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ショートショート「シャトルラン狂想曲」

〜ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド〜

「99」

僕は肩で息をしながら、懸命に目の前の白線を追いかけた。もうすぐで目標の100回だ。ちらりと横を見ると、友人のケンジを含めた5人が並走していた。

「100」

〜ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド〜

よし、なんとか100回を超えられた。僕は体力がない方なので、この記録はよくやったといえる。だが、まだまだ、こんなところで満足してはいけない。ふと、視界の隅にシオリちゃんが映った。「よし」と、僕は一層気を引き締めた。彼女のハートを射止めるためにも、校内新記録を出してみせる。

すると、突然、ランナーズハイになった脳内にとある情景が浮かんだ。あれは一週間前のこと。



「師匠。僕は体力がありません。でもそれを克服して、今度のシャトルランでシオリちゃんに良いところを見せたいのです」

僕は語気を強めて、決意を示した。公園のベンチに腰掛けた師匠は自慢のモヒカンヘアーをそっと撫でながら、深く思案していた。

「よし、わかった。それでは、弟子であるお前にアドバイスをくれてやる」

「ありがとうございます」

師匠はベンチに立て掛けていたラクロスのスティックに手を伸ばした。そのスティックが師匠のごつごつした右手に握られた。

「うわっ」

僕は思わず叫んだ。突然、師匠のラクロスのスティックが放物線を描いて、僕の頬を掠めたからだ。師匠は口元をニヤリと歪め、丸眼鏡のレンズ越しに自身の瞳をキラリと光らせた。

「いいか。我が弟子よ。シャトルランの間、無心になれ。いかなることがあっても動じるな。これが小生からのアドバイスじゃ」

師匠はそう言った刹那、颯爽と去っていった。その姿はあっという間に地平線の彼方へと消える。さすが、元陸上部。50メートルを5秒台で走るだけのことはある。

見上げると、いつの間にか、空は紅く染まっていて、どこからか晩御飯の匂いがした。僕は師匠のアドバイスを頭の中で反芻し、夕日に向かって決意を固めた。



〜ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド〜

「121」

肩で息をしながら、白線を追いかける。その間隔は回数を重ねるごとに早くなっていく。鉛のように重たくなった足を引きづるように前に進む。額から流れる汗が体育館の床の質量を埋めていく。

「がんばれー」

クラスメイトの応援の中に、シオリちゃんを見つけた。僕は彼女の笑顔を見て、走りのギアをさらに数段階上げた。隣を見ると、並走しているのは、僕含めて残り三人。その中には友人のケンジもいた。彼は歯を食いしばって、懸命に一歩を踏み出していた。ケンジはあの「約束」のために走っているのだろうか。

〜ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド〜

「131」

女性のアナウンスで回数が告げられたタイミングで一人が脱落した。サッカー部のエースだった。僕はサッカー部のエースを超えた優越感に一瞬浸りかけたが、師匠のアドバイスを思い出し、平常心を保った。

〜ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド〜

これまで見守ってくれていたクラスメイトたちが何やら騒ぎ始めたのは、「135回」あたりからだった。

「校庭で校長先生がバク転をしているらしい」

「廊下の踊り場で火星人が俳句を詠んでいるらしい」

「三組の鈴木の弁当箱から、四本足の梅干しが脱走したらしい」

訳の分からない単語が耳に入り込んでくる。だが、いかなることがあっても僕は動じない。師匠の名にかけて。

「教頭先生が走りながらソーラン節を踊っているらしい」

「近所の発明家のおじいさんがタイムスリップに成功したらしい」

その後も情報量過多の単語が耳に入ってきたが、右耳から左耳へと受け流す。だが、クラスメイトの一人の言葉に僕は足を止めた。

「とある呪文を唱えると、シャトルラン1000回達成できるらしいぜ」

〜ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド〜

「151」

1000回だと。そんな呪文があるのか。僕の心は大きく乱された。だとすると、これまでの苦労は一体何だったのだ。僕はここで冷静になってしまった。そうなるとランナーズハイの効果が突如として、消えていく。そして、ついにその場にへたり込んだ。

クラスメイトたちの歓声が聞こえた。僕に向かって「よく頑張った」、「お疲れー」、「すごかったよ」といった嬉しい言葉が浴びせられる。だが、それ以上に「ケンジ」という言葉が連呼されていた。

横を見遣ると、ケンジがまだ走っていた。

〜ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド〜

「161」

ケンジはそこで倒れ込んだ。クラスメイトたちが一斉に駆け寄る。ケンジは起き上がり、へたり込んだままの僕に向かって歯を剥き出しにしながら笑っていた。



「約束どおり、寿司おごれよ」

ケンジは体育が終わった後、僕に言った。シャトルランの前に約束していた「負けた方が寿司をおごる」のために彼は頑張って走っていたようだ。全く単純なやつである。

「あ、そうだ。シオリちゃんも誘おうか。俺、もしかしたら、当日参加できなくなるかもしれないし」

ケンジがウインクしながらそんなことを言ってきた。僕は「これだからお前ってやつは」とケンジの肩をコツンと叩いた。

〜ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド〜

体育が終わり、次の教室へと向かう途中、窓から校庭が見えた。そこにはバク転をしている校長先生と走りながらソーラン節を踊っている教頭先生がいた。

「朝ぼらけ・・・」

踊り場では、「火星人」と書かれた鉢巻を巻いた少女が俳句を詠んでいた。その姿に呆気に取られていると、足元に小さな物体が走ってきた。

「ちょっと捕まえてー」

三組の鈴木がこちらに向かって、走ってくる。僕の股の間を「四本足の梅干し」が走り抜けていった。

すると、今度は目の前におじいさんが突然現れる。

「今は西暦何年かね?」

おじいさんは白髪の頭を掻きむしりながら、「成功したぞー」と叫んだ。僕は「おめでとうございます」と言って、そっとその場から離れた。



後日、師匠に今回のシャトルランのことを話すと、「よくやったな」と褒めてくれた。

「ちなみに師匠はシャトルラン何回くらいできました?」

「ん? 小生か? 1000回」

〜ド・シ・ラ・ソ・ファ・ミ・レ・ド〜

僕はその場でへたり込んだ。すると誰かの手が肩に置かれた。振り返ると、タイムスリップのおじいさんだった。 

「事実は小説よりも奇なり、とはよく言ったものじゃな」

おじいさんの言葉に火星人の少女が「それな」と言って笑った。

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