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人間らしさとは?

野党共闘

あるところで「野党共闘」という言葉を目にして、「あれ?野党共闘ってなんだろう?」となった。
そういえば民主党が政権をとったとき、政治に無知なわたしでも世の中のお祭りムードというか大人たちが希望を抱いていたのをなんとなく覚えている。
わたし自身も「何か変わるかも」とワクワクしていたような気がする。

きっとわたしたちは得られることばかりに目がいって、変わるためには痛みを伴うし時間もかかるということを理解していなかった。
勝手に期待を大きくし結果を急がせたのかもしれない。
子どもの成長と同じであれこれ言いたくなってしまう気持ちをぐっとこらえて待つということが必要だったのかもしれない。


日本の政治、社会、贈与と交換

資本主義の外側に行くこと、体験によって愛を知ること

わたしたちの時代は恋愛するのが当たり前だったから、痛い目にもあったけれどそれは楽しくおもしろいものだった。
思いつきを試したり、相手の出方を想像したり、気持ちに従って暴走したり。
ときに傷つけたり傷つけられたりしながらも、人の気持ちというものを学ぶ機会でもあったように思う。

若い子たちが恋愛をコスパで考えていることを知ったとき、ものすごい衝撃を受けた。
わたし自身、恋愛に対しては損得で考えたことがなくて気持ち重視だったからかもしれない。
相手との喜びなどの体験の共有よりも、自分にとって得があるかに重きが置かれていることに驚いた。

学生時代、人当たりがきつくトゲトゲしている人がいた。
なぜか自分といるときは穏やかでその変化がおもしろかった。
きっと自分も誰といるかで人柄がガラッと変わるのだろう。
人と出会うのが好きなのは、「相手とわたし」の化学反応みたいなのを体験するのが好きだからなのかもしれない。



子どもとは?

子どもの頃を振り返ると、親代わりになってくれる大人たちがいた。
隣の家のおばあちゃんは垢の他人だったけれど、自分のおばあちゃんみたいな存在だった。
お線香をあげたり、おやつを食べたり、イナゴを空き地に取りに行ったりと一緒にいろんなことをした。
住宅地なのになぜかニワトリを飼っていて、コケコッコーーーと鳴き声をあげていても誰も文句を言うこともなかった。
それが当たり前の光景だった。

人の家の塀の上に登って競走をしたり、空き地という名の人の土地でのびのびと遊んでいた。
誰にも注意されなかったし、許容されていた。

親世代の子どもの頃の話を聞くと、お金がなく貧しかったため腹が減っていたそうだ。
だから人の畑の野菜や果物を勝手にとって食べていたと言っていた。
メロンなどを育ててた家があって、「俺らのために作ってんのかな」くらいに思っていたようで、捕まって怒られたときには生きた心地がしなかったらしい。
そんな話を当人たちは笑いながら楽しそうに話してくれた。


危ないことや悪いことをして、その体験から子どもはどこまでなら安全なのか、善悪の境目はどこなのかを知っていくのだと思う。
わたしがたまに一般的な正しさから外れたことを提案すると、「それってダメじゃない?」と子どもに言われてしまう。
そんなとき「彼らはルールに縛られた世界のなかで育っている」と感じる。

わたし自身もつい「人の迷惑にならないように」と子どもを縛ってしまう。
けれど自分を含めて誰もが人に迷惑をかけながら生きているんだと思う。
振り返ってみると、何かをやらかすことで人との関係性がうまれたり、深まったりしていた。
だとするならば、お互い様なのだからまず自分から相手を許容したい。
それはすべてを理解し受け入れるのとは少しちがっていて、「相手なりに何かあったんだろうな。だからしょーがないね。」と自分を納得できさえすればいいんだと思う。


無駄が人生にとってゆとりを生み出す

会ってみたかったおもしろい人。

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