されない。
 ある人が人権を保証された人生を謳歌出来るとしたら、その人が帰属する国はきちんと国としての体を成しており、国民にとって良い文化を醸成してきたという事である。
 国とは政府の事を指すのでは無い。
 国というのは、国民、領土、主権によって構成されるものである。そして、文化というのは紡がれてきた歴史によって醸成されるものである。
 国を構成する三要素。或いは醸成されてきた文化、その元となる歴史。それらを毀損されるという事は、国民の人権が毀損されるに等しい。

 「あいちトリエンナーレ2019・表現の不自由展」で表現されたのは、日本の文化や歴史を棄損する内容であった。詰まりは、日本国民の人権を毀損した訳である。
 人権侵害に繋がるものまで「表現の自由」に含むべきか? 含んで良い筈が無い。
 もし憲法第21条で、「含んで良い」という解釈や、「あいちトリエンナーレ2019・表現の不自由展」は、日本国民の人権侵害に当たらないという解釈が成り立つのなら、早急に憲法の方を修正しなければならない。(※補足①)


 この様な「常識」を踏まえて考えると、「はだしのゲン」の作中で表現されているのは、日本の歴史や文化の棄損に繋がるものである。詰まり、日本国民の人権を脅かすものに他ならない。
 先の大東亜戦争において、日本は他国に対して疚しい部分は一切無く、中国やら北朝鮮やら南朝鮮やらがつけてきている難癖は、単なる言い掛かりに過ぎない。
 仮に何か疚しい部分があったとしても、批判を唯々諾々と受け入れてはならない。
 「あの時はアレがベスト」「他に選択肢は無かった」「日本統治下に入った事で、デメリットよりもメリットの方が大きかったのは間違いの無い事実だ」といった具合で、自己弁護し、正当化すべきという事である。
 人は帰属する国の歴史を否定してはならない。

 はだしのゲンを初めて読んだのは、小学校の図書室だったと思う。
 当時、人は保守であり、愛国者で無ければならないという「常識」を理解していなかった私は、アレを昼休みに読むのが楽しみで仕方なかった。
 この様にして、反日思想に洗脳された子供が出来上がる訳である。

 性的又は暴力的な描写が含まれる作品は、「18歳未満禁止」という規制が設けられる。
 何故に年齢制限なのかと言うと、幼少期は善悪の区別が付けられないからであり、ある程度の年齢を重ねていれば、それが出来る筈だからという事である。
 18歳という設定が十分かどうかというのは置いておくとして、「はだしのゲン」はどう考えても幼少期に読ませて良い作品では無い。
 それは、前述した「常識」から明らかである。

大切なのは、『はだしのゲン』が子どもたちにとって平和の尊さや原爆の悲惨さを知る“入り口”になっていたことです。

出典:引用した記事より

 悲惨なのは、「はだしのゲン」の様な常識が著しく欠けた作品が、あろう事か子供達の教育に用いられたという現実である。
 抜粋したセリフを言い放った中嶋とかいうヤツは、名古屋大学の名誉教授などとゴツい肩書きを纏っているが、実態は誰もが身に付けるべき常識も持たぬ、ただの糞野郎である。


※補足①

 今の日本国憲法は、GHQのガキがオママゴト的に作った駄文に過ぎない。理想はゼロからの作り直し。妥協案として大日本帝国憲法を戻し、それを部分的に改正。ここまでが日本国民として容認できる範囲である。
 今のGHQ憲法を改正するというのは、妥協案ですら無く、武力拡充が喫緊の課題となった現状を加味した、時間稼ぎの産物でしか無い。
 本文で「修正しなければならない」と書いたが、あくまで便宜上その様に記載しただけであり、この様な大前提を捨てた訳では無い事をここに明記しておく。

※補足②

 18歳未満禁止で事足りるのか。
 本来なら大丈夫な筈である。
 しかし、昨今は大人ですら満足に子供を躾けられず、道徳の何たるかも理解出来ておらず、左翼やリベラルを非常識と認識すらしていない。その様な現状を加味すれば、18禁扱いでは不十分であろう。
 しかし、焚書や禁書という行為を容認して良い理由にはならない。
 「はだしのゲン」の様に非人間的な作品。この様な作品をものしてしまう人間が生まれた要因とは何か。
 それを考察する機会が得られると考えれば、この作品も無価値と断ずることは出来ない筈である。

※補足③

 取り急ぎ、全ての小学校、中学校、高校の図書室から、「はだしのゲン」を撤去せねばならない事だけは確実である。

※補足④

 前にも少し触れたが、まさかリメイクされているとは思わなかった。
 正気の沙汰では無い。

※補足⑤

 今の小学生は、はだしのゲンを読まされ、コオロギを食わされる。
 もしも我が子が学校でその様な扱いを受けていたら、私ならブチ切れる。キレない奴は親失格である。

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