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あなたも中華料理のエッセンスがわかる。(街中華の炒めものがおいしいのは、秘伝のチキンスープを使うから。)

まずは前編の粗筋から。人気食べログレヴュアーのおひとり、東大院卒がご自慢のパコ崎ミャ子さんとぼくとの一連の街中華論争のなかの中心的話題をお届しましょう。まず最初に、ぼくはこんな文章を書いた。「街中華においてほぼすべての炒め物は、おたま一杯ぶんの秘伝のチキンスープもしくは肉骨水煮スープを入れて炒めるだからこそ街中華のその店の実力はサーヴィスで出して来る掻き卵入りチキンスープの味でわかるもの。」



するとパコ崎ミャ子さんは(ぼくをアクセス禁止にしたうえで)根津の街中華のレヴューにかこつけてぼくへの反論を書いた。正確には彼女のお友達(彼女同様、東大院卒設定)の口を借りて。ふたりの会話はまるでひとり二役みたいに息が合っていて、しかもふたりの味覚も瓜二つ。ひじょうに非中央値的で多数派の舌を持つ者には信じがたい異様な舌をお持ちの、気の合うおふたり。確率論的にきわめて低いめぐりあわせがここに実現しています、奇跡のように!



チャーハン大好き男は言い放つ、「”スープを炒め物にオタマ一杯ジャバジャバ入れるから旨い”って・・・たとえばチャーハンにおたま一杯ぶんのスープを入れてみろ。べっちょべちょになって喰えたもんじゃないだろ。」そしてかれはこう言い添える。「中華の味って、元をただせば大きいくくりでのスパイスと脂、油でしかない。」(なお、「大きいくくりでのスパイス」とはニンニク、生姜、長ネギ、タマネギ、赤トウガラシ、緑トウガラシ、八角、五香粉あたりのことでしょう。)かれは続ける、「でも、間違っちゃいけないのは、家庭でも素材と調味料はいくらでも揃えることが出来るが、火力と火力を扱う技術が家では再現出来ない。」



かれはさらに重ねる、「町中華は、早い、安い、盛り良く旨いが三種の神器。バカみたいに、町中華に来て、添え物のスープをテイスティングして・・・”うん。この出汁は丁寧に作られている。ここの料理は全て当たりに違いない”だって、オタマ一杯のスープを全ての料理にブチ込んでベチャベチャにするのだから・・とかマジで孤独死のグルメだろ。」



いやぁ、驚き桃の木イチョウの木、三四郎池のほとりのミズキの木。呆れてものが言えません。(もちろん誇張表現ですが。)いくら食べログとて公共空間ですよ、リラックスしてくださいな。少し酔いを醒まして、まずは血糖値と血圧を下げて、そしてあなたは理性を大事にしてくださいな。いかトー(いかにも東大院卒)でしょ。


さて、ぼくは反論しなくちゃいけませんね。チキンスープの真実は後ほど解説しましょう。すべての中華料理好きを驚きあまって椅子から転げ落とす、かれの奇想天外なお言葉、「中華の味って、元をただせば大きいくくりでのスパイスと脂、油でしかない」、なぜかれがこのようなわけのわからない妄言を(イチョウマークのドヤ顔で)なさるのか、ここに潜む謎もまた、生理学的にも社会学的にも解いてゆきましょう。



本稿は以下9つの小項目でお届けします。


(1)中華のほとんどの炒めものには、秘伝のチキンスープを使う。
(2)家庭でおいしい中華料理を作ることはほんとうに不可能なのか? 
(3)世界の炒め料理の火力/温度。
(4)油通しというテクニック。
(5)中華料理のおいしさは、醤=sauceが決め手であること。

(6)どうしてかれの話題はチャーハンに終始するのか? 
(7)料理について偉そうに語るなら、せめて5品くらいは調理を覚えましょうね。
(8)東大院卒という病。
(9)身体と表現そして思考の関係~体を大事にしてくださいね。


では、順を追って。



(1)中華のほとんどの炒めものには、秘伝のチキンスープを使う。

まず最初に、あなたがたにはお気の毒ながら、ぼくはけっしてチャーハンに(!)チキンスープをおたま一杯分入れるなんてことは一言たりとも言っていない。もっとも、たしかにぼくは〈ほとんどの炒めものにおたま一杯ぶんのチキンスープを入れる〉とは書いた。なるほどぼくの言葉にも隙はあった。それは認めましょう。しかし真実は以下のとおりである。チャーハンは完璧にドライな仕上げを求められるがゆえに、チキンスープを入れるわけにはいかない。だからこそ、チャーハンと味の素は切っても切れない関係なのである。



他方、中華の炒めもののほとんどには、秘伝のチキンスープを用いる。たとえば野菜炒めのようにセミドライに仕上げることを理想とする肉野菜炒めであってなお、できるだけ野菜の水分を抜くことと、チキンスープを用いることはまったく矛盾しない。じっさい肉野菜炒めの調理はこんなふうにおこなう。まず最初に。中華鍋を湯気が立ち昇るまで熱し、油をひいて。豚コマを炒め、ニンジン、ピーマンを投入し炒めあげる。その後いったん炸鏈(ジャーレン:穴あき中華鍋)に引き取って油を切って皿にとって。次に塩を振ってキャベツを炒め、キャベツがしんなりして嵩が小さくなったならモヤシを投入し、15秒ほど炒め、それも炸鏈にあけて油を切って皿に取って。そして醤油、オイスターソース、味醂、ラードを混ぜつつ熱し焦がし、チキンスープも入れて強火で加熱します。鍋のなかは高温ですからあっというまに揮発しはじめ、濃度はどんどん高まってゆきます。こうして醤(=ソース)ができてゆきます。最後に前述の食材すべてをあらためて中華鍋に投入し、前述の醤を素材全体にまわし、そして水溶き片栗粉をまわしかけ、最後に胡麻油をまわしかけて仕上げる。ざっとこんなふうに(時間をかけて仕上げた)秘伝のチキンスープを活用する。


また、たとえば麻婆豆腐ならば、まず最初に、中華鍋を湯気が立ち昇るまで熱し、挽肉をニンニク、ショウガ、豆板醤(と、お好みで甜面醤)とともにドライになるまでしっかり徹底的に焼きあげる。次に豆腐を入れ、チキンスープを加え、赤唐辛子の粉と花椒を振ってソースとして食材全体に浸み込ませ、そして水溶き片栗粉でとろみをつけて料理全体をコートする。最後に胡麻油をまわしかける。こういう例は中華の炒めものに山ほどあって、むしろチキンスープを使わない炒めものの方がめずらしいほど。


このくらいチキンスープは炒めものに大活躍する。こんな大事なおいしさの素を、手間を惜しんで味の素や味覇に譲り渡す料理人はほぼいません。街中華を舐めてはいけません。


(2)家庭でおいしい中華料理を作ることは不可能なのか? 

いいえ、まったくそんなことはありません。なぜなら、問題は火力ではなく、温度ですから。たとえ中華料理店のような強火熱源による調理が不可能な家庭の調理環境であっても、そうとうおいしいチャーハンを作ることはじゅうぶん可能だ。

コツは(テフロンではなく)鉄製の中華鍋を使うこと。


なぜなら、テフロンパンは調理に先だって5分以上空焼きすると260度以上になるおそれがあって、そうなると有害物質が溶け出すから。次に大事なことはけっして冷ごはんを使わず、炊きたてのごはんを使うことです。また、調理前に卵を常温に戻しておきましょう。


以下は詳しい説明。たしかに中華料理店の火力は12000キロカロリー~20000キロカロリーであり、他方家庭用のガスコンロはたかだか3600キロカロリー~せいぜい4000キロカロリーであって、おもちゃのようなものだ。しかしそれであってなお、知恵とコツによって、家庭用コンロであってもそうとう善戦することができる。



中華鍋を5分空焼きすれば250℃くらいにはなる。もちろん食材を投入すれば温度は下がるし、鍋を動かせば食材の温度は変化する。調理中の温度はおそらくせいぜい160℃くらいではないかしら。なるべく高温を維持したい。だから家庭用コンロで調理する場合は鍋を(けっして火からは離すことなく)前後にゆすり、たとえば木ベラを使って食材を動かし、鍋縁の高温をも活用する。要は、その調理器具の最大火力を最大限に活かす油および鍋の扱い方を身につければいいだけのこと。具体的には、中華料理の炒め物を作るにあたって、左手で中華鍋の柄を握って火の上で前後に揺すり、右手で木ベラかおたまを動かす、その連動もまた上手にできるようになるまでにはけっこう時間がかかるもの。すなわち調理もまた最適な体の動きを覚えることが必須なんですよ。


(3)世界の炒め料理の火力/温度。

そもそも中華料理の〈炒め〉は、ネパール料理からフランス料理にいたるまで、世界中のどこにでもあるベーシックな調理法である。たとえばフランス料理ならば〈炒め〉はsauté と呼ばれる。ただし、フランス料理の料理人は中華料理の料理人ほどには火力を求めない。その理由はフランス料理がもともとストーヴ調理として育ってきたことと関係しています。インド料理の料理人の場合も、なるほど近年は強い火力を好む人が多いとはいえ、コンロの火力選びは人それぞれです。インド系の屋外イヴェントにおける屋台調理をおもいだしてくださいな。あんな簡素な調理環境でさえもけっこうおいしい料理を作れるもの。そもそもインド料理は歴史的に長らく牛糞燃料を使ってきたゆえ、強火調理はせいぜいここ30年の流行に過ぎません。もちろんどんな火力を選ぼうが、その火力を活かす油と鍋の使い方があるものなんですよ。



もしも例のかれがフランス料理のポークソテー(Porc sauté)を召しあがったとして、果たしてどんな感想を述べるかしらん? 「う~ん、悪くはないけど、ガスコンロの火力が小さいね。中華料理のボーボーの強火を見習ったらどうだろう?」もしもかれがこういう感想を吐くならば、その審美的一貫性をぼくはあっぱれと感じ評価するでしょう。しかし、いまのところかれにその可能性は、ない。


では、なぜ、かれは炒め(=sauté)について中華/フレンチのダブルスタンダードを採るでしょう? 答えはあきらか。かれの五感が死んでいて、自分の舌で食べることができていないからでしょう。


(4)油通しというテクニック。

なお、チャーハンの話題を離れるならば、中華料理には炒めるに先だって野菜や肉に100℃を越える温度の油を潜らせる油通しというテクニックがある。あれを家庭でおこなう人は少ないでしょう。他方、街中華は必ずこれをおこなう。この油通しを、(料理について幼児のようにあどけない)例のかれは、火力効果と勘違いしている可能性もある。


(5)中華料理のおいしさは、醤=sauceが決め手であること。

チャーハンは別として、中華料理の炒めもののほとんどには、〈醤=sauce〉が活躍します。木耳と卵の炒めものはもちろん、麻婆豆腐、エビチリ、酢豚、ニラタマ、モヤシ炒め、レバニラ炒めも、野菜炒めも。そして多くの料理においてその醤のベースになるのが、大事な大事な秘伝のチキンスープなんですよ。もちろん他にも、醤油、オイスターソース、紹興酒、ラードもまた活躍しますけれど。どうぞ、横浜・関内の中華街で料理人に「おいしさの秘訣はなんですか?」と訊ねてくださいな。きっとかれは答えるでしょう、「ジャンに決まってるじゃん!」



(6)どうしてかれの話題はチャーハンに終始するのか? 


これは、かれの(謎の)持論であるところの「中華の味って、元をただせば大きいくくりでのスパイスと脂、油でしかない」という奇抜で独創的で世間の目耳を驚愕させる中華料理観と表裏一体であることでしょう。


もちろん中華料理好きにとっては、まったく意味不明の妄言です。それでも愛をもって推理するならば、以下のような理解の可能性がひらかれます。(おそらく同一人物でしょうが)パコ崎ミャ子さんおよびこの方にとっては、チャーハンこそがもっともシンプルに中華料理のおいしさが表現されているのかもしれません。さて、では、なぜかれらはそうお考えになるのか? それはおそらくかれらの舌の謎に由来します。かれらの味蕾はひじょうに非標準的で、独創性あふれるものだからでしょう。なるほど理想的チャーハンはすべての米粒が(香味野菜の風味を浸み込ませた)油でコートされている。したがって、チャーハンには油脂の舌触りがある。軽く振った塩による塩気もある。(もっとも、必ずしも塩は塩味のために用いるわけではなく、むしろ塩は食材の味を引き出すために用いるものでもあるとはいえ。)ダイスカットされた煮豚の甘味もある。ここで塩と甘味とうまみの相乗効果を考察することも有益でしょう。少数派ながら、酸味も加えたい人は酢も使う。中華料理のミニマリズムがここにある。チャーハン、万歳! ざっとこんな意見ではないかしらん。一見、筋のとおったご意見であると言えないこともありません。


しかし逆に言えば、その他方でかれらにガン無視されているのがチャーハンの胡椒の香り、加熱された卵の優しいおいしさ、グリーンピースの緑の風味、そして大事な大事な味の素3振りによるうまみです。(なお、ぼくはけっしてうまみ調味料礼讃派ではありません。とはいえ、チャーハンのみならず、とくに家庭料理においては、ひかえめに味の素や味覇を使い分ける妥協は現実的な選択です。)ところがこれらすべての要素はけっしてかれらには感受されることなく、ただチャーハンはぐちゃぐちゃどろどろにされ、暗い食道を落下し、胃袋の暗がりのなかに落ちてゆきます。知覚できないものは存在しないと同じです。



さらに踏み込むならば、(おそらくふたりは同一人物でしょうが)、かれの意見には「チャーハンを極めることこそが中華料理を極めることなのである」というようなグルメマンガさながらの幼稚なはったりテーゼが潜んでいるのかもしれません。(類例を挙げるならば、「オムレツを極めることこそがフランス料理を極めることである」みたいな、まったくわけのわからない珍説もある。)もしもそんなはったりテーゼが潜んでいるとすれば、それがそもそも間違いなのよ。チャーハンを極めればチャーハンが巧くなる、ただそれだけのこと。百歩ゆずってたとえチャーハンを極めたところで巧くなるのはせいぜい青菜のガーリック炒めその他の小グループに過ぎません。それが証拠に、たとえチャーハンを極めたところで、けっして麻婆豆腐は巧くならないし、小籠包の達人になれるわけでもなく、北京ダックをすばらしくおいしく焼きあげられるわけもありません。あたりまえのことでしょ。


(7)料理について偉そうに語るなら、せめて5品くらいは調理を覚えましょうね。


たとえあなたがたがどれだけ味覚の前衛芸術家であられるにせよ、どうぞせめて五品、ご自分で何度も何度も調理して、頭と手を使ってコツを身につけてくださいな。たとえば野菜炒め、麻婆豆腐、青椒肉絲、エビチリ、そしてチキンスープは用いないけれどアサリの酒蒸し。たとえそれだけでも調理をしっかり身に着けたならば、どんな中華料理であっても(また他の国の料理であっても)調理法に勘が働くようにもなれば、料理の成り立ちに察しがつくようにもなるものなんですよ。逆に言えば、あなたがたのように料理をまったく作ったこともなく、(しかもあなたがたの場合はどんげらぴょーでのっぴょっぴょーな洋の東西稀なる舌で)料理を味わって、うまいだまずいだ囀って、家へ帰って手あたり次第に蘊蓄をかき集めてレヴューをお書きになったところで、とんちんかんなことしか言えないのはあたりまえです。



また、調理をすることは五感を活性化させることでもあって、得られるものは計り知れません。なぜなら、頭で覚えたことって知識も頼りないし、しかも覚えたそばからすぐ忘れちゃうでしょ。それに対して自転車を乗りこなすこと、水泳をすること、そんな体で覚えたことは一生忘れません。料理だって同じことなんですよ。あなたはけっしてご自分の味覚障害を怖れることなく、どうぞ調理に挑戦してみてください。食べるのもご自分ならば被害者もでません。


(8)東大院卒という病。

まず最初に、読者にとってはパコ崎ミャ子さんが東大院卒だろうがカイロ大学卒だろうがどーーーーだっていいこと。しかし、「彼女」はそれを連呼する。「彼女」がホラ吹きであることは周知のことながら、ホラ吹きとていくらは事実も言うもの。とは言え、もちろんもしも疑おうとおもえば「彼女」が東大院卒であることさえも疑い得るのだけれど、しかし、ここではそれは問わないことにしましょう。なぜなら、「彼女」のお書きになる文章を支えている知識はいかにもあわててかき集められた粗末な検索情報であり、かつまたその陳腐な情報の上に成り立っている文章にはおおよそ論理性が欠如しているものの、しかし、それでも文章上の「彼女」の態度とふるまいには腐臭を放つモラルハラスメント(=東大属性)が十分にそなわっているから。なぜ、いかトーはこんな腐った人間になり果てるでしょう? そこには理由があります。



若かった日のあなたがたが赤門をくぐったとき、そこに刻まれたダンテの『神曲』地獄篇の詩の一節に気づくことはなかったでしょう。しかし、いまのあなたがたはその文字をお読みになれるはず。あの門にはひそかに刻んであります。

Chi passa attraverso questo cancello,
abbandona ogni speranza.
この門をくぐる者は
一切の希望を捨てよ。


なぜ、このような不吉な言葉が赤門に刻まれているのか? お答えしましょう。東京大学は、世間的にはいまだその幻想的価値が信じられているにせよ、しかし実際には深い闇を隠し持っています。


東大教員たちの境遇は悲惨なもの。まず最初に大学教員は院卒ゆえ、就労は28歳以降、しかも非正規雇用からはじまる。出世できるか否かは、業績もさることながら、教授へのおべっか、コネ、そして運次第。なかには生涯非常勤講師という気の毒な先生もまた少なくない。こうなると貧困に甘んじる他ない。「高学歴ワーキングプア」は水面下で激増中です。他方、運よく東大の専任講師になれた先生がたも、あれやこれやの雑務に追われ、研究の時間もなかなかとれない。しかもそれは教授になれても同じこと。



2004年以降国立大学が独立行政法人となって自分で稼ぎを上げなさいということになって。同時に、国立大学の先生がたは全員「みなし公務員」となった。(つまり国家公務員法にしたがう存在として、公務員に準ずる立場となった。)
しかも国立大学の入学費と授業料は文科省によって標準額が定められていて、学部の差もなく、基本的に入学金28万2000円、授業料が53万5800で、6年間の総額は約350万円です。さいわい東京大学は莫大な不動産資本を持っているゆえ、経営の苦労は小さいとは言え、しかし、そんな東京大学と言えども20世紀の研究者たちのような研究の自由はもはやありません。



なにせみなし法人ですから、大学の先生方の仕事もまたお役所的になるのはやむを得ません。次に、この改革は〈大学は経済・産業に直結した教育をおこないなさい、日本の国際競争力を高めるために!〉というお達しとセットになっています。文系の先生方の受難は計り知れません。あれからもう20年も経ちました。


そもそも東大の先生とてその給与は(日本の中央値給与よりは高いとはいえ、しかし)NHKや商社などのカネ持ち企業の給与には及ばない。それでも東大の先生がたは(いじらしくも)こんな思想を持つに至る。人の尊さはカネではない、知性の高さなんだ。なるほど、一見これは清らかで尊敬しうる立派な考えのように見える。しかし、その実態は尊さから遥か遠くかけ離れていて。かれらはつねにカネの苦労にさいなまれ、外部からの研究費獲得に悪知恵を絞るようになる。とうぜん研究は歪んでしまう。(例のSTAP細胞論文詐欺事件は理研発でけっして国立大学発でこそなかったものの、しかし、同じ文脈のなかで生まれています。また、同列に並べてはいけないかもしれないにせよ、京大発のiPS細胞だって論文に深刻な瑕もあれば、また目も眩むような巨額の資金を集めたにもかかわらず、現実的成果はあまりにもショボい。)他方、幸か不幸か文系研究者の多くには研究費調達の道さえもきわめて限定的でおおむね額も小さい。しかも噂では東大教授になってさえも図書購入費はわずか年間20万円。そんな悲惨な境遇に閉じ込められているにもかかわらず、しかし東大研究者たちは上辺だけは知を愛し、真理を追い求める人物であるかのように自身を偽りながら、学外世間に対してふるまう。とうぜん学生もまた、そんな欺瞞的態度に感染してしまう。



いかトーのみなさんは、ほぼ全員が学歴差別主義者で、しかもご自分が行使しておられる暴力性の自覚がない。ご自分だけをひたすら尊重し、他方、非東大の民草を誰かれかまわずバカにする。(本稿で話題のパコ崎ミャ子さんのように、そんな悪心を隠しながらイケイケキャピキャピ40歳を演じたところで炎上するのはあたりまえです。)


だって、世間の民草とてけっしてあなたがたがおもっておられるほどにはバカじゃない。あなたがたのハッタリ満載の悪魔的態度は誰にだって丸見えだもの。だから、いかトー(いかにも東大)は嫌われるんですよ。


そもそも いかトーのみなさんはそんなふうに他人に不幸を撒き散らしながら生きていて、そんな人生、ご自身だって楽しくないでしょ? 幸せに生きることは義務のひとつです。どうぞ、(ご自分を尊重することとともに)、どんな他人をもまた尊んでくださいな。たとえ東大院卒であろうと、ご自分の手でおいしいモヤシ炒めさえ作れないならば、街中華の料理人を「さすがプロだなぁ、偉いもんだなぁ」って尊敬すればいいじゃないですか。しかし、あなたがたにはそれができない。なぜか? それはあなたがたにはこれまでの人生で他人を尊重する能力が育ってないからなんですよ。もちろんそれはあなたがたが手を使わず、体を動かして技術を身に着けた経験が少ないことと関係しているでしょう。かわいそうに!(しかも、実はおいしい料理を作ることができる料理人は例外なく頭がいい。頭の良さの基準が いかトーと違うだけです。)



なお、公平のために言い添えるならば、そんな東大とて破格の大秀才たちは、例外なく五感を使えるもの。五感こそがほんとうの知性を育てるものなんですよ。逆に言えば、五感の使えない秀才など、できそこないのウィキペディアに過ぎません。




もしもあなたがたに他人を尊敬する気持ちが生まれたならば、あなたがたは超絶嫌な奴からより小さく嫌な奴へと、その腐った精神が小出世できるでしょう。言い方を替えるならば、遥か彼方の天空にまぼろしのように見え隠れする〈善なるもの〉にわずかなりとも近づける。それが(1日1歩、2日で3歩、3歩進んで2歩下がる、そんな)地獄から這い上がる幸福への道。「いかトー、天国への道(早く人間になりたい!)」(クソゲー)。どうぞ、悔い改めてくださいな。


いかトーのおふたりは毎日人に会うたびこんな挨拶をなさったらどうかしら、「学歴一流、頭は二流、味覚偏差値25ですッ!」そうすりゃ世間もあなたを赦し、あなたを仲間(せめて賛助会員くらいには)入れてくれますよ。


(9)身体と表現そして思考の関係~体を大事にしてくださいね。



それにしてもパコ崎ミャ子さんの文章能力の、なんて高いことでしょう! だって、どなたかがお書きになった文章を読んで(ここまであからさまに)書き手の味蕾が心配になることなんて、ぼくはこれまでの人生で一度もなかった。いまのぼくにはあなたのあまりにも非典型的な味覚がありありとわかる。あなたの過去レヴューを拝見したところ、驚くべきことにあなたをよろこばせる味は、醤油、ウースターソース、ケチャップ、味醂、砂糖の味、油脂の舌触りしかない。(厳密に言えば、味噌だの海苔だののおいしさもしおわかりになるのでしょうが。)なるほど、そんなわけであなたにとってフランス料理は意味不明、インド料理もただひたすら謎、中華料理でさえも、醤油と甘味と油脂の舌触りしか感じ得ない。あなたはダシの味を感受できないゆえ和食でさえも麻布十番ふじや食堂の外に出ることができない。たいへんにお気の毒です。これだけ非標準的な舌で無邪気にはしゃいでレストラン・レヴュアーをやっておられるところがまた、さすがいかトー、イチョウマークの糞度胸です。



もっとも、あなたのお陰でぼくは味覚障害のリアルについて学ぶことができました。感謝申しあげます。味覚障害の原因はさまざまですが、もっとも多いのが加齢です。「彼女」に「中の人」がいてその人はご老人ではないのか、という疑惑が生まれるのも当然でしょう。一般に老人は加齢によって味覚が衰えてゆく傾向があります。また、「中の人」が糖尿病にかかって、さらには糖尿病性腎症にまで至っていれば、亜鉛が吸収されず排出されることによっても起こります。さらには糖尿病薬剤によっても。降圧剤によっても。ましてや「彼女」が総入れ歯だとしたら、入れ歯が口蓋の大部分を覆ってしまっているゆえ、上顎の奥の味覚を感じる部分が隠れ、しかも噛み合わせが合わず唾液の分泌も減って、結果、味蕾の感覚ははなはだしく衰えてしまっているでしょう。



そのうえ難儀なことに、味覚障害は食欲減退、体重減少、体調不良をひきおこします。原因が糖尿病の悪化であるならなおのこと。とうぜん人は不機嫌になって、怒りっぽくもなって、思考もおかしなことになってしまうでしょう。もちろんお書きになる文章もまた。しかも、あなたの場合はHbA1cも血圧もともにきわめて高そうですから、加齢にともなう脳の萎縮も人一倍。いかトーのアイデンティティも崩壊寸前です。



じっさいいまのあなたはきわめて情緒不安定です。おそらく感情の老化が起こっていて、その原因として前頭葉の萎縮が疑われます。それが証拠にあなたはご自分で考えることもめんどうくさがって、ただひたすら検索文献の引用にすがる。おのずと論理性も欠落。いまやヤク中患者の自動書記みたいなありさまになり果てています。そこが人気の食べログレヴュアー、パコ崎ミャ子さんの唯一無二の破天荒な魅力だとはいえ。(しかし、けっしてむかしのあなたはさすがにいくらなんでもここまで破れかぶれな文章をお書きにはならなかった。むかしのあなたは向田邦子ふうのエッセイを上手にお書きになっていたじゃないですか。あなたの才能が朽ち果ててゆくことがぼくは悲しい。)



つまりいまあなたは実存の危機を迎えておられます。はやく自覚なさったほうがいいですよ。なるほど、たとえ自分がボケ老人になろうとも書いて書いて書きまくる、そんなあなたの自称もの書き魂をぼくはあっぱれとおもいはするけれど。しかしだからといっていまのあなたはけっしてカツラかぶってメイクしてカラコンつけて女装して、文末処理に工夫を凝らし、イケイケキャピキャピ40歳を演じて、踊り踊って浮かれ騒いでいる場合ではありません。


身体条件と表現の関係について考察してみましょう。たとえば、マリー・ローランサンがど近眼であったことと彼女の画風は密接に結びついています。他にウィリアム・バロウズの小説の文体とその世界は、かれが徹底的なヤク中だったことを抜きには考えられません。わが国の箏曲は盲人の演奏家たちによって継承されてきたもの。非盲目者は箏曲を聴くことをつうじて、盲人の感受する世界を感じることができます。料理人もまたその人の料理とその人の身体条件は密接に結びついています。たとえば大酒飲みのフランス料理のシェフはたとえ魚や肉は抜群に上手でも、デザートに関心が薄いことが多い。また、一般に喫煙者の料理人など論外だと言われがちですが、しかしぼくはイタリアンにひとり、インド料理にひとり、喫煙者の味覚の個性を活かした魅力的な料理人を知っています。かれらはさまざまな苦味と多彩な果実味、そしてその諧調を巧みに使い分け、たいへん魅力的な味覚の世界を描きあげます。はたまたぼくはホーキング博士の量子宇宙論をふさわしく理解することはできないけれど、しかしかれの宇宙論がかれの筋委縮性索硬化症(ALS)と相似的であることにぼくは深い感慨を持つ。なぜなら、宇宙物理学の思考でさえもそれを研究する人の固有の身体とむすびついているとおもわずにはいられないから。もちろんこれはあたりまえのこと。絵を描くのも小説を書くのも料理を作るのも宇宙物理学を思考するのもほかならないその人の脳であり、脳もまたほかならないその人の体の一部であり、脳はつねに全身と連関しているのだから。これは万人にとっての真実です。


しかし逆に言えば、ホーキング博士のように身体的受難を生きていてさえも、必ずや理想的なバランスの取り方が存在することもまたわかります。すべての基本がご自分の体にあることをどうぞ理解してください。そして体の声に耳を澄ませてください。体がよろこぶことを優先してください。



ほとんど考えにくいことですが、もしもほんとうにパコ崎ミャ子さんが実在の40歳女性であるならば、ゆっくりお風呂にでも入ってリラックスして、シャンプーでもして、脇でも剃ってくださいな。風呂で温まれば血行も良くなってほっこりしあわせな気持ちになるでしょ。ていねいにシャンプーすれば脳の血流も良くなる。そして脇を綺麗に剃りあげるのも美女のたしなみ。脇を綺麗に剃りあげることにもささやかな技術が必要。いつの日かあなたにも現実から学べる日が来るといいですね、論文や本からではなく。まずは、あしたにでも大学病院の耳鼻咽喉科で受診なさってくださいな。


最後に、初代林家三平師匠のお言葉でこの文章を〆ましょう。



体、大事にしてくださいね。


この文章の前編はこちら↓


こちら(↓)は、パコ崎ミャ子さんフランス料理を食べに行くの巻。




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