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環は加奈の母親の元へ。晩夏の木陰に浮かび上がる少女の残像。或いは『フワつく身体』第六回。

※文学フリマなどで頒布したミステリー小説、『フワつく身体』(25万文字 366ページ)の連載第六回です。(できるだけ毎日更新の予定)

初回から読みたい方はこちら:「カナはアタシの全て……。1997年渋谷。むず痒いほど懐かしい時代を背景にした百合から全ては始まる。」

前回分はこちら:環が捕まえた痴漢と、もう会えないという美頼……20年後から浮かぶあの頃の少女たち。或いは『フワつく身体』第五回。

『フワつく身体』ってどんな作品?と見出し一覧はこちら:【プロフィール記事】そもそも『フワつく身体』ってどういう作品?

八割方無料で公開いたしますが、最終章のみ有料とし、全部読み終わると、通販で実物を買ったのと同じ1500円になる予定です。

本文:ここから

■二〇一七年(平成二十九年) 九月五日


 美頼の入院する病院へ行った翌日、休みの環は北千住までJRで出た後、東武伊勢崎線の特急、りょうもう赤城行きに乗った。

 関東平野の上を赤いラインの入った特急電車は滑ってゆく。雨の多い日が続いていたが、しばらくぶりの晴れだった。

 窓側に座った環は、収穫を間近に控えた稲穂の海に、白鷺が舞い降りて行くのを眺めながら、これからのことを考えていた。

 立花加奈が行方不明になって二年後の一九九九年、その父親、立花純一郎は自殺している。

 渋谷のNHK近くのビジネスホテルで首を吊っているところを発見された。

 遺書などは残されていなかった。純一郎の職業は弁護士で、戦前から地元、調布における名士の家系だった。仕事上にトラブルを抱えていた形跡はなく、娘が行方不明になってから後の、家族間の不和が原因と考えられた。

 残された加奈の母である、夕子と弟の俊也は実家の宇都宮に帰った。

 その後の二人の足取りもすぐに判明した。

 加奈と七つ離れた弟の俊也は、その後札幌の大学に進学。そのまま道内の企業に就職しているようだ。

 母の夕子は再婚して宇都宮を離れ、現在は同じ栃木県内の足利にいると言う。

 連絡先も宇都宮の実家に残っている夕子の兄から、警察と名乗らなくても、すぐに聞き出すことができた。

 娘の同級生という肩書きは強いな、と環は思った。

 渡瀬川の見える質素な駅に降り立ってタクシーに乗る。待ち合わせに指定されたのは、鑁阿寺(ばんなじ)、という寺の境内だった。

 元は足利家の邸宅だったという広大な名刹で、まばらだが、観光客の姿もあった。本堂の前庭の、銀杏の巨木の下で夕子は待っていた。

「すみません。本当はどこかお店にでも入った方がいいんでしょうが、なにぶん小さな町ですので、聞こえた話がすぐに広まってしまいますから。ここでしたら、周りにもあまり聞こえないかと」

「いえ、お気になさらず。今日はそんなに暑くないですし、この木陰、ちょうどいいです」

 樹齢五百五十年という銀杏の木を見上げながら環は言った。

 気温は高くないが、ツクツクボウシの声が聞こえる。蝉の声にかき消されて、話し声は遠くまで届かないだろう。

 加奈は夕子が二十歳の時の子供で、夕子の年齢は五十七歳。環や美頼の母親と比べると大分若い。

 娘の介護に疲れて、服装を気にしている余裕もなさそうな美頼の母親に比べて、きっちりメイクもして身綺麗にしていた。やや小柄で華奢に見えた。

「最初にお断りしておきたいのですが、薄情と思われるかも知れませんが、東京であったことはなかったことにしてこの街で暮らしています。今の夫にも加奈や前の夫のことは、あまり話していません」

「無理もありません。加奈さんがいなくなったのは二十年も前のことですものね。今の旦那さんとは宇都宮で?」

「はい。兄のつてで働かせてもらっていたスナックで知り合いました。この辺りで建設業を営んでいます。お互い再婚同士ですので、自然と過去のことはあまり話さないようになっています」

「そうだったんですね。旦那さん良さそうな方ですね」

 二十年間、加奈に囚われ続け、心身を病んだ美頼とその介護に付き添い続けた美頼の母親に比べて、夕子が自身の幸せを掴んでいたことに環は安堵した。

「深川さんは警察官になられたって聞きましたが」

 美頼とは違って加奈とは中学も違うし、高校に入ってからも仲良くしていた訳ではない。一体どこで、自分のことがこの人の耳に入ったんだろう。

「はい。と言っても鉄道警察隊ですし、加奈さんの行方不明は全くの管轄外です」

「それはご立派になられて」

「いえ、出世してないですし、やらかしてばっかりです。私のことは置いておいて、美頼ちゃんの状態がもうあまり良くないのはご存じですか?」

「はい。世良田さんのお母様から、一度、ご連絡頂いて」

「そうだったんですか、美頼ちゃんのご家族とは今でも連絡を取り合っていたんですね」

「はい、ごくまれにですが」

 なるほど。自分が警察官になったことは美頼の母親から耳に入ったんだろう。

 自分の母の様子からすると、以前にもスーパーで会ったりしていたのだろうし。

「先日、会いに行って、美頼ちゃんは『カナは生きている』と言ったんです。そのことについて、加奈さんのお母さんは何かご存じじゃないかと思いまして」

「そうですか」

 夕子は淡々と返事をした。もっと喜ばないものなのか。環の怪訝な表情を読み取ったのか、夕子が口を開く。

「美頼ちゃんは、加奈がいなくなってからずっと不安定で、ここ十年ぐらいは妄言と言うんですか、そういうことを言うこともあるそうなんです。何年か前ですかね。加奈が明日自分の所に来ると言い出したそうで、私にも連絡が来たことがあるんですが、もちろん何もなく、妄想だったと判明したこともあるんです」

「そうなんですか」

 妄想。確かにそれはあるかもしれない。

 美頼から「カナは生きている」と聞かされた翌日に、巻紙のスマホから「タチバナカナ」の名前が出てきただけに勇み足になってしまったのかもしれない。

 そうすれば、タチバナカナ@hine19800815も偶然ということだろうか。だが、アカウントの数字が加奈の生年月日と一致していることは気にかかる。

「お辛いことをお伺いしてしまって申し訳ありませんが、加奈ちゃんがいなくなった辺りのことをお伺いしてもよろしいでしょうか。美頼ちゃんのお母さんからは、特に二学期からは家に寄り付かなくなったと聞いています。二人が学校に来なくなった時期と一緒です。その間、二人がいたのは立花さんのお宅だったんでしょうか」

 夕子は静かに首を振った。

「加奈は小さい頃から大人びたところがあった子でして、何をするかは本人に任せていたところがあります。二、三日外泊しても、あの子のことだから大丈夫だろうと思っていました。それが、気づいた時にはもう遅かった。もっと加奈と向き合えば良かったんだと思いました」

「本当にすみません、言い難いことをお尋ねしてしまって。加奈ちゃんの持ち物とかが、急に変わったり、良くなったりということはありましたか」
「はい。あの当時、バブルの頃よりは金回りが悪くはなっていましたが、うちにはわりとお金がありましたから、私自身や夫からブランドものの財布やバッグなんかを買い与えていたんです。だから、見たことのない持ち物が増えていても、夫が買ってあげたんだろうとしか思っていなかったんです。ですが、それにしては不自然だと気づき始めた頃に、家にあまり寄り付かなくなったんです」

「家に寄り付かなくなったお嬢さんを叱ったり、言い合いになったりっていうことはありましたか」

 夕子は少し考えた様子で、

「どうだったでしょう。昔のことでしたから覚えていないです。きっと何か言ったとは思うのですけど」

「そうですね。古い話ですし、その後色々ありましたから、無理もない話だと思います。加奈ちゃんがいなくなってから、前のご主人とは?」

「はい。目に見えて、関係が悪くなりました。お互いに責任を擦り付けあって酷いものでした。自殺したのもそのことが原因だったのでしょう」

「前のご主人が亡くなられた現場、渋谷でしたよね。何か関わりのあるところでしたか」

「いえ、単に家で死にたくなかったんだと思います。あの家の建物はバブルの前ぐらいに立て替えたものでしたが、土地はあの人の家が代々引き継いで来たものでしたから、家を汚したくなかったんでしょう」

「そうでしたか。本当に申し訳ありません、色々お伺いしてしまって」

「そうでした、これをお渡ししようと思っていたんです」

 夕子は持っていた黒いオーストリッチ風のバッグを開けて、古ぼけたお守り袋を取り出した。

「あ、たれぱんだ! 懐かしい」

 九十年代後半に流行ったキャラクターが描かれ、その上には「合格祈願」と入っている。神社やお寺ではなく、雑貨として売られていたものだろう。

「加奈が高校受験の時に持っていたものです。高校に入ってからはこういうの、あまり見向きもしなくなりましたが。うちの祖母が『会いたい人がいる時はその人の使っていたものを肌身離さず持ち歩いておけば、いつか出会える』と、私が子供の頃に言っていたものですからね。祖母は戦争で私の祖父に当たる夫を亡くして、そう言って遺品をずっと大事にしていたものですから。私もそれをね」

「そうなんですか」

「でも、私よりも警察官である深川さんが持っていた方がいいだろう」

「えっ、すみません。いいんですか」

「あの頃のことはもう忘れた方がいい、と思う一方で、加奈がどこかで無事でいて欲しいと思い続けてきました。ですから、そちらを頼みます」

「分かりました。大事に受け取っておきます」

 環は手のひらの上のお守り袋をそっと包み込んだ。

「それでは私はもう時間もありますので、失礼致します」

 夕子が礼をしながらそう言った。

「すみません、お忙しいところわざわざ」

 夕子は去って行き、環は銀杏の木陰に取り残された。

 向かいの本堂の方から静かに香が漂ってくる。

 新しい人生を生き始めた一方で、ずっと娘の持ち物を持っていたというアンビバレントを思った。

 りょうもうに乗って帰路につきながら、環は夕子からもらったばかりのたれぱんだのお守り袋を眺めていた。

 黄金色の実を蓄えた稲穂が揺れる、それを傾き始めた太陽が照らしていた。

 トパーズ色の太陽が。

 姿を消した少女。

 二十年前、どこか身を潜めたとするならば、その後、風俗店などで働いていた可能性はあるだろう。援助交際をしていたのだから、抵抗は少ないはずだ。

 二十年間見つからなかったということは、東京を離れていたのではないだろうか。

 だが、全国の風俗街を聞き込みして歩くというのは、環の個人的な行動である以上、限界がある。

 いや、そもそも風俗店などに所属せず、出会い系サイトを通じて個人的に援助交際を続けていたならば、情報は得難い。

 いや、どこかで生きているであろう立花加奈が、あのアカウントのタチバナカナと同一人物であるとするならば、東京周辺に戻ってきているということだろうか。

 渋谷の道玄坂の辺りを聞き込みして回れば良いのか。

 いや、我々はもう三十七なのだ。風俗で働いていないかもしれない。あるいは、上野や錦糸町辺りの店ならば、熟女という括りで可能だろうが、既に渋谷で求められる年齢ではなくなっている。

 探すなら、やはり失踪前か失踪直後の情報をまず探してそこから手繰って行くべきだろう。

 当時の情報に繋がる何かはないだろか、と環はスマートフォンを眺め、グーグルの検索窓に片っ端から検索ワードを入力してみたが、検索の方法が下手なのか、欲しい情報にたどり着けない。

 所詮、鉄道警察だからなあ、

 と環は深く息をはいた。

 明大前のワンルームの自宅に帰宅した環は、パソコンを開くと、当時の援助交際をしていたというコラムを書いていたライターの女性にメールを送ってみることにした。

 元風俗嬢だというそのライターは、高校時代の援助交際からその世界に入って行ったのだと言う。プロフィールは一九八〇年生まれ。環たちと同い年だ。


「私は欲しいもののために援助交際を始めた。だが、当時のこの国において『女子高生であること』は何物にも代え難い価値があった。今思えば、上っ面の性的な『価値』であった。だが、私の価値と女子高生としての価値は結びついていた。私は私を売ることで、私の価値を知った。援交少女たちは皆、奇妙なパラドクスの中で自分の価値を確かめていたのだ」


 彼女は文章の中でそう語っていた。

 コラムには彼女が個人で運営しているブログのURLが貼り付けてあった。

 ブログには問い合わせ用のメールアドレスが載っており、そこに二十年前に渋谷で援交をしていて、行方不明になった同級生を探している旨を記した。

 もちろん、警察官であることは伏せておいた。

「突然のメール失礼致します。ネットフィードのコラム拝見致しました。

 プロフィールから私と同い年だと分かりました。大変不躾ではございますが、お聞きしたいことがあります。

 当時、私の同級生の立花加奈さんが、一九九七年の年末に渋谷で行方不明になっています。それ以来、二十年見つかっていません。また、立花さんと仲の良かった世良田美頼さんは、直前まで立花加奈さんと一緒にいたと思われますが、立花さんが行方不明になった直後、一人だけ千葉県内で見つかっています。

 二人は渋谷で援助交際をしていたらしいということまで分かっています。

 世良田さんは、加奈さんが行方不明になってから、ずっと心身の調子を崩していて、最近はさらに悪化して、もうあまり長く生きれないようです。
 立花加奈さんの行方を探しています。一九九七年、私たちが高校二年の時です。同い年で同時期に渋谷で援交をしていたということで、ご面倒でなければ、何か心当たりのあることがございましたら、教えていただけませんでしょうか」

 ブログは半年前から更新されていない。

 問い合わせ用のアドレスはフリーメールだったし、気づかない可能性もある。

 あまり期待はしないようにしておこうと環は思った。

本文:ここまで

 続きはこちら:第七回

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読者の皆様へ:

※この話はフィクションであり、現実の人物、団体、施設などとは一切関係がありません。

※警視庁の鉄道警察隊に渋谷分駐所は存在しません。渋谷駅、及び周辺でトラブルにあった場合は、各路線の駅員、ハチ公前の駅前交番、渋谷警察署などにご連絡ください。

※現在では、一九九九年に成立した児童買春・児童ポルノ禁止法において、
性的好奇心を満たす目的で、一八歳以下の児童と、性交若くは、性交類似行為を行った場合、
五年以下の懲役若くは五百万円以下の罰金、又はその両方を併科されます。
本作品は、こういった違法行為を推奨、若しくは擁護するものでは決してありません。


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