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都市高齢者の時間感覚。加速する世界のタイムプレッシャー

📖 文献情報 と 抄録和訳

都市高齢者の時間の速さとタイムプレッシャーに関する社会史的変化

Löckenhoff, Corinna E., et al. "Sociohistorical Change in Urban Older Adults’ Perceived Speed of Time and Time Pressure." The Journals of Gerontology: Series B 77.3 (2022): 457-466.

🔗 DOI, PubMed, Google Scholar

📗 ミニレビュー:近代化における社会の加速・スピードアップの概念
- 社会的加速度理論(📗 Rosa, 2016 >>> site.)や社会的「スピードアップ」の概念(📕 Sullivan & Gershuny, 2018 >>> doi.)は、近代化には社会のあらゆる側面に浸透する三つの加速度的プロセスが伴うことを示唆している。
1. 技術的な加速:生産、通信、輸送の速度の上昇を伴う。
2. 社会変化の加速:社会的に共有された知識、信念、習慣が変化するテンポの上昇を伴う。
3. 生活ペースの加速:日常的な取引の速度の客観的な加速と、時間の速度の知覚とタイムプレッシャー(すなわち、時間の不足の知覚)の主観的な増加である。
- これらのプロセスは相互にエスカレートし、ますます速くなる「加速の輪」を形成すると考えられている(Rosa, 2016, p.193 >>> site.)。

[背景・目的] 時間に対する認識は、社会歴史的な要因によって形成されている。特に、経済成長や近代化は、しばしば加速度的な感覚をもたらす。しかし、歴史的な変化が他の次元(例えば、時間の速さの知覚)や他の下位集団(例えば、もはや労働者ではない高齢者で、時間知覚に加齢に関連したシフトを経験している)にも及ぶかどうかは明らかではない。そこで、都市部の高齢者の2つのコホートにおいて、時間知覚の2つの側面における社会史的・年齢的傾向を調査した。

[方法] 年齢と学歴の傾向スコアマッチングを用いて、Berlin Aging Study (1990-1993, n = 256, Mage = 77.49) と Berlin Aging Study-II (2009-2014, n = 248, Mage = 77.49) からサンプル抽出を行った。多群SEMを用いて、知覚された時間の速さとタイムプレッシャーの平均、分散、共分散、相関のコホート間差異を検討した。

[結果] 知覚された時間の速さにコーホート間の差はなかったが、後期生まれのコーホートは前期生まれのコーホートよりもタイムプレッシャーが大きいと報告された。年齢による差はなかったが、1990年代の方が2010年代よりも時間の速さに関する認識が異質であった。時間に対する認識が社会人口学的、健康、認知、心理学的相関とどのように関連するかについては、コホート間で差はなかった。

[考察] これらの知見は、後期生まれの都市成人において、時間的プレッシャーをより強く感じ、時間の速度の知覚における異質性が減少するという社会史的傾向を示している。したがって、社会的加速の概念化は、成人のライフ・スパン全体を考慮する必要がある。

🌱 So What?:何が面白いと感じたか?

ある患者さんが言っていた言葉、今でも忘れられないでいる言葉。

なんでこんなせかせかした世の中になっちゃったのかね。
昔はもっと、時間がゆっくり流れていた。
もっと、『豊か』だったよ。

確かに、世の中は加速しているように感じる。
YouTubeは1.5倍〜2.0倍の高速再生しているし、
ながらオーディオブック、ながらYouTube、・・・シングルタスクは減ったし、
高速道路、新幹線、飛行機・・・、移動手段はどんどん発達しているし、
そもそもインターネット、SNSの台頭で移動する必要性自体が減ったし、
手書きで何かを書いたり、することはめっきり少なくなった。
「高齢者も、この加速を確かに感じている」ということを、今回の抄読研究は明らかにした。

僕たちの生長速度は、確かに加速している。
だが、『豊か』になったろうか。
僕が、豊かだと思うことを列挙してみる。
・季節を感じながら、地面を踏みしめながら歩くこと
・温泉に入ること
・何も考えず、ぼーっとすること
・相手の話を、最後まで、ゆっくりと、しっかりと聞くこと
・すべてを忘れ、目の前に没頭しきること
これらすべての項目の前に(自分の時間を気にせず、)を入れてみて欲しい。
ピッタリくる。
時間感覚の加速は、少なくとも僕の思う豊かさとは、拮抗するかのように見える。

時間は、人間に殺伐さを与え、豊かさを奪った
Copellist

「3分遅刻だね。」などの会話が、リハビリの現場では患者さんとの間で、しばしば交わされる。もしかしたら、数十年前と現在を比較したら、その数において、有意差が出るかもしれないと思った。
リハビリテーションにおいて、タイムプレッシャーは何を生むだろう。
僕は、中長期的には善を、短期的には悪を生んでいると思う。
中長期的な善とは、時期と目標を定めることで、そこに向かうことができるということ。
短期的な悪とは、当日の時間に執着する・捉われることで、実質的なリハビリと対峙できない、もしくは悪影響を与えること。
1分単位でリハ時間を気にすることは、実質的なリハの内容と時間を機にするということのデュアルタスクを生む。さらに、患者さんにとっても「間に合って当たり前、遅刻したらストレス」、すなわち何も得しないと思う。
RCTで、「時間を超厳格に設定したリハ群(実施時間規定、厳密)」と「時間に寛容なリハ群(実施時間非規定、その日によってまちまち)」を比較したら、どうなるだろう。
注意の配分の観点からは、後者の方が実質的なリハに没頭できる筈・・・。

マイペースじゃ間に合う筈がねぇ
だから癒しやゆとりの逆へ 逆へ

MOROHA 革命 の歌詞より

生長の加速、結構なことじゃないか。
加速すればするほど、いいじゃないか。
はたして、そうだろうか。
リハや高齢者に限らず、僕たちの全般的な生長について考えたい。
いきなりだが、屋久杉は凄い。
通常500年程度のスギの樹齢に対し、屋久杉は2000年以上の大木が多いらしい。
どうしてか。
「屋久島の土壌には栄養分が、少ないから」
リピートアフターミー。「栄養分が、少ないから」
逆ではない。
栄養分が少ないから、1年での生長幅が少なくなる。
すると、年輪層がきめ細かくなる。
これが、強靭を生む仕組みなのだという。
遅々とした生長の持続が、レガシーをつくっている。
加速し続ける生長は、折れやすいかもしれない。
節のない竹は、あれだけ細く長く伸びれない。

跳躍的な生長ではなく、歩行的な生長。
僕たちは、歩行指導では、ちょうどいい歩幅を考える。
それなのに、自分の生長の幅となった途端、大きければ大きいほどいい、そう思ってないか?
股裂ける、転倒する、怪我する、そう思わないか。
職業で学んだことを、人生に生かそうぜ。
持続的に歩み続けられる、もっともcost effectiveな一歩があることを、知っているだろう。
じゃあ、遅々とした生長、跳躍的生長、そのボーダーラインはどこ?
遅々とした生長の最上階に住みたい・・・。
・・・また、跳躍的思考に陥っている。
性(さが)である。

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