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Re: 【短編小説】代行DOGG

「じゃあこれで」
 サインを貰って受領書の控えを渡す。
 できるだけ感情を殺した顔をしようと努める客はおれと目を合わせようとしない。
 当たり前だ。
 老人ホームは高過ぎるし、火の鳥に乗せられる金も無い。ならディスポーザーに入れるしかないが、自分ではできない。
 何が起こってるか分からないジジイを荷台に積み込むんで車を出させる。
 サイドミラーの中で客が小さくなる。
 おれたちの中からも客の顔が消えていく。

 シートを取り外した後部カーゴに載せたが揺れた気がした。ファントムバイブレーションと言う冗談があまり笑えない。
「動いたかな」
 ジジイを固定してるベルトを確認したが、緩んではいなかった。
 胸くそ悪かった仕事も慣れれば終わりだ。
 稼ぎも悪くない。
 これからの需要もしばらくは見込める。
 面倒ごとの代わりは金になる。誰だって金を払って済むならそうしたい。


 早朝の空をぼんやりと眺めていると、はるか彼方に見える黒いそれが山なのか雲なのか分からなくなる。
 いつも見ている景色ではあるが、いつも意識しいている景色ではない。
 あれは果たして山か、雲か。
 雲であるとは思うが、意識していなかっただけでもしかしたら山なのかも知れない。
 なんだっていいか。
 知ったところでおれの世界が変わる訳じゃない。おれの環の外だ。


 車体が撚れた走りをして運転席を向く前に男が唸り声を上げた。
「どうかしたのか」
「犬の死骸があった」
 運転席に座る男はむっつりとした顔で答えた。
 時速100㎞で走る車から見えたそれがゴミなのか犬なのか瞬時に見分けられるのは大したものだ。
 そいつの言う事を信じれば、だが。
 おれはバイクで走っている時にそれが犬かゴミか判断がついた事なんて無い。
 車より遅いって言うのに。


「犬だったらどうかするんだ?」
 おれは視線を前に戻して訊くと、運転席の男は「飼ってた犬を思い出すんだよ」と答えた。
 そう言えば飼い犬が死んだと言ってたがまだ苛々しているらしい。
 これだからB型の人間は厭なんだ。
 勝手に不機嫌になるだけならまだしも、周囲をお構いなしに巻き込む。
 おまけにそれに対して無自覚だ。
 最低のクソだが、ヒトラーはなんでB型を断種しなかったんだ?

 
「同じ犬種だったのか?」
 興味は無いが質問した。
 社用車は禁煙だから煙草を吸えない。だから何でもいい、唇を動かしたい。
「まったく別の犬種だよ」
「それなのになんで思い出すんだよ、違う犬なんだろ」
「死んだんだよ、うちの犬も。あの横たわった姿が」
 そこまで言って、男は不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 相変わらず厭な男だ。
 話を聞いて欲しいのか訊かれたく無いのかも言わないしはっきりさせない。
 面倒だな、と思いながら「じゃあ車と止めろよ、保健所に電話しようぜ」と提案した。
 すると男は「何言ってるんだお前は」と言う顔で俺を見ると
「その必要は無いだろ、どうせ野良犬だから」
 と言った。 
 まるでおれが狂っているかの言われようだ。


 実際に自信が無くなってくる。
 路上に転がっていた犬の轢死体、またはゴミを見て激しく動揺したかと思えばあれは自分に関係が無いと言い捨てる。
 これが正しい日本男児なのかも知れない。
 自分のスタッフの親族が死んだ話を聞いて泣ける男だ。
 そのお陰でおれは休日出勤をしている訳だが、それもこいつには関係がない。
 

 男は視線を前に戻して「それに寄り道してたら間に合わないだろ」と続けた。
 また荷箱が揺れた気がする。
「お前はいちいち通報するのか?老人を捨てようとしてる人たちがいますって」
「するかよ、そんな事」
 おれはいい加減に面倒くさくなって会話を打ち切りたくなった。
 こいつと同じシフトになるのは次がいつか頭の中で確認を始めた。
 


「しないだろ、それと同じだよ」
「別におれは荷台の爺さんを見たって、うちの爺さんを思い出したりしないけどな」
「なんだ、それ」
 運転席の男は気味悪いものを見る顔でおれを見る。
 腹立たしい。
「メタファーですらないだろ、そのまんまだよ」
「何言ってるかわかんね」
 男は相変わらず日本男児みたいな態度で運転を続けていた。
 狂ってるのは世界か?
 正しいのはおまえだけか?


 いや、狂ってるのは俺なのかも知れない。
 だとしたら、あれはやはり雲じゃなくて山なのだろう。
 次にこいつとシフトが被る日には有給を出してあそこに行ってみよう。
 そうすればあの黒い線まではおれの環世界だ。
 おれの領域だ。
 曖昧さがなくなって明確になる。
 おれにはそれが必要だ。


 ジジイが椅子から落ちた気がする。
 それも気のせいだ。
 なにせおれは狂っているからな。
 それにさっきのは犬じゃない、捨てられた野良ジジイだ。

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