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#楽しく生きる実験室
信じ過ぎず疑い過ぎず、ほどよく耳を傾けること
ただ見聞きしていくと、すべてを知ることはできないのだと気づく。
言い切れることなんて何もなく、それが真実かどうかも断定することはできない。
唯一言い切れることがあるとするなら、自分の身に起きた現象についてだけだと思う。
先日、気になったことを調べていて、自分で獲得したと思っていた感覚が時代ならではの刷り込み的なものだったことを知り、そんなふうに考えたことが一度もなかったからびっくりしてしまった。
その発言は誰目線なんだろう?
言葉でうまく人には伝えられないけれど、自分のなかで強い違和感を感じることがある。
なんとなくうやむやにしてきたけれど、長い年月を経てあの感覚がまたやってきた。
その言葉はどこに向けられたものなのか?
なんとなく子どものときから、「自分にかけられている言葉なのに自分を素通りしていくな」と思う言葉があった。
相手は自分に対して話しているのだけれど、その話している言葉は自分に向けられたものではな
ファンタジーの世界にとけこむとき
ネバーエンディング・ストーリーインスタでこの動画をみていたら、子供のころ好きだった「ネバーエンディング・ストーリー」を思い出した。
思い出したらどうしてもみたくなり、子どもたちと一緒にファンタジーの世界にひたるのもいいかも、と思い購入することにした。
イジメっ子から逃れた少年が学校の天井裏で「ネバーエンディング・ストーリー」という不思議な本を通して、幻想的な世界“ファンタージェン”を見いだす物
わたしが私に呪文をかけるとき
人間というものは、他人をだますためには、いろいろと手練手管がいるけれど、自分をだますほうは、簡単にやってのける。
そして、いつも自分をだまさないようにと、自分を見つめつづけるほうが、ずっと気のはることである。
ならば、それを逆手にとって自分でじぶんに呪文をかけてしまおうじゃないか♪
ときほぐしの呪文
この体操をやっているとおかしな気分になってついつい笑ってしまう。
特に「ふくらはぎ膝コゾコ
占いは鑑であり鏡でもある
占いは鑑であり鏡でもある昨年、西洋占星術鑑定をオンラインである方に依頼した。
具体を捨て抽象を扱うことで一生使える鑑定文を目指しているそうで、個人的には「占星術は叡智であり哲学であり謎でありエンタメだ」という言葉にワクワクしすっかり魅了されてしまった。
鑑定文は8000字を超える読み応えがあるものだったので、一度読んだだけではすべてを理解できない。
逆にそれが少しずつ紐解いていく楽しみにもなる。
「おまえに覚悟はあるのか?」
恐怖の正体子どもが生まれたとき小さな命が腕の中にあって、底知れない恐怖を感じた。
あの頃、産む覚悟はできていたけれど育てる覚悟は全くできていなかった。
そもそも、そこまで考えていなかったというのが正直なところ。
あの底知れない恐怖はきっと「受け入れなくてはならない事実」を目の当たりにしたからなのだろう。
本や映画や日常のできごとを通して「おまえに覚悟はあるのか」と問われているように感じることが
積極的に自らの老いの中に飛び込んでいく ~2021年のふりかえりとこれから
「若さ」と「老い」「若く見えるね」
そんなふうに言われることがあると、年齢などに興味の薄いわたしでも「若さ」について考えるようになった。
「若さ」とは、内面からにじみ出てくるもの?
それともただの見た目の印象なのか。
他者との比較からくるものなのか。
はたまた複合的なものなのか。
昔からなんとなく内面の若さは維持したいと思っていたけれど、それは「若さ」への執着でもあるし、「老い」への抵抗であっ
12星座のしくみと他者との関係性
はじめに人のことはいまいちよくわからない。
自分自身どころか、18年間過ごした親や、それと同じくらい過ごしてきた夫、細やかに観察してきたはずの子どものことさえよくわからないと思っている。
長年一緒に暮らしてきても、ふとした瞬間に「初めての反応」を見ることがあって、そんな一面ももっていたのかと驚かされる。
人はその時々で反応が変わる。
心の扉をかたく閉ざしたり、少しだけ開いてみたり、思いきり開
人とのつながり 〜昔と今の葬儀のかたち
はじめにここ3年ほど親戚が毎年ひとり亡くなっている。
田舎にいると誰かの訃報を耳にする機会が多い。
ここでは死はわりと身近な存在であるのかもしれない。
子どもの頃の自宅での葬儀と今主流の斎場での葬儀は全く別物だと感じる。
コロナ禍になってからの葬儀も体験して感じたことがあったので、ここで昔の葬儀との違いを振りかえりながら考えてみたいと思う。
父方のひいばあちゃんわたしにとっての初めてのお葬式は
山との距離、、人との距離間
山との距離感わたしの住んでいるところには連なった山々があって、その姿が視界にはいるたびに、美しい稜線や存在感に目をうばわれる。
先月はひさしぶりに遠くの場所まで足を運ぶことができた。
その場所に向かっている道中には新幹線や電車の車窓からひたすら外の景色を眺めていた。
自分が今住んでいる場所よりもすてきな場所が見つかるかも、そんな楽しみな気持ちで眺めていたものの、意外と自分の望む景色はないものなの