セクシュアリティが解放されると、どうなるの?
こんにちは、心理カウンセラーのスズキチサです。
「セクシュアリティの解放」が、最強!かつ、無敵!!な生き方術である。
と、提唱し続けている私ですが、
今回は、そんな私の「セクシュアリティ」について、書いていこうかと思っております。
興味が無かったら、ごめんなさい。
でも、もしお時間がおありでしたら、「セクシュアリティの解放をしたら、どうなるの?」という、一例としてお読み頂けたら幸いです。
こんな文章の始まりから分かるように、
私は自分のことを話すのがとても恥ずかしいと思っていて、たいそう苦手です。
「人に堂々と話せるような人生を送ってきていないんで。」とか、
「私のことなんて、気にしないでください。」とか、
「ぜんぜん、面白いネタとか持ってないんで。」とか、
そう思って生きてきました。
ただ、この「自分のことを話したがらない」=「秘密主義」(そう見えるだけで、本人はその自覚はなし)というのは、
実は「セクシュアリティが抑圧されている状態」の症状のひとつでもあります。
「私はずいぶん小さな頃から、セクシュアリティを抑圧してきた」と、気づいたのは、本当にここ1年くらいの間のこと。
そんなセクシュアリティの抑圧から、それによる痛い恋愛歴、
その後のセクシュアリティの解放、
そして、解放の後の私の変化についてを書いています。
【セクシュアリテの抑圧】
小さな頃から、私の憧れは「綺麗で穏やかで、大人の色気がある女性」でした。
「うる星やつら」で言えば、
(女の子大好きな私は、たくさんのかわいい女の子が出てくる「うる星やつら」が大好きでした)
明るくて健康的なエロさのあるラムちゃんでもなく、
ランちゃんのような可愛らしいふわふわな女の子でもなく、
どこかミステリアスで、しっとりとした色香の漂う、雪女のおゆきちゃんが、わたしのダントツのお気に入りです。
女の子として生まれて、「可愛く綺麗で色気のある女の子」に憧れていたのにもかかわらず、
私はずっと、ショートヘアで、スカートを履かせてもらえない子供時代を過ごします。
母が私に選ぶヘアスタイルやお洋服は、ロングヘアやレースやピンクなどではなく、
パンツスタイルで、黒やグリーンなどのボーイッシュなものばかりでした。
その頃、私はなぜ、
「そんな格好は嫌だ」、「もっと女の子らしく髪を伸ばして、かわいい服を着たい!」
と、訴えなかったのか、記憶がありませんが、
たぶん、母にそれを伝えることが怖かったのかもしれません。
私の母は感情の起伏が激しく、
私には、「なぜ怒られているのか分からない」理由で、よく叱られていました。
愛情をかけてくれる量も比例して多い母でしたが、
それが過干渉や厳しさとしても現れていました。
私は母のことが、とても怖かったのです。
「私はぜんぜん可愛くない」
「女の子じゃないみたい」
「だから、きっと、誰にも好きになってもらえない」
こんな劣等感と、自分への嫌悪感を、ずっと抱えたまま育ちます。
思い返せば、幼少の頃から、私のセクシュアリテの抑圧が始まっていました。
【セクシュアリテの抑圧による、痛い恋愛歴】
いつしか私は、私が愛されるのは「女の子」としてのふわふわとした可愛らしさや美しさではなく、
「かしこさ」や「成績の良さ」、そして「失敗しない、しっかりもの」である部分だと、感じはじめました。
わたしが「本当になりたい私」にはなれないし、誰もそれを望んではいない。
愛されるために、「みんなが喜んでくれる私」になることを選び、私は生き始めます。
当然、そんな自覚はなく、あたかも自分がそれを望んでいるかのように、その道を進んでいくんですね。
でも、ずっとどこかに
「私は愛されない」という思いと、
「愛されたくて、しかたない」気持ちを持ち、
それと、抑圧されたセクシュアリティに反して「性的なものへの関心」も強まっていきます。
心理学的に見るとごくごく自然な流れ(?)で
強いセクシュアリティを持って生まれた人間が、それを抑圧する子供時代〜思春期を過ごしたわけです。
みんなが同級生や年上の彼氏を持ち、楽しそうに恋愛をしているのに、私は全く「恋」の気配のない思春期を過ごし、「女性」としての劣等感を募らせていきました。
そして10代の終わり頃、そんな私もやっと、恋愛を経験しはじめます。
「愛されない」と思っていた私が、
男性から「恋愛対象」として見られることが、起こり始めました。
それは、母からの干渉が緩まり、
「私がなりたかった、女性らしい外見」を選ぶ自由を、持てるようになった頃からです。
10代の最後から20代の始めにかけて。
この頃に、私の女性性が開き始めたのだろうと思います。
「愛されない」と思っていますから、
自分から恋心を抱いて、それを伝えることなど、ありえない考えです。
私の恋愛はいつも、相手からの気持ちに応えるスタイルでした。
私が好きになった訳ではなく、
相手が私を「好きだ」と言ってくれたから始まったのに、
いつのまにか、追いかけて依存するのは私ばかりです。
「わたしは愛されない」
「深く愛されたい」
その思いが「自分を犠牲にして与える」ことと「嫌われることへの怖れ」という、絵に描いたような痛い恋愛を作り出します。
私に好意を持って熱烈に口説いてくるのは相手なのに、
身体の関係になって、その間もなく後、
私はすぐに「飽きられ」てしまう。
私はたくさん「愛」を与えているのに、なんで?
私はこの「なんで?」を探りたくて、恋愛を繰り返していたように思います。
いったい、いつ、ちゃんと私を愛し続けてくれる人と出会えるんだろう、と、思いながら。
私は恋愛歴がスタートしてからずっと、相手が途切れたことがありません。
ひとつの恋が終わりそうになると、次の「誘い」がやってくるのです。
だから、恋愛を繰り返すことは、私には簡単なことでした。
むしろ、「恋愛が途切れている状態」が、私には分からないのです。
ただ生きていれば、何かの匂いを察知したかのように、相手が勝手に寄ってきます。
それが私のセクシュアリティの強さからくるものだと知ったのは、ごく最近のことです。
ただ、その繰り返される短い恋愛を経験していく間もセクシュアリティを抑圧している状態は続いていました。
「私は愛されない」。
そうやって、「本当の愛の繋がり」を求め続けていた私は、23歳のとき、結婚をします。
出会った当時、相手は既婚者で、
罪悪感を感じていた私は、誰にもこの恋について知らせることはしませんでした。
人目を憚る恋愛にのめり込み、誰にも秘密でその関係を続ける。
セクシュアリティの抑圧をしている人間は、そんなアンダーグラウンドな恋愛を経験することが、ままあります。
私も当然のように、そんな恋愛をし、
そして、その彼と結婚をします。
人から奪った、この人をずっと大切にしなければいけないと思っていました。
その罪悪感と、「正しくいなくてはならない」という観念が、
また「愛」ではなく、より強い「犠牲」へと変わっていきます。
こちらが愛だと思って与えているものが、実は「犠牲」であれば、
パートナーとの関係に歪みが出るのも当たり前です。
私には全く心当たりのない「妄想の浮気相手」を疑われる嫉妬・束縛から始まり、
私の生活や態度に怒り、罵声を浴びせられる日々が始まります。
今で言うモラハラだったのだと思います。
「自分らしさ」を抑圧していた私は、
彼から毎日与えられる恐怖によって「自己否定」を強め、
結婚生活の終わり頃には「自分が誰なのか分からない」という状態になっていました。
そんな生活が6年続き、
「ずっと大切にしないといけない」と、心に決めていた相手から、
逃げ出しました。
相手から振られる恋愛をくり返してきた私が、
はじめて自分から関係を終わらせる選択をしたのです。
今思えば、そんな状態から自力で逃げる決意ができた自分の「生命力」の強さに、我ながら驚きます。
その離婚を機に、
私は小さな頃からずっと感じていた誰かからの「束縛」(母親や、モラハラのパートナー、そして自分自身の「こうでなくてはいけない」という観念)から、
自分が解放されたような感覚を覚えました。
これが、おそらくずっと抑圧されてきた、セクシュアリティの解放のきっかけだったのだと思います。
【私を肯定してくれる人との出会い】
当然ですが、恋愛での自己肯定感はマイナス値を記録し続けていた私です。
離婚をしても、
「愛されたい」思いは消えず、恋愛を求めるこを止めることができませんでした。
離婚後、すぐに恋愛関係になった人がいます。
彼は昔からの知り合いで、私から連絡を取り、自然な流れで会うようになります。
とても穏やかで、優しくて、私のことを全く否定せず、
私の考えや行動の、どんなことも信頼してくれる人。
その彼のおかげで、私は自分が肯定され受け入れられることを知り、
とてつもない安心感と、その先に「愛で繋がる」ということを経験します。
彼に受け入れられることで、自己受容と自己肯定をすることも、少しずつできるようになっていきました。
私の「愛されない」「愛されたい」という慢性的な寂しさは消え、
「犠牲」や「取引き」のない、
「ただ」愛する、ということを体感します。
私にとって、本当にとても大きな変化です。
そんなことを教えてくれた相手が、今の旦那さまです。
彼との出会いで、私は変わりました。
彼はおそらく、自己肯定感の高い人です。
心理学では、その心理的距離の近さから、
パートナーは鏡、とか、
自分が変わればパートナーも変わるというようなことが言われています。
私はきっと、彼の自己肯定感の高い生き方と、忖度のない愛に触れたことで、変われたのだと思っています。
なぜ、自己肯定感の低い私が、そんな彼との出会いを引き寄せたのか。
それは、どんなに恋愛で傷ついても、「本当に繋がる愛」を諦めきれずに求め続けた「生命力」があったからかもしれません。
要は抑圧されているとはいえ、もともと持っているセクシュアリティの強さからなのではと、ずいぶん後になって、心理学を学ぶようになってから気づいたのですが。
【セクシュアリティの解放】
地を張っていた私の自己肯定感は、旦那さまと繋がることで、徐々に上がっていきます。
まるでスイッチが切り替わったように、私の人生は変わっていきました。
「愛されたい」という不安や、焦り、
ずっと何かに拘束されているような「不自由さ」が薄まっていき、
「できない」と思い込んで諦めていた事に、
「やってみる」という選択肢が現れ、実際に「やりたいこと」にチャレンジをするようになっていきました。
その「やってみたい!」と、ワクワクする感情から始まるチャレンジの連続は、
後に「心理学を学ぶ」こと、そしてそれがライフワークへと繋がっていきます。
「愛」と繋がることで自己受容・自己肯定ができるようになり、もともと持っていたセクシュアリティが解放され始めたことで、
「自由に生きる」ことを自分に許し、
本来の「自分らしさ」が解放されたからこそ、
心理カウンセラーというライフワークに辿り着けたと、私は思っています。
それ以外にも、
「こんな自分ではダメだ」とか、
「もっとちゃんとしなきゃ」とか、
「こんな私はきっと嫌われる」などの自己嫌悪や自己否定もなくなり、
自分の「心(感情)」の抑圧やコントロールも手放し、これまで嫌っていたネガティヴな感情を許し、
そのままを受け入れることで、
自分自身の感情に振り回されることもなくなりました。
「自分で頑張って、自分でなんとかしないといけない」とか「こうならないといけない」という、キュウキュウの心理状態から、
誰かに助けてもらうことや、予想外の出来事にもその行先を信じて委ねることができるようになり、
そのことから、「どんなかたちでも、自分が心地よければ、それで良い」と、生き方の幅が桁違いに広がりました。
その開ききった状態の私は、
観念を多く持ち、本来の自分を抑圧している(とくに同性の)人からは、
おそらく敬遠されたり苦手だと感じられたりするのかも知れません。
ただ、その事すらも気にならなくなります。
自分を愛して、信頼して側にいてくれる人たちに目を向けて、私もその人たちを信頼し、リラックスして毎日を生きられるからです。
セクシュアリティを解放することで、
私は「愛」と「自分らしさ」と、そして「心の自由」を手に入れました。
もの凄いことのように書いてきましたが、
要するに
「めっちゃくちゃ楽ちん」で
「いつでも楽しい」という、
そのことだけしか無い、
自分の人生のコントロールは全く手放しているような、
とても自由な状態だということです。
今、とても辛かったり、悩んだり、いろいろなことに振り回され、
「自分らしさ」と「自由」が抑圧されてしまっていて苦しさを感じている方には、
その問題の解消から始めて、セクシュアリティの解放をしていくことをお勧めします。
自分の経験から、「セクシュアリティの解放」が、最強の生き方術だと、私は確信しているからです。
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【スズキの個人カウンセリングのお知らせ】
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