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米国における理学療法士独立の軌跡

📖 文献情報 と 抄録和訳

理学療法士はいかにして診断医になったか:アメリカの歴史

📕Peterson, Seth. "How Physical Therapists Became Diagnosticians: An American History." Physical Therapy (2023): pzad049. https://doi.org/10.1093/ptj/pzad049
🔗 DOI, PubMed, Google Scholar 🌲MORE⤴ >>> Not applicable

■ 米国における理学療法士独立前夜
・1927年のアメリカ理学療法協会の第6回年次大会
・メアリー・マクミランが腰の症状について招待講演をしようとしていた
・講演が始まる前に、マクミランは次のような免責事項を述べた。

この講演では、ごく一般的な方法を除いて、病因論的な要因について論じるつもりはありません。そして、このようなケースを理性的に治療するために、理学療法士の立場からこの状況を私と共に考えていただきたいのです......そうすることで、私たちの医師......そして患者さんにとって本当の意味での役に立つことができるのです
“I do want to have you view the situation with me entirely from the physiotherapist’s standpoint in order that we can treat such cases intelligently … and so be of real service to our doctor … and his patient.”
Mary McMillan

✅Mary McMillan メアリー・マクミランとは?
・医療分野に多大な影響を与えた戦時中の先駆的な看護師である。
・理学療法の母と呼ばれることもある。
・ヨーロッパでマッサージや理学療法の最新技術を学び、その知識をアメリカに持ち帰ってポリオの子どもたちの治療にあたった。
・第一次世界大戦中、近代的な理学療法技術を駆使して負傷兵のリハビリを行った。
・それは、今日の私たちが手術や怪我から回復する方法を変えた、ケアの激変だった。
・戦後、メアリーは自分が開拓した治療法を記した本を書いた
・1920年に出版された『Massage and Therapeutic Exercise』は、驚くべき成功を収めた。
・世界は理学療法に飢えており、メアリーは後にリード・カレッジで理学療法に関する最初のコースを教えた。

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■ 米国における理学療法士独立の軌跡
1954:米国理学療法士協会(American Physical Therapy Association:APTA)は、1954年に独自の標準化された能力試験を開発
1957:理学療法へのダイレクトアクセスが、1957年にネブラスカ州で初めて確立された(20年後,同様のダイレクトアクセスを持つ州は他に2つしかなかった…)

✅ ダイレクトアクセスとは?
・ダイレクトアクセスとは、評価および治療のために理学療法士サービスにアクセスするために州法で義務づけられている医師の紹介を取り除くことを意味する。
・(現在では)すべての州、コロンビア特別区、および米領ヴァージン諸島では、医師の紹介なしで評価および何らかの治療が可能である。

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1967:個人開業の理学療法士に対する支払いは、自営業部門のメンバーによるロビー活動の後、1967 年までに追加された
1970:医師からの紹介の約1/3に診断情報が含まれておらず、ほとんどの理学療法士は、手技を決定することが時々 or 常にあり, 82%は治療を常に修正していると報告(📕Worthingham, 1970 >>> doi.)
1975:理学療法士が腰痛の「スクリーニング」 の役割を担った最初の研究が発表された(📕James, 1975 >>> doi.)
1977:心肺、神経、整形外科、および小児科の4つの潜在的な高度臨床能力を特定。理学療法士教育のための独自の認定機関、理学療法教育認定委員会を設立
1984:APTA は「理学療法士は、その知識、経験、 および専門知識の範囲内で診断を確立することができる」と宣言した
2005:メディケア理学療法患者アクセス法:理学療法士が医師の紹介なしにメディケアのパートBで患者を評価、診断、治療できるようになった
2014:2014年までにすべての州が理学療法士にダイレクトアクセスを許可したが、完全に自律的な診療に対する障壁が完全になくなったわけではない

■ 感動した文章
・マーティン・H・フィッシャー(Martin H. Fischer)は、「診断は終わりではなく、診療の始まりである」と言ったことで広く知られ ている。
・もしそれが本当なら、診断医としての理学療法士の役割は終わりではない。まだ始まったばかりである。

✅ マーティン・ヘンリー・フィッシャーとは?
・マーティン・ヘンリー・フィッシャー(1879年11月10日-1962年1月19日)はドイツ生まれのアメリカ人医師、作家。
・医学部の初日によく暗唱される有名な言葉「医師は1日18時間、週7日働かなければならない。自分を慰めることができないなら、この職業から手を引け」。

🌍 参考サイト >>> site.

🌱 So What?:何が面白いと感じたか?

「君たちは、自分で考えることを怠ってはいないか?医師の指示という名の下、自分自身の責任を放棄していないか?自分の足で歩くことを忘れてはいないか?」
「私は、医師会、看護師界、名だたる重鎮の前で、こう宣言した」
「理学療法は、今まで、あなた方の支援があったからこそ、ここまで大きくなってこれた。その恩には非常に感謝している。だけれども、これからは違う。これからの理学療法界は、『自分の頭で考え、自分で判断し、自分の責任をもって、自分の足で歩いていきます』」
「君たちに、その実力が、その覚悟が、あるのか?」

半田一登(前-日本理学療法協会会長)

この記録が僕のEvernoteに2015年に残されている。
8年前か。
この半田会長の話を聞いて、ぼくはリンカーンを想起した。
「失われた演説」というものがある。
奴隷解放を訴えたリンカーンの演説だが、記者が聞き入りすぎて、誰一人記録することがなく、文字通り「失われた」演説である。

いまや、このアメリカの誇りとする自由の精神と、合衆国の統一とが、どんな危険に陥っているか、を訴えました
それは、少しもことばをかざらず、ただ情理をつくして、一句一句、聴衆の心に確信をたたきこんでゆく演説でした
(中略)
会場には、ほうぼうの新聞社や、雑誌社から演説をそのまま書き取る速記者がいて、彼の演説を書き取っていましたが、やがて速記者の忙しい手が、いつとはなしに、みんなとまってしまいました
かれらも演説に心をひきつけられ、じぶんたちの仕事さえ忘れて、一語一語夢中になって聞き入っていたのでした
演説の速記はとうとう1つも取れないでしまいました
翌日の新聞は、どの新聞社のものも、こうして、ついに記録として後世に残ることあできなかったのですが、それがどんなに深い感動を与えたかということは、このことによって、なおいっそうあきらかに人々に伝えられました
「失われた演説」
「失われた演説」
評判は波紋のように広がってゆきました
(たったひとり、ある青年弁護士がノートをとっておいてくれたので、その要旨は四十年ばかり後に、文字となって世の中に発表されました)

【吉野源三郎】エイブ・リンカーン P. 222

あの時の半田会長の言葉は、ぼくの心に強く迫ったと思う。
リンカーンと同じく、少しもことばをかざらず、ただ情理をつくして、一句一句、心に確信を叩き込んでいった。
あれから、いやそれ以前からだとは思うのだが、『自分の頭で考え、自分で判断し、自分の責任をもって、自分の足で歩いていく』こととは何か、そのためにはどのようなことが必要なのか?、を考えてきたし、いまも考え続けている。

今回の抄読論文は、その大いなる参考資料となるだろう。
アメリカにおいて、理学療法士がどのように独立してきたか、その軌跡が丁寧に記録されていた。
1927年のMary McMillanの言葉なんてまさに、理学療法士が日本の医療制度の中で医師に対して抱きがちな内心ではないかと思う。

「ミニドクターはいらない」

この言葉を、しばしば聞くし、目にもする。
これは、日本の医療制度の中で育まれた精神の1つだろうと感じている。
病態の推察、診断は医師に任せよ。
理学療法士は医師の診断のもと、処方された理学療法を『実行』せよ。

だが、それって現実に可能なことだろうか、望ましいことだろうか。
例えば、理学療法の評価である「筋力」を評価しているとき。
「大腿四頭筋の収縮が全く入らない。筋萎縮も著明だ。受傷起点と画像の状況から考えると、末梢神経障害(断裂)もありえる…?」
そんな風に、理学療法を実施しようとすれば、そこに病態へのアクセスは、リンクは、必ずある。
そのアクセスは、川が海とリンクしているように、途切れようのない、自動的な流れが。
現時点では、それを表出しているか、していないか、という問題だ、多分。
どうしたって、機能レベルの評価が、病態仮説とリンクしていないことが、望ましいとは思われない。
だから、現時点の制度の中で、表出の仕方は考える必要があるけれども、『自分の頭で考え、自分で判断し、自分の責任をもって、自分の足で歩いていく』ということの中には、病態的な診断への思考アクセスやミクロな判断は含まれる、含まれざるを得ない、と思っている。
僕らは楽曲をつくらないシンガーであるべきではない。
楽曲を創造しながら、すべて思いを乗せて熱唱するシンガーソングライターにならなくては、と。

それにしても、なぜ “米国では” 理学療法士が独立したのだろうか。
その部分は、より進んだ調査、情報、分析が必要になる。
今回の論文を読んで思った1つの鍵は「合衆国制度」だ。
米国だって、一度に独立したわけではないことを知った。
1-2の州から独立が試され、それが合衆国全体に広がっていった。
合衆国制度の強みは、「試験的な制度を州単位で実施できる」ということがあるのだなと思った。
言い方が不適切かもしれないが、国全体のパイロット試験が、州でできるイメージだ。
1つの国である日本では、そうはいかない。
オセロの裏と表のように、はっきりと二分されていて、グラデーション的な変化が生まれにくいということがあるのかもしれない。
何にせよ、国としての土壌がまったく異なる日米である。

古人の跡を求めず、古人の求めたる所を求むべし。
松尾芭蕉

米国の模倣をするのではなく、その崇高な精神の方向性を北極星のように刻み、僕たちの道を歩みたい。

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