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努力を肉体労働でしか判断できない国…

「なぜ大量にお金を稼ぎたいのか」

という理由には、大体

「大量の時間を確保したいから」

という共通点があります。


映画やスポーツ観戦などの
娯楽がない人生であっても生きていくことは可能ですが、
好奇心興味関心は、
人生をより豊かにするためのスパイスなので
時間を使ってより豊かになろうとするのは自然な行為です。

だけど「時間」「お金」は比例します。

現代は労働という対価がお金という社会です。

日本では汗水たらした苦労が対価として捉えられ
「かけた時間のぶん、どれだけのお金を稼げるか」が重視されています。

楽に稼ぐ方法というと「苦労もせずに…」と言われますが
それは大きな勘違いです。

はっきり言って楽に稼ぐ方法など存在しません。


成功者も人知れず努力をし、
その対価を得てきました。

しかしながら、成功者とそうでない人では
その努力、労力、苦労の観点が違うため
誤解を生み、嫉妬、妬み、偏見を生む原因となっています。


その違いのひとつとして
お金を得るには「知識」が重要になりますが

その知識を得ることを努力と捉えることが一般の人にはできません。

そしてその得た知識で
判断、決断した利益を不純と捉えてしまいがちです。

分かりやすく言えば、
「肉体労働以外は努力と認めない」という概念。

努力を肉体労働でしか判断できない国は
先進国では日本以外にありません。

むしろ日本において知識の努力は卑しいとか
頭のいい人への嫉妬とかマイナスのイメージしかないのが現状です。


アメリカでは、お金持ち=「頭がいい」と言われます。

単純な作業的労働は、発展途上国の価格の安い労働力の方々でもできます。

近い将来、人間じゃないものにすらその座を奪われていきますし
すでにそのような社会へと舵を切っています。


先進国の人が生活水準を保とうとする場合
今後、知識には常に貪欲である者が
ますますお金を得てゆき、格差が広がっていきます。

そして知識を吸収しなくなった飽きっぽい人は、
ますます稼げなくなっていきます。


知識の差がますます貧困の格差を広げる要因になりますが、
勉強しない者や、情報弱者と呼ばれる人たちは
その事実すら気付かず、悲しいかな
知らずのうちに社会構造の一部に吸収されています…


そんな人は一生自分の時間を持つことなんてできない

その時間を自由に使えるお金も手に入れることはできないでしょう。

残酷なようですが…
まずはこの事実を「知る勉強」からだと思います。

どうやって勉強したらいいんだという勉強も必要
勉強の勉強で何が何だかわかんない…

情報化社会が進みすぎて
情報が溢れすぎて何が何だかわかんない。

でも何が自分にとって適正な勉強方法かなんて誰にもわかりません。
答えなんてあるようで何もないものです。

自分の思い描くような人生や仕事が現実とかけ離れているのなら
それは今までのあなたの
知識、判断、決断が間違っていたと認めるべきでしょう。
そしてこれらを改めなければ
1年後も10年後もそれの延長でしかありません。
1年前の今日を思い出せないように結果に変化はあり得ません。

勉強と言っても何も机に向かってカリカリしたり
読書をするってことだけではありません。

新しいものに触れたり
新しい出会いを求めたりと
環境を変えることも勉強の一環です。

些細な変化が大きな結果をもたらした、なんて話は良くあります。
きっかけなんて誰にもわかりません。


現状維持の先は現状維持という結果のみです。



ありがとうございます!お気持ちは寄付させていただきます。