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小市民悪魔主義者、自称早稲田大学准教授の生活と意見。(1)

この物語は、ぼくがかつてSNSを通じて出会った早稲田大学准教授とみずからを紹介する自称グルメ、小市民悪魔主義者の物語です。


それはまだぼくたちがSNSに楽観的で性善説だった頃のことであり、東日本大震災が起こった後でもあった。ぼくはミクシィを通じてかれと出会った。かれには哀愁たっぷりなボロいおかしみがあった。絵に描いたような中年男で、駅前居酒屋の赤ら顔の大酒飲み、臭い息が似合うのだけれど、しかし実際にはかれは酒は一切飲まなかった。もっともかれの場合は飲まなくても酔っぱらっているようなもの。他方、ぼくは広告や雑誌編集、ネットの書評そのほかで勝手気ままに生きて来た男で、若者のような恰好をしていてもぼくもまたとっくに中年だった。しかもぼくの方こそ大酒飲みだ。ふつうだったらかれとぼくに縁などない。ところがSNSはおそろしいもので、ほんらい出会うはずもないぼくらを出会わせてしまう。なお、若い頃ぼくは英文学を学んだことがあって、いまとなっては不思議なことにぼくはけっこう夢中になった。だからこそぼくにはかれの話す英文学の話題が懐かしかった。かれは早稲田大学の「准教授」だそうな。


はじめて会ったときぼくはかれに言った、「ぼくにとって英文学は青春のおもいでですよ。春がくるたびぼくはおもいだす、April is the cruelest month まったく残酷なことだ、廃墟となり果てた世界にまた春がおとずれる、その虚無感。・・・ぼくは懐かしさで狂いだしそうになる。」
かれは言った、「T.S. Eliot の The Waste Landですね。」
ぼくは続けた、「ぼくはあの詩を読んだとき、
映画のようなカットバックのかっこよさとスピード感に魅了されたもの。しかしその後かれの文学論を読んで、なんだとんだ白人至上主義者じゃないかとげんなりして、それからぼくは李白を愛するようになったものですよ。」
かれは言った、「ほんとですかスージーさん、李白まで!」
ぼくは言った、「嘘ですよ、そんなん言ったらかっこいいかなとおもって。李白なんて白髪 三千丈しか知りませんよ。」
かれは言った、「なーんだスージーさん、冗談ばっかり。」
ぼくは答えた、「“わたしの白髪は9キロメートル、憂いがそうさせしめたのだ”、笑っちゃいますよね、いくら大河の比喩とはいえ、そんな妖怪みたいなじいさん登場させてどうする?」


李白


しかし、しばらくつきあってゆくなかでかれの内なる ささやかな怪物性 にぼくは気づいた。たいていの人はこの世界をほどほどには愛するだろう、家族、恋人、友達、仕事、会社、暮らしている街、はたまた心にしみこんだ音楽、映画、文学作品、贔屓の飲食店・・・・。しかし、かれが愛するものは片手の指にも満たないごく限られた対象だけ。それでいてかれはいつもポケットに稲穂をしのばせことあるごとに取り出しては肥えた顔の前でひらひらさせるのだ。(わたしは早稲田大学の准教授です、わたしを尊敬するように)という要求である。いつしかぼくはかれを本のように読んでゆくようになった。本の主題は虚栄心、ちいさな嘘、道徳の欠如がもたらすもの、そして/あるいは・・・。




当時かれは四十歳を標榜していたけれど、しかし脂ぎった皮膚のたるみはどう見ても五十歳を越えていた。まず第一にかれは風貌がちぐはぐだった。髪は横分けというのか。肥えた顔に銀縁眼鏡。まぶたには脂肪がたっぷりのっている。細い目。首は太く短く、ワイシャツに染みだらけのネクタイ。アーガイル柄と呼ぶのもためらわれる鼠色地にピンクのくたびれはてたVネックのセーター。多摩川の河川敷生活者が洗濯して干してあるのを奪ってきたようなジャケットを着ていて、左肩のところにはてのひらサイズの黒皮があててある。いつも重いショルダーバッグを斜めにかけるためジャケットの左肩のあたりが痛みがちで、それを防止するための措置だそうな。腹はでっぷり前方に突き出し、ふくらはぎの中央部までの丈の幅広ズボンを穿いている。(丈が長いと裾がほつれてコスパが悪いからだそうな。)鼠色のソックスはずり落ち長芋のような脛が覗き、優しい犬が川辺で見つけくわえてきてくれたような靴のようなものを履いている。


かれはそんなみすぼらしい身なりでカネ持ちアピールをするのだ。「東大教員なんてしょせん みなし公務員ですからね。給料はだんぜん早稲田の方が高い。わたしは早稲田大学の准教授で、またいくつもの他大学でも非常勤で教えてますから、年収1000万円はいってますけどね。いえ、わたしなんて庶民ですよ。あったりまえじゃないですか。だいたい日本社会がおかしいんですよ、年収300万円の連中が三ツ星レストランへ行くなんて世界中で日本だけですよ。
ぼくは言った、「センセ、自慢もけっこうですけど、せめて洋服の青山で六千円払って新しいスーツの一着も買って、そして東京靴流通センターで三千円ていどの合成皮革の靴でも買いましょうよ。失礼ながら、いくらなんでもその恰好では年収1000万円が泣きますよ。」みんな声をあげて笑った。



しかし、かれは毅然と抗弁した。「わたしがどのように自分のおカネを配分しようがわたしの自由です。そもそもわたしは外見よりも内実を重んじていますからね。しかもこう見えてもわたしはいつも側室を欠かしたことがなく、これまでに自分の年齢と同じだけの数の女たちとやってますから。」
ぼくは言った、「側室ってセンセ、江戸時代の皇族のおつもりですか? 志村けんさんのコントですね。で、年齢と同じだけの女といえば50人は越えてますよね?」
「失礼な、わたしは四十歳ですよ。」
「マジですか? ってことは四十人の女たちと!?? センセ、どんな地引網使ってるんですか。ただし、逆に言えばやったそばから逃げられてるわけでしょ。」
かれは憮然として言った、「あのね、スージーさん、ポジティヴ・シンキングっていう言葉を知らないんですか?」

かれは私鉄沿線にある60年代にできた団地の街に暮らしている。(大学教授であるらしい)奥様も、そして(当時)13歳の息子もいると言っていた。しかし家族がかれに口をきいてくれることはなく、かれはしたしい友人には奥様のことを鬼と呼び、かれをまだよく知らない女たちには自分が独身であるかのように匂わせた。ことあるごとにかれは亡くなった自分の父親は永田町勤務でしたと、まるで官僚であったかのように言った。


「准教授」は焼肉と珍獣肉と駅弁、そして『銀河鉄道999』と新幹線を愛している。焼肉店においては富士見台の「焼肉問屋牛蔵」、「亀戸ホルモン」、月島「ホルモン在市」を讃美する。ハラミ、コブクロ、ミノ、ハツ、ホルモン、マキ、肩三角、かいのみ、ブリスケ、ざぶとん、 ロースにカルビ・・・かれにとってそれらは恋人の名前よりもよほど魅惑的なのだ。焼肉店以外では「准教授」は秘密の韓国料理店で食べる犬肉はもちろん、珍獣肉料理専門店でひよこのロースト、ヤモリのから揚げ、トド刺、鳩刺、牛の睾丸の網焼きなどかれはえたいの知れない数々の肉をむさぼり食べる。



そしてもうひとつの「准教授」の熱愛の対象は駅弁である。かれは毎年年明けに新宿京王百貨店で開催される『元祖有名駅弁とうまいもの市』に通っては熟慮の結果選び抜いた1ダースほどの駅弁を買い込み、まず階段だか屋上だかで四つか五つたいらげ、残りは電車のなか勤務先、そしてまた電車内で食べ尽くす。「准教授」は脳内で列車に乗って日本全国を駆け抜け、窓から流れゆく風景をおもい浮かべぐんにょり笑顔になる。



そしてかれは新幹線が大好き。かれは全国の鉄道の駅名をすべて暗記し、新幹線が鹿児島から青森まで開通したことをことのほかよろこんだ。「いまや新幹線を使えば、鹿児島中央-新大阪間が4時間10分、新大阪-東京間が2時間半、東京-新青森間が3時間、なんと一日で鹿児島-青森間を走破できるんですよ。スージーさんなんてE5系はやぶさなんて乗ったことないでしょ、あのロングノーズの長い長い先頭、エメラルドグリーンに輝くボディ、アルミニウム合金による中空トラス断面構造、それでいてインテリアは穏やかで落ち着いたくつろぎの空間、工学の最先端、世界の鉄道のなかのエリート中のエリート。まさにわたしが乗るために生まれてきたような新幹線ですよ。」



なるほど、新幹線はあくまでもかれをジェントルマンとして遇してくれる。その上その土地土地の選び抜かれた駅弁さえ運んできてくれるのだ。「准教授」は次から次に駅弁を喰いまくり、心は『銀河鉄道999』の鉄郎になって肥えた顔をぐんにょりほころばせる。

焼肉と珍獣肉と駅弁しか好きな料理がないかれも、しかし見栄を張るための食事はまた別である。かれはレストラン批評家・友里なにがしを師と仰ぎ、ミシュラン評価と照らし合わせ店選びをしていた。そして「准教授」はみすぼらしい恰好で祇園の料亭や東京の三ツ星フレンチ、懐石割烹、高級鮨屋、その他ひじょうに広範囲に食べ歩く。「コスパ、コスパ、コスパ~♪」とニワトリみたいな鳴き声をあげながら。


コスト・パフォーマンスと言えば、ふつうは「費用・対・効果」のことながら、しかしかれにおいてはなるべく少ないカネでなるべく大きく見栄を張れることである。


「准教授」は文化芸術と風流の演出も欠かさない。話題の美術展に足を運び、京都へ出かけるのも大好きだ。花鳥風月的なものの鑑賞。春には桜や牡丹を見に行く。夏にはたったひとりで花火大会を二十回もまわる。秋はモミジを見に行き、冬はイルミネーションを見てまわる。第九鑑賞も欠かさない。しかしかれはいつもカラオケで歌うらしい『青葉城恋唄』以外に音楽を愛する心もなく、松本零士先生以外の絵を鑑賞する能力もない。しゃぶしゃぶ用の牛ロースの「薔薇」盛りつけ以外の花にかれが関心など持つはずもない。情緒的感受性もない。自分が好きでもないことを趣味にしてこんなにも趣味を取り揃える男なんて聞いたことがない。すべてはブログで他人にひけらかすためのリアル充実アピールなのだ。いったいこの人はどういう脈絡でこういう人になっただろう?


あるときかれはポンペイ古代美術展を観に行った話をうれしそうに話した。ぼくは言った、「すべての道はローマに通ず、の時代ですね。ローマが燦然と輝く一大土建屋帝国だった時代、三菱地所も三井不動産も叶わないほど。」
するとかれは「エースコックのこぶたのコックさん」みたいな顔できょとんとしている。

訊けばかれはローマ帝国がもっぱらイタリア半島にだけ存在していたと信じていた。ぼくは呆れた。言うまでもなく古代ローマ帝国はけっしてイタリア半島にのみあったわけではなく、 地中海全域、いまのイスラエルのあたりも、果ては北アフリカ(マグレブ)、はたまたガリア(ケルト)まで、オーストラリアもオランダも、そしてパリもロンドンもローマ都市だった。 ものすごく広域な版図でありだからこそ帝国なのだ。 ローマ帝国は戦争をやって奴隷を調達し、一方で既存の都市と契約を結び、他方で都市と都市のあいだにニュータウンをこしらえた。そこには屋外の円形劇場、競技場、水浴場、羊皮紙の巻物の書物を収蔵した図書館、集合住宅があって、快適な暮らしが約束されていた。しかも奴隷たちにも階級があって、上級奴隷は国家公務員のようなものだった。さて、この偉大なる古代ローマ帝国がなぜ滅亡したのか、それについては諸説あって。そのうちのひとつの解釈は(もともと多神教だったにもかかわらず) 最後の頃キリスト教を国教とした挙句、分裂してしまったというもの。 そしてそこから「いわゆる西洋史」がはじまってゆく。 ここを押さえておかなくては西洋史はわからない。しかし、ぼくは黙っていた。かれのメンツを潰すのが気の毒だったから。



あるときかれは「マンハッタンは京都を範に格子状にデザインされました」と珍説を述べた。


誰がそんな与太話を信じられるだろう、格子状の都市は古代ローマがいたるところに作りもしたし、そもそも放射状の都市と並んでいたるところにあるではないか。
かれは言った、「本に書いてあったんですよぉ。
あるとき食事会にフランス人が混ざっていた。みんなたのしく英語でしゃべっているなか、かれだけがうつむいて携帯にこびりついた垢を爪楊枝で熱心に掃除していた。いつのまにか稲穂はポケットのなかに消えていた。(後にぼくが知ったことにはかれの英語圏滞在はロンドン一週間だけだった。)しかも「准教授」は英語で複数の人間がしゃべっている状況に参加する術をも見つけられないようだった。この男はほんとうに英文学専攻の早稲田大学准教授なのだろうか?



「准教授」のおそまつな実態がバレてゆくにつれ、「准教授」の態度はどんどん悪くなっていった。たとえば前述のフランス人をパートナーに持つ女性が東大大学院へ社会人入学した話をする。するとかれは言った、「まんまと鴨になりましたね、大学経営にとって、社会人学生がいちばんおいしいんですよ。」はたまた彼女が外国へ引っ越すので至急マンションを売りたいと言う。するとかれは話題にした、その土地の汚染度を。「准教授」は彼女が英語やフランス語を自由に使えることに対して激しく嫉妬していたのだ。また「准教授」は東大に対しても謎の敵意を持っていた。



そもそも「准教授」は世間話の仕方を知らなかった。誰かがどこかの高額名店で食事をした話をする。するとかれは言う、「次回はわたしにごちしてください、持てる者が持たざる者にごちするのは稲の倣い、ごちになることこそまさにコスパサイコーですからね。」かれにとっては冗談のつもりなのだ。また、かれはサーヴィス料金が総額に対してパーセンテージでかかる店をぼったくりと糾弾し、デートでおごってもらいたがる女たちを乞食女と罵倒した。かつてのかれが仲良く一緒に食べ歩きしていた美食友達をも笑いものにした、「和食屋のご主人のご機嫌を取るために、年末に3万円のおせちを2個も買うなんてバカですよ。」かれはぼくのことも陰でいろいろ言っているらしかった、「スージーなんて何十年間もカレー喰い続けて舌なんてボロボロですよ、それでいっちょまえにフレンチ通まで気取ってるでしょ、豚の生姜焼きにボンカレーでもかけて喰ってりゃいいんですよ。」




#創作大賞2023 #漫画原作部門


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http://tabelog.com/rvwr/000436613/

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