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Mちゃん、パラグアイに行くってよ。【事実婚について③】

学生時代の友人Mちゃんが来春、青年海外協力隊としてパラグアイに行くらしい。

いつかきっと、何か大きなことをやるオンナだと思っていた。でも彼女は知らない間に、こちらの想像の斜め上をいく決断をしていた。

シンプルにすごいなと思う。究極の「とりあえずやってみよう精神」がないとできないことが、海外移住と起業なんだろうな。その精神が私にはまだない。たまたま応募を見つけたとしても、そういう人生もあるよね〜で終わりだろう。

Mちゃんに最後に会ったのは2年前。「大人にも保健室があったら良いのにね」という話をした。病んでる人が当たり前のように大勢いる世の中って変だよねって。

noteを始める時、コンセプトの「女性の進路相談室」はMちゃんのこの言葉がきっかけとなって思いついた。今までも今もこれからも、私はきっと多くの女性たちと同じように生き方に迷って行くだろう。たとえ女性が総理大臣になったとしても、それは変わらないことだ。

それなら日本という地に足つけて、私は私のままで生きていこうではないか。その先の飛躍を楽しみにしながら。

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事実婚は「自立(=成熟)した女性」もしくはそれを目指す女性にとって必要な、「濃密なパートナーシップ」である。

前回まではこれを3つに分解したうちの2つを説明してきた。
今回は最後の③人間は成熟すればするほど濃密な人間関係が必要だ
を解説する(詳しくは前々回のnoteをご参照ください↓)。

「未熟な人間は、人と一緒にいるともっと未熟になる」

今手元には、お盆休み中に実家で書いたメモがある。田舎の静かな夕方、心の底からぽっと浮かび上がったこの言葉は、他でもない私の強い実感だった。今年の婚約破棄を経て強く強く噛みしめた体感と言っても良い。

彼が未熟だったせいに、しようと思えばできる。「幼い彼は私には合わない。私にはもっと合う人がいる」でも、自分にこんな嘘をつきたくはない。

子どもだったのだ。私が。彼と一緒にいるだけで幸せになれるなんて、人生そんなに甘くないと頭ではわかっているつもりだった。それでも怠惰、独占欲、依存、怒り、疑いなどなどがせわしなく動いて、心を一歩引いて見つめることができなかった。いらぬ青臭さを埋めるように、私はとにかく彼と一緒にいたいと願った。

数ヶ月が経った今、はっきりとした確信をもって良い方向に進んでいる。仕事は今までと変わらないし、家族も友人も今まで通りの中「自分で自分を満たす」ことがこんなにも楽しいのかと気づいた。そして本当に大事なものだけインプットし、自分を研ぎ澄ませていく日々でふと、彼が残した言葉の意味がやっとわかった。

「我慢させたくない」
「一緒に楽しく生きていきたいと思ってた」

ほんと、その通りだよ。我慢と責任の時代は終わったね。我慢しないで楽しく生きるのが、本当の人間だよね。

我慢しないで楽しく生きるーー魔法のコンパスが生まれた瞬間は、私が彼を憎まずに成熟した瞬間でもあったのだ。

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そもそも人間の成熟というものは誰かが評価するものではないし、自分自身が成熟したかどうかすら正確にはわからない。ただなんとなく「昔よりも大人になったかも私」という、うっすらとした実感でもあり見過ごせない確信でもある小さなゴールが、目の前に差し出されるだけだ。

思うに、どこまで成熟すれば幸せを感じられるのかは、その人それぞれで違うのではないか。定規のような尺度があるわけではないけど、極端な話5センチ成熟すれば幸せな人もいれば、3メートル成熟するまでハングリーな人もいる。

成熟が人それぞれであるということは、幸せにも種類があるということでもある。日常の小さな幸せと、非日常の大きな幸せだ。
私の場合、前者は金曜日に飲むハイボールのひと口目や休日のドリップコーヒー(飲み物ばかりだ)、たまたま行ったドラッグストアが全品5%オフだった時など。後者は旅行(しばらく行ってない)、憧れのアーティストにライブの感想を伝えた時、良い文章がスラスラ浮かんで手が止まらなくなった時など。

誰しもがきっと、この2種類の幸せのバランス感覚を備えている。割合で言うと、どちらかが0か100の人も中にはいるかもしれないし、ちょうど50ずつの人もいるだろう。そしてそのバランスは生涯変わり続けるもので、体調やその時置かれた環境によっても違ってくるだろう。

成熟を語っていたつもりがいつの間には幸せの話になっていた。何が言いたいかと言うと、成熟の先に幸せがあり、「どの程度の幸せで満たされるか=どのくらい成熟する必要があるか」。言い換えると幸せになる方法を見つけるのが成熟、ということだ。

前置きが長かったが、“成熟すればするほど濃密な人間関係が必要”であるのは自分1人だけでやれることを限界までやりきった人にのみ、その人MAXの成熟が訪れるのであり、さらに先に進むには同じように成熟した他者と手を取り合わなければいけないからだ。“濃密な人間関係”の全てを恋愛に当てはめたくはないが、そんな成熟した者同士のカップルは理想的で幸せだろう。

ただ、正解はひとつではない。未熟なまま付き合って結婚し、子どもを産み育てる夫婦は世の中少なくないだろうし、婚約中の私こそそれが正解だと信じていた。未熟でも運よくゴールインすれば、きっとそのタイミングがその人にとっての“機が熟す”なのだろう。

成熟した人間同士の落ち着いた関係にしろ未熟な関係にしろ、人間みんな「ひとりの修行時間」がいるーー今回一番言いたかったことは、他の誰よりも私自身にこれからも言い聞かせていきたい。成熟の余地こそが希望で、希望は自分への期待だ。


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