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Re: 【短編小説】ShortジョンHopeダニエル

 脳味噌が痒い。
 本来は脳味噌に痛覚なんてものは無いので痒いと言うのはあり得ない。
 だが感覚として痒い。
 別におれが狂っている訳じゃない。
 いや、判断を違えたと言う意味ならおれは狂っていたのかも知れない。

 何があったか順を追って話そう。


 いつだったか、年上の同僚がこんなことを言っていた。
「寝る間際にね、布団に入って天井を見ていると、その暗い闇がこっちにどんどん落ちて来るんだよ」
 美形だが報われなさそうな面構えの女だった。
 それはお前が上司と不倫関係にあるからだろ?と笑わない程度の社会性がおれにある事を感謝するべきだし、顔射を許すくらいの度量を持つべきだ。

 話が逸れた。
 おれ自身は寝付きが良い方だったので、その不倫女の話を笑い飛ばしていた。
 だが最近になって、おれの寝付きが悪くなると状況は変わってきた。
 脳味噌の奥の方から昔の厭な記憶がゆっくりと伸びてきて脳味噌のシワと言うシワに入り込んでいく。
 引っ張り出そうにもそれはできない。
 もどかしい思いをしているうちに、おれの脳味噌は厭な記憶に占領されていく。

 あれは厭なものだ。
 不愉快さが自分の血管にまで染み込んで、おれの全身を不愉快さが駆け巡るんだ。
 跳ね起きるようにして布団を出て、ジョンダニエルで喉を焼いてから眠る。
 気絶するのさ。
 厭な記憶に脳味噌を焼かれ続けるよりは少しだけマシだからな。
 だがそんな生活じゃ眠りは浅い。
 あの頃に言ってた同僚の言葉も今ならわかる。
 別に天井は落ちてきやしないが、それが別の形になっているだけだ。

 疲れてしまうよ。
 缶コーヒーはまるで麦茶みたいな味だし、肉は殆ど段ボールみたいな食感だ。
 心療内科だとかカウンセリングに電話してみたら、受付の女が
「それはセックスの不足ですね」
 なんて言いやがる。
「じゃあ先生の今日の空き枠はありますか?」って訊くと
「明日の口開けが先ほどキャンセル出まして、120分なら」
 なんて抜かしやがる。
 アンタでも構わないんだぜ、と言う前に予約は完了されて電話は切れた。

 だから結局、その日の夜は眠れない。
 眠れない事にまた苛立ってジョンダニエルを飲み続ける事になる。


 ところがこの前の日曜日に近所を散歩していた時に、変な薬局を見つけたんだ。
 インターネットの奴らが好きそうな、ボロボロの割に面構えが良い店だったよ。
 気まぐれさ。
 その漢方薬局に入ってみたところ、これまた絵に描いたような胡散臭い老人がおれを見るなり
「ちょうど良い薬があるよ」
 と言って笑ったんだ。
 歯は全部あったが、陶器みたいな白さだったよ。

「ものは試しだよ」
 老人の差し出す漢方薬独特の匂いと味に顔をしかめながら飲んでみたが、その晩は何にムカつくでもなく良く眠れた。
 だから次の日、仕事帰りに立ち寄ってその薬を買ったんだ。
 老人は笑っていたよ。


 最初はプラセボかと思った。
 しかし何日も続くと、漢方薬の効果なんだと思わざるを得ない。


 その日からおれは毎晩その薬を飲んで眠った。
 何にもムカつかず、脳味噌の奥から甘い眠りに誘われて気持ちよく眠った。


 しかし一か月ほど経った頃だ。
 脳味噌に何か違和感を持つようになった。
 脳味噌が痒いのだ。
 脳味噌に痛覚など無いのだから痒いなんてあり得るはず無いのだが、痒い。
 頭蓋骨と脳味噌の隙間を何かが這い回っているような不快感がそこにあった。


 おれの脳味噌を何かが蝕んでいる。
 頭を叩いた。
 そいつらは脳味噌の隙間に逃げ込んだような気がした。

 気のせいだろう。
 気のせいだと思いたい。
 不安に駆られて飛び起きるとキッチンに飛びついてジョンダニエルを煽った。
 アルコールが喉を焼く。
 鼻に抜ける匂い。


 ため息を吐いた。
 あの店に行って何かを訊こう。
 これはどうかしている。


 おれはその週、ジョンダニエルを飲んでどうにか眠る日々を過ごした。
 いつもの夜に戻ったよ。
 ムカつく胸くそ悪い記憶から逃げるように酒を飲んで気絶して目覚める。


 そして次の日曜日、おれ例の薬局に向かった。
 カウンターの奥にいる怪しい老人に頭蓋骨の中を這う虫の感覚について話すと、老人は笑って頷きながら
「そうでしょうそうでしょう、そろそろ来る頃合いだと思っていましたよ」
 と言ったんだ。


 不愉快な笑いだった。
「どういう事だ」
「あれは厭な夢を食べる虫ですから」
 老人はこともなげに言った。
「食べる厭な夢が無くなると、脳味噌を食べ始めますでの」
 老人が持っている瓶の中で、やたらに細長い形をした虫が這い回っているのが見えた。
「ほれ、出てきましたよ」
 おれの耳から何か出てくる。
 目から、鼻からも何か出てくる。
「まぁ、これでしばらくは良く眠れるでしょうて」
 虫は老人の持つ瓶の中に這入っていった。


 おれは薬局を出て酒屋に寄り、ジョンダニエルを買って帰った。
 あれを忘れられる薬をくれとは言えなかった。
 やめた煙草にも手を出した。
 これで眠れるならそれでいい。

 覚えているのはこれだけだ。
 むかしのことはもう何も覚えていない。

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