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轢死した社会学者の目撃情報につきまとう都市伝説のような話。そして、組織の理不尽。或いは、『フワつく身体』第七回。

※文学フリマなどで頒布したミステリー小説、『フワつく身体』(25万文字 366ページ)の連載第七回です。(できるだけ毎日更新の予定)

初回から読みたい方はこちら:「カナはアタシの全て……。1997年渋谷。むず痒いほど懐かしい時代を背景にした百合から全ては始まる。」

前回分はこちら:環は加奈の母親の元へ。晩夏の木陰に浮かび上がる少女の残像。或いは『フワつく身体』第六回。

『フワつく身体』ってどんな作品?と見出し一覧はこちら:【プロフィール記事】そもそも『フワつく身体』ってどういう作品?

八割方無料で公開いたしますが、最終章のみ有料とし、全部読み終わると、通販で実物を買ったのと同じ1500円になる予定です。

本文:ここから

■二〇一七年(平成二十九年) 九月六日

「はいおみやげ」

 環は足利市駅近くで買ってきた菓子折りを配っていた。

 老眼の瀧山がパッケージを少し遠ざけながら眺めて、

「足利フラワーパーク、藤の花ウエハースチョコ。なんだ深川、足利なんか行ってきたのか。なんだデートか? 男か」

「はいセクハラー! 残念ながら違います」

「急に歴史に目覚めたとか。しかもいきなり南北朝時代とは渋いですね」

 赤城が入ってきた。

「やっぱ男の影響か」

「小隊長、そうやって女性が新しいこと始めるとすぐ男の影響とか言うのなんなんです?」

 と言ったのは環ではなく、葉月だった。最年少の彼女が丸顔を膨らましている。

「ほら、言われちゃったじゃないですか。でも残念ながら歴史に目覚めた訳でもないんだな。足利尊氏とかのことは忘れて」

「じゃあ、なんなんです?」

 パッケージを剥きながら赤城が聞いた。瀧山は後ろで「紫色のチョコレートって、食欲そそらんなあ」と独り言を言っていた。

「二十年前行方不明になった立花加奈の母親が今、足利にいてね。それで、会いに行ってきた」

「その件か。気になるのは分かるが、俺たちの任務は鉄道の警備だ。事件捜査じゃない。分かってると思うがな」

 もぐもぐしながら、瀧山がたしなめた。

「だから、あくまでもプライベートですってば。行方不明になった同級生の母親に会いに行った。それだけってことです。だから休みを使った訳だし」

「プライベート、使っちゃうんですか」

 と葉月が言う。

「そ、下の方だけど、ウチら辺りまで就職氷河期だからね。ブラックな労働観が染み付いちゃってるから。若い子は真似しないこと」

 環が返したが、葉月は曖昧に頷いただけで、そこへ瀧山が口を開いた。

「この菓子、食っちまえば味は普通だな。で、プライベート使ってわざわざ会いに行ってどうだったんだ」

「何も。立花加奈の母親は再婚して新しい人生を始めていました。その前に一緒に行方不明になって、一人だけ発見された世良田美頼の入院する病院にも行ってみましたが、本人には会えませんでした。美頼の母親からは少し話を聞きましたが。あくまでもプライベートで行ったことなんで、言うべきじゃないのかも知れませんが、二人の母親の言っていたことを照合すると、二人は当時、援助交際を行っていたことは確かなようです」

 奥で葉月が少しむすっとした顔をしていた。

 やはり、援交のことはここのオッサン二人に言うべきではなかったかもしれない。

「援交。確かに、二十年前に巻紙と接点があった可能性はあるってことですね。あ、本当。食べてしまえば普通に美味しい。タマ姉は知ってました?」

 と赤城が瀧山と同じように環の土産を食べながら聞いた。

「まあ、噂はあったからね。まあ、そういうの、剣道部で図書委員の私の耳には最後の方にうっすらと届いただけだったけど」

 そう環が答えたのを聞くと赤城が続けた。

「あんまり深入りはお勧めしませんが、渋谷署から巻紙について聞いたことを一応伝えときます。巻紙の髪は採取することができたんだどうですが、薬物の成分は何も検出されたなかったと。常習性はなかったと考えられるそうです。ですが、自殺に至るような動機も殆ど考えられないと。仕事や家庭の大きなトラブルを抱えていたような形跡はないそうです。大病を煩ったりもしていないそうです。持病と言えば腰椎ヘルニアがあって、死の十日ほど前に手術をした方がいいいか、かかりつけの整形外科とは別の病院に、セカンドオピニオンの相談に行っているぐらいではあったそうですが。踏切に入る数日前は、家族で仲睦まじくスーパーに買い物に行ってマンションの駐車場から出て来た時の様子が目撃されています。挨拶すると米袋を抱えたまま、会釈を返されて、そのままエレベーターに乗って行ったと。とてもまもなく死ぬようには見えなかったそうです」

「ちょっと待った、ヘルニアで手術するかどうかってのに、米持ってたのか?」

 入ってきたのは瀧山だった。そこへ赤城が返す。

「小隊長、そこ気になるんですか?」

「だって腰ってやると警察官の俺だって痛いぞ。しかも奴ぁ、大学教授だろ。普段から身体使ってる訳じゃないし。米って二キロじゃないだろ?」

「四十代で年下の女性と再婚して、中学生と小学生の子供が二人いるらしいですから、二キロってことはないでしょうね」

 と赤城が返す。

「腰やって五キロでも十キロでも米持たないんじゃないかなあ、普通、配送とかあるだろ」

 そこへ環が割って入った。

「うーん、もう死ぬから最期の家族サービスをしたとか? でも、最期の家族サービスならスーパーじゃなくて、もっとディズニーとか行くか」

「それから、大した情報じゃないかもしれないですが、踏切事故当日の目撃情報ですね。警笛が鳴る中、何かに追い立てられるように巻紙が踏切に入って行く姿が何人かに目撃されています」

「追い立てられるって何に?」

 と環が聞いた。

「確かに何かから逃げているのなら、踏切の反対側に抜けるはずで、踏切の中でしゃがみ込んだことと整合性がとれません。ただ巻紙の視線の先には、黒いワンピースを着た女がいたと」

「おいおい、都市伝説めいて来たな」

 と瀧山が感想を漏らす。

「黒いワンピースに、女優的な帽子ってあるじゃないですか。つばが広くて日焼けしないように被るやつ。あれを被った女が踏切の向こうに佇んでいたと。確かに、松濤側の防犯カメラにはっきりとではないですが、それっぽい人影が映っているそうです」

「幾つぐらい?」

 環が聞いた。

「そこまでは分からないみたいです」

 確かに瀧山の言うように都市伝説めいた話ではあった。

……カナは生きている。

 その話の女と美頼の言葉が重なる。

 予断は良くない。

 加奈が生きていたとして、わざわざ他人の契約した回線を使っているのに、本名を名乗るのは不自然な上に、そう簡単に姿を見せるだろうか。

 だが、都市伝説めいた黒いワンピースの女が環と同い年になった加奈に想像の中で重なってしまうのは避けられない。

「ともかく、赤城っちありがとう」

 環の頭には疑問が渦巻いていたが、会話をまとめた。だが、まとめられた赤城は、

「この件、まだ追うつもりですか?」

 と、あくまでも環の姿勢に疑問を持っているようだった。

「だってさ、気になるじゃん。まあいいじゃん、こないだ痴漢とっ捕まえたばっかなんだから」

「タマ姉、そんな痴漢逮捕を貯金みたいに」

 と赤城がぼやいた時、分駐所の電話が鳴った。

 葉月がとった後、

「鷺沼中隊長からです。相変わらずこっち来ないで、渋谷署にいるみたいです」

「なんだよ、あのユーレイ君から?」

 そう言いながら瀧山はデスクの上の受話器をとった。

 渋谷分駐所、第一、第二小隊を統べる鷺沼大樹中隊長は、無論、瀧山の上司に当たる。鷺沼は二十八歳の東大卒のキャリア組である。キャリア組のため、ほぼ現場に関わらない。そのため、分駐所に居場所がなく、渋谷署にいることが多く、分駐所内ではユーレイ君と呼ばれている。

 瀧山の相槌が続いた後、

「えー、なんだよ、困りますよー。そういう時のためにキャリアの鷺沼さんが中隊長やってるんですよー。そこは抵抗してくれないと困りますよ……いや、だから」

 そこで瀧山の声が止まった。

「いや、困るよ、いくら山内警部直々に言われてもさ。せっかくうちの実績なんだからさ、いや……」

 鷺沼中隊長から竹内警部に向こうの電話が代わったらしい。しばらく問答が続いた後、

「分かった。仕方ない。悔しいが、危ない橋は渡れない。分かった」

 と瀧山は自分に言い聞かせるように言って電話を切った。

「え? なんですか」

 と聞いた環に対して、瀧山は神妙な顔をして言った。

「残念な話がある。お前がこないだとっ捕まえた痴漢の竹谷だが、立件が見送りになった」

「え? どう言う?」

 反射的に語気の荒くなった環の横から、葉月が瀧山に言う。

「あの子、あの被害者の女子高生が示談を望んだからですか?」

 瀧山は眉根を寄せてしばし沈黙する。

 環は嫌な予感がした。痴漢に限らず、性犯罪は往々にして、被害者も責められる。

「派手な格好をしていたのではないか」とか「隙があったのではないか」とか。

 あのような満員電車で隙もへったくれもあったものではないし、女子高生は地味な方であった。そもそも、露出の多い格好をしていたからと言って、全く以てって痴漢をしていい理由にはならない。その上、露出の多い服を着るような自分に自信がある女性よりも、露出の少ない服を着た大人しい女性を狙う傾向が痴漢にはある。

 そういった好奇の目に晒されるのが嫌で、被害者の方が事件化を拒むことは多い。

 だが、二ヶ月前、二〇一七年の七月から性犯罪は非親告化された。環が現行犯で捕まえている以上、被害者が示談を望むか否かに関わらず、立件は可能になったのではなかったのか。

 瀧山はしばしの沈黙を破って口を開いた。

「上からのお達しだそうだ」

 環の表情が驚きと怒りを同時に含んだものに変わった。

「はぁ? 何それ?」

「どうにもならん、我々には決して届かんような上からのお達しだ。あいつの父親は警備会社の社長で、警察庁OBの天下り先でもある。あいつの親戚には政治家も官僚もいるまさに華麗なる一族なんだそうだ。もう分かるな、つまり、警視庁よりも上のレベルから揉み消せという指示が降ってきた。現場レベルでどうこうなる話じゃない」

「分かんない! ぜんっぜんっ、分かんない。あいつは現に私の前で痴漢した。現行犯なんですよ! しかも前にも突き出された経緯がある。常習なんですよ! 竹谷の父親が誰だろうと、んなもん関係ないじゃないですか。法の裁きは万人に平等でしょう。はあ、本当意味分かんない」

 そうわめいて、踵を返した。

「どこ行くんだ?」

 と瀧山が聞いた。

「決まってんでしょう! 渋谷署に抗議してくる。あいつは私の獲物だ。そんなクソみたいな理由で揉み消されてたまるか!」

「やめとけ! 悔しいのは俺も一緒だ。飲み込め。お前の立場にも響く」
「関係ない! 出世なんか興味ない! 私の立場なんてそんなんどうでもいいし!」

 そう叫んだ環に、

「やめて下さい!」

 そう声を上げたのは赤城だった。声は大きかったが、目は環の方を見ていない。

「竹谷を捕まえたのはタマ姉の功績であると同時に、僕ら渋谷分駐所第二小隊、全員の功績だったんです。だから、この件でこのままタマ姉が睨まれれば、僕ら全員が睨まれる」

「赤城、あんた何が言いたいんだよ」

 赤城は絞り出すように口を開いた。

「僕には……、僕には妻と二人の子供がいます。まだ幼稚園にも上がっていない二人を、望めば大学まで行かせてやらなくてはならないんです。タマ姉、あなたとは違うんです」

「おい、テメエは何を言ってやがんだ。こんな不正義極まりない揉み消しに屈しろって言うのかよ!」

 環は赤城の胸ぐらを掴んで揺すった。その勢いで赤城の座っていた椅子が倒れ、大きな音をたてる。

「僕のこと軽蔑するなら、軽蔑するで結構です。今時、やっとたどり着けた安定にしがみつかせて下さい」

 赤城は環と目を合わせないまま、絞り出した。

「こんなクズに成り下がって、お前それでいいのかよ! 警察官なら正義を貫けよ!」

 環は赤城の胸ぐらを掴みながら、至近距離で睨みつけながら怒鳴った。赤城は環の目を見ない。

「汚れた場所では、自らも汚れなくては生き延びられない。子供たちに選びたい未来を選択させてあげる、それが今の僕にとっての正義です。あなたとは違うんです」

 環は赤城の胸ぐらから手を離した。

 赤城はそのまま崩れ落ちて、床の上に座り込んで沈黙した。

「クソっ」

 環は吐き捨てると、机の側面の板を思い切り蹴った。濁った金属音が響く。

 そして、手のひら顔をふさいで天井を仰ぎ見た。

 指の隙間から蛍光灯の光が漏れて来る。まるで、日蝕のように。

 ん、日蝕?

 ……日蝕?

本文:ここまで

続きはこちら:第八回

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読者の皆様へ:

※この話はフィクションであり、現実の人物、団体、施設などとは一切関係がありません。

※警視庁の鉄道警察隊に渋谷分駐所は存在しません。渋谷駅、及び周辺でトラブルにあった場合は、各路線の駅員、ハチ公前の駅前交番、渋谷警察署などにご連絡ください。

※現在では、一九九九年に成立した児童買春・児童ポルノ禁止法において、
性的好奇心を満たす目的で、一八歳以下の児童と、性交若くは、性交類似行為を行った場合、
五年以下の懲役若くは五百万円以下の罰金、又はその両方を併科されます。
本作品は、こういった違法行為を推奨、若しくは擁護するものでは決してありません。


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