病人の国 ノルウェー
「「見えない圧力」北欧クィアコミュニティが直面するボディプレッシャーと交差性」
(Yahoo!ニュース/鐙麻樹)
LGBTは病気である。
これは、差別的発言でも無ければ“多様な”意見の1つなどという軽薄なモノでも無く、事実である。
そこに人間の意思が介在する余地は無い。事実である以上は好き嫌いに関係無く、受け入れる以外の選択肢は存在しない。
「LGBT」の後に「Q」やら「+」を付加する行為は、左翼や全体主義者によるプロパガンダの一貫である。
LGBT精神疾患を個性扱いし、疾患と見做す事を「差別」と嘯き、「保護が必要」「理解を示せ」と叫び、「政府が助けるべき」という方向に引っ張り、産み出された利権を貪るという事である。
引用したプロパガンダは「鐙麻樹」なる人非人が放ったモノだが、読んでいると何だか眩暈がしてくる。よくもまぁ、ここまで汚らしい文章が書けるものである。
のっけから滅茶苦茶である。
「クィア」は英語の Queer なのだろうか。
Queer
「風変わりな,妙な,変な,疑わしい,いかがわしい,怪しい,気分が悪い,ふらふらする,頭が変で,気が狂って」
(weblio 翻訳にて)
コレが本来の意味である。google翻訳は「He is queer」を「彼は同性愛者だ」と訳すが、「queer」とは同性愛を含む「悪い意味で変な状態」全般を指すものである。
LGBTを個性だと主張する者が、何故に自身を「悪い意味で変」と呼ぶのだろうか。意味不明である。
何かしら主張があるのかもしれないが、言葉の意味というのは重要である。勝手に本来とは異なる意味に置き換えてはならない。
因みに、「プラスサイズ」というのは左翼が引っ張り出した表現で、「デブ」という意味である。
「デブ」の主たる要因は、本人の不摂生による事が知られている。
「デブ」を個性と主張するのは、「デブ」が笑いを取る際の常套手段であるが、「デブ」が本心からそれを主張し始めたら、痛々しいだけで全然笑えない。
産み出されるのは面白おかしい笑いではなく、引き攣った苦笑いである。
「理想的な“体系”」? 多分、文脈的に「体形」の間違いであろう。なので、「理想的な“体形”」と読み替えて解説する。
「理想的な体形」は非現実的なのか? それは各個人の事情による。摂生してその様な体形を維持する者もおれば、出来ない者もいる。
生まれつき、或いは事故か何かの障害で運動がままならないが故の「デブ」もおれば、単なる不摂生の「デブ」もいる。
世の中、事情は人それぞれである。
理想的な体型とは、ある人にとっては非現実的な絵空事であり、ある人にとっては頑張れば実現可能なものである。多くの人はこの様な「個人差」が存在する事を理解している。
この様な常識を無視して、「理想的な体型を目指す様な社会的プレッシャー」などという理不尽が本当に存在するのか。
不摂生なだけの「デブ」に痩せろ!と言うのは、骨格に見合った適正体重を維持する事の優位、或いは有意性からくるものであり、普通の話である。
身体的な事情故に運動がままならず、それでもどうにか野放図に太ることを抑えている「デブ」に痩せろ!と言い放つのは、批判されるべき理不尽である。
ここで、後者の様なバカ者が激増したとしよう。
例えば、「如何なる事情があろうともデブには痩せろというプレッシャーを掛けよ」という号令を政府が発したのが原因なら、それは確かに政治家が解決すべき事案である。(※補足①)
だが、そうでは無かろう。
ノルウェーという国が本当に抜粋した様な状態であるならば、イカレているとしか言い様が無い。
「ボディ・プレッシャー」とは、例えばクッションの性能に相対的な評価を下す場合に用いられる表現の一つであり、日本語で「体圧」という。
先ずは、この言葉が社会的圧力を指すものでは無いという事実を指摘しておく。
その上で、その様な社会的圧力が本当に存在するのかという事であるが、それは単なる被害妄想である。
仕事がクソ忙しくて運動もままならない者がおれば、不労収入が大量にあるおかげでボディ・メンテナンスに時間を割ける者もいる。不公平だ何だと叫ぼうが、その様な差というのは致し方無いものである。
ところで、引用した左翼プロパガンダを書いた鐙麻樹の様な輩こそ、その様な「差」を拡大させる原因の1つである。
6月末にノルウェーのオスロでプライド月間というのが開催されていたが、そこで行われたイベントの1つにおいて、引用した左翼プロパガンダでは幾つかの「デブや精神病を患う若者の声」を取り上げている。
僭越ながら、当ブログが倫理と道徳に基づいて回答させて頂く。
だったら飲むな、馬鹿者!
トランスジェンダーというのは病気である。先ずは治療に専念せよ。さすればその様なケースにおける摂食障害は、跡形も無く消え去るであろう。
その発言をした人物は、お前にとって真の友人たり得る可能性のある人物である。先ずはその意見を尊重せよ。そして、『ノーマル』に戻る為の治療を受けよ。最低限、言動だけでも『ノーマル』に直せ。
「デブ」を「デブ」という言葉以外で表現しているだけである。嫌なら「デブ」に戻すが?
体重。
単なる被害妄想だが、お前に関しては「まだまだダメな存在」という自己評価で間違いないと思う。
知らんがな。
当ブログでは左翼、全体主義者を詐欺師の一形態とし、その様な詐欺師に洗脳された者を「愚図」と呼んでいるが、「愚図」は古今東西を問わず存在する。
左翼、全体主義系詐欺の甘い言葉に騙されて「愚図」と化すのは、人類という種が抱える持病の様なものである。
抜粋した内容がノルウェーという国の標準であるならば、ノルウェーは国家規模で病んでいるという事に他ならない。
共感するどころか理解不能である。同じ世界の出来事とは思えない。
共感した者は、自分が病人である事を自覚しなければならない。
見なければ良い。
因みに、何をどう間違ったとしても「投稿しないで」などと言ってはならない。
「投稿しないで」というような言葉、或いはそれに類する意味の言葉を言おうとしている。
外道である。
引用したプロパガンダもそろそろ終わりなので締めに入りたい。
抜粋した一文だが、このプロパガンダはこれを言いたいが為に書かれたものと断言出来る。「家族」と「資本主義」の否定。どちらも左翼、全体主義にとっての天敵である。
私はよく、(「選択的」といった枕詞が付く場合を含む)夫婦別姓を旧ソ連の政策と揶揄するが、この機会に旧ソ連の政策が大まかにどの様な方針だったのかを書き出してみよう。
1.伝統と文化を破壊
旧ソ連政府が共産化を推進するに当たり、抵抗したのは国民であった。抵抗させない為には国民を弱体化させる必要があり、その為には国民の強さの根源たる伝統・文化を破壊する必要があるとした。
強さと自信を失うことで国民は弱体化する。弱き国民は政府による補助を求める。政府組織は肥大化する。
左翼、全体主義系詐欺の典型例である。
伝統と文化を破壊する上で旧ソ連政府は何処に目を付けたのかというと、家族、そして宗教である。
2.家族の絆を破壊
伝統や文化は先ず第一に、親から子へ受け継がれるものである。
教育を「公教育」として牛耳る事で子供達に共産主義を植え付ける一方、家族という枠組みを破壊する事で、親による軌道修正を封じ込めるという事である。
旧ソ連政府による家族破壊政策は、ざっくり以下の様な感じである。
「役所の登録だけで婚姻関係が成立する様にした。後に、登録無しの婚姻も登録された婚姻と同等とした。」「近親相姦、重婚、姦通を刑法から削除した。」「希望者に対し、医師は堕胎に応じねばならないとした。」「社会的正義を親よりも重視すべしという教えを公教育にて実施した。この際、子供達には親が共産主義を否定するならば、告発するのが正義であると教えられる。」(※補足②)
3.宗教の否定
宗教とは道徳の根源である。
道徳とは自由の根源である。
道徳を尊重する者によって構成される社会に複雑な法や規制は必要無く、背徳者が蔓延するに従って法や規制は複雑化する。法や規制が微に入り細を穿つものになれば、自由は阻害される。道徳は自由な社会を構成するに当たり最も重要な要素である。
「宗教が道徳の根源」とは何なのかというと、例えばユダヤ教やキリスト教の十戒。これが道徳である。
1.主が唯一の神である。
2.偶像を造ってはならない。
3.神の御名をみだりに唱えてはならない。
4.安息日を覚えて、これを聖とせよ。
5.汝の父母を敬え。
6.汝、殺すなかれ。
7.汝、姦淫するなかれ。
8.汝、盗むなかれ。
9.隣人に対して偽証してはならない。
10.隣人の家を欲してはならない。
ここで言う「神」を、ユダヤ教徒やキリスト教徒以外の者はどの様に理解すべきか。私の場合は「善悪の基準」と考える。「善悪の基準は不変である。」「人が己の価値観で善悪の基準を造ってはならない。」「人が己の価値観で善悪の基準を批評してはならない。」という事である。
別に、必ずしも十戒を拠り所とする必要は無いが、重要なのは、人は教えられなければこの様な認識を持つことは無いという事実である。
左翼、全体主義者にとっての最重要事項は、プロパガンダの流布と道徳の破壊である。
無垢な子供達の真っ新な思考に共産主義を叩き込むと同時に、自由の根源たる道徳を破壊する。これが旧ソ連の政策である。
道徳を子に与える責務は先ず第一にその子の親が負うものである。より有効にそれを果たすならば、家族の絆は重要である。
もしもノルウェーという国において「家父長制」が伝統的に受け継がれてきたのであれば、何としても守らねばならない。
もう一つ。左翼、全体主義者が躍起になって否定する資本主義とはどの様なものか。
人が汗水垂らして働いて得た金銭や、それによって購入された諸々のみならず、その根源となった労働力、更にその労働力の源泉たる身体、頭脳、時間、生命。これ等全てが個人の資産である。
この事実を正しく理解し、他者の私有財産権侵害を悪と断ずる。これが資本主義の本質である。
よく、資本主義は以下の様なレッテルを貼られる。
1.金持ちが貧乏人を奴隷化するシステム
2.企業が従業員から搾取するシステム
3.何もかもが自己責任の冷徹な社会
4.完全能力主義の血も涙も無き社会
5.自分勝手な儲け主義者が跋扈する社会
6.弱き者は生きられない社会
7.人種差別を生み出す思想
8.環境破壊を促進する思想
9.民主主義を危機に陥れる思想
もしも資本主義がこの様なモノを齎すならば、真っ先に逃げ出すのは資本主義者自身であろう。
考えてもみれば良い。この様な国の際たる例は、支那や北朝鮮の様な共産主義国家であり、イスラム原理主義国家である。どこも資本主義国家では無い。
資本主義の本質は私有財産権の容認と保護である。自由闊達で民主的な社会において、各個々人が資産の保有を認められ、保護される。これが経済成長の基礎である。
「労働力は商品」という概念が存在する。
資本主義と並び、左翼、全体主義者が敵視する概念である。この概念の否定論者は資本主義否定論者と 99.9 % が兼業である。
何故なら、「労働力は商品」という概念が正しく行使されなければ、本当の意味での資本主義は実現されないからであり、資本主義の本質が正しく理解される社会において、労働力は正しく商品として扱われるからである。
労働者の身体、時間、生命が正しく資産として認識されるならば、提供された労働の結果に対して対価が支払われねばならない。これが機能する資本主義社会において、「奴隷化」「労働力の搾取」などという事態は起こりえない。
日本でもLGBT精神疾患を個性扱いしたり、デブをそうと指摘する行為に対してセクシュアルハラスメント扱いするという、不気味な空気感が広がりを見せつつある。
その行き着く先の一つが、本投稿で指摘した様な「家族の否定」「資本主義の否定」である。
病人の国と評したノルウェーであるが、我々日本人は彼らを反面教師としなければならない。LGBTを精神疾患と正しく認識し、「デブ」を「プラスサイズ」などと恐る恐る呼ぶような愚行を跳ね除け、伝統と文化を守らねばならない。
※補足①:政府が解決すべき事案
SDGsなる共産主義を政府が是とするが故に、多くの民間企業が共産主義に傾注させられている。
「デブ」を例に取れば、政府が「事情を鑑みる事無く全ての人はデブに痩せろ!と言わねばならない」という法を布いたという事である。
SDGsの蔓延を防ぐのは政治家の仕事である。
※補足②:選択的夫婦別姓
夫婦別姓を旧ソ連のやる事と断ずる意見に対し、「具体的に夫婦別姓が旧ソ連で法制化された事実は無い」などと言い、返す刀で夫婦別姓を肯定するバカがいる。
言葉尻だけを拾い上げ、ミクロな視点に埋没して本質的な問題を遠避けるのは左翼の常套手段である。
この場合、「家族の絆を弱める」という点に着目しなければならない。夫婦が各々異なる苗字を名乗った場合、その夫婦間に産まれた子供はどうすれば良いのか。父親と母親、何方かの姓を名乗るのか、それとも全く別の姓を名乗るのか。その様な状況で円満な家庭は築けるのか。築ける者もいるだろうが、確実に「円満な家庭」は減るであろう。
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