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ハブとマングース、世間体か夢か。

おやすみ、おはよう。そしてまたおやすみ。

空気が冷たくなって、毎朝通りすがる真っ赤なポストがくっきりと見えるようになってきた。やりたいことはたくさんあったはずなのに、年始に何をやろうと決心したのかすら曖昧なまま、今年が緩やかに、しかし確実にまた終わっていく。


年末の、がらんとした街の雰囲気が好きだ。クリスマスとお正月の間の、宙ぶらりんの数日間。しまい遅れたクリスマスリースと、ちょっと早めの門松がこんにちはするあの日本人のテキトーさが、堪らなく愛おしい。


わたしは今年一年で、初めての就職と転職を一変に経験した。だから多分、人生で一番たくさん自己紹介をする羽目になった。あと、人生で一番、いろんな職業の人にあった。


加えて最近、とある本を読んだ。面白かった本については名前を積極的に出して紹介するのだけど、今回はこの本に対しての個人的な評価がまだちゃんと定まっていないから伏せておきたい。そう、とにかくとある本を読んだ。その本を書いた方は、最近の作家さんによくある、いわゆるSNSが先行して売れたタイプの作家さんで、良くも悪くも若者に受けそうな感じだった。言葉遣いが独特で、かっこいいんだけどストーリーはよくわからない(わたしの理解力が足りなかっただけかもしれない)、でも、それがまたいい。読み終わってから読書メーターの感想に目を通したときに、そこをどう捉えるかで好みが分かれる、そんな印象を受けた。


上手く伝わるかわからない上に、完全にわたしの独断と偏見だけど、この本を書いた人は日本というシステムの中ではアウトローで、そしてそんな自分のことも結構好きなんだろうなと思った。その作家さんのエッセイは若者を中心に爆発的に売れていて、文章力もさることながら、全体的にグレーを好む傾向にあった。仕事を辞める、とか、好きなことで生きる、ことに肯定的な、金よりも名誉よりもレールよりもパッションを愛する姿勢。少なくとも、わたしは、そう捉えた。


わたしは今年おそらく100回を超えたであろう自己紹介のことを、もう半分の頭の中でずっと考えている。自己紹介といっても、名前と、生年月日と、所属。学校なり、会社なり。でもこれって、本当は両親が愛を持って贈ってくれた名前と誕生日に並ぶほど大切なものなのか。便宜上、都合がいいから所属を名乗るのはわかっている。で、思った。日本人って所属に敏感なんだと思う。敏感っていうのは、所属に囚われたくない!と足掻く人たちのことも含めて。


レジスタンスは存在する。わたしの周りにもたくさんいる。そしてわたしは彼らからこれでもかというほど影響を受けてきた。わたし自身が目指すものも、こちらに近い。フリーランスで働くあの人。自分の店を構える経営者。役者になりたくて、有名大学卒業後に就職をせず、バイトをかけ持ちしながら劇団に入ったあの子。バンドマン。アーティストとか、クリエイターとか夢追い人とかに多い。みんな尖っててド派手で目を引くから、かっこいいし憧れちゃう。でも彼らも、所属意識に囚われている。後者の意味で。そして、もちろん全員が全員じゃないんだけど、この手にタイプには前者を馬鹿にする人も中にはいたりする。悲しい。スーツを着て社会の枠組みを学び、わたしを育ててくれた父の姿は、全然ダサくなんかなかった。うちのお父さんは絵もあんまり上手じゃない上に多分本もあんまり読んでなかったと思うけど、ここのみんなが嫌いな【学歴】のために、わたしを必死に教育してくれた。すごく難しい。『難しい』という言葉が嫌いで、使わないように気をつけているんだけど、こればっかりは、他に言葉が見つからない。たくさんの人に今年会ってみて、思った。世界はもう二分化しちゃってる。その二つの世界はグラデーションになってて、限りなく真ん中にいる人もいる。でも。それでもミリ単位でどちらかの世界に私たちは存在している。誰かの意思とかじゃなくて、ただ、事実として。


反対に、わたしの学生時代の友達は、すごく逆の世界にいる。彼女達は、学歴の良い男が好きで、就職は正社員一択だった。だから、将来性のないアーティストと付き合ったりはまずしない。デパコスとkate spadeが好きな、結婚を夢見る、20歳前半の女の子。でも、彼女達のことも、わたしは等しく大好きなのだ。詳細は長くなるのでここでは省かせてもらうが、ピアノ教室を開いている叔母の元に通う子どもたちなんて、華麗すぎて眩しいくらいだ。そもそも5歳からピアノ教室に通い、お母さんが車で送り迎えをする家庭と思えばまあ納得なわけであるが、大体の子は有名私立のエスカレーター校にお受験で入っているし、父母は大手銀行員や大使館勤め。でもそういう世界の人って、みんなすごく礼儀正しくて優しい。愛されて生きてきたから、人にも親切なんだと思う。


わたし自身は、たぶん、あんまり世間体を気にしない。あったかいところで、ゆるゆると文字を書いて、ごく一般水準の暮らしができればそれで良いと思っているけれど、多分それってすごく贅沢なことなんだよね。でも、お金を稼がないと暮らして行けないのが日本で、時に一部が嫌う世間体が、確かに有効に効果を発揮する場面があることもまた、わたしは事実だと思う。棲み分けが、できている、できてしまっている。大義を抱えている人が偉いわけでもなければ、お金を持っている人が偉いわけでもない。じゃあ偉い人ってどんな人なんだろうね。地球の裏側で爆発するかもしれなかって爆弾を処理して私たちの明日を守ってくれたとか、それくらいわかりやすい基準で“偉い”が定められてたら、みんなでおんなじタイミングで拍手ができたかな。そもそも、同じタイミングで拍手する必要はないのかもしれない。


今回の話は、というかどの話も大体そうなんだけど、わたしのド偏見に基づく話だからただの独り言だと思って欲しいんだけど、みんな人間である限りもっとあったかい部分で繋がってるところだってあるのに勿体ないなあと思う。綺麗なものを見ていて、ああずっとここにいたいと思う気持ちとか、泣いちゃうくらい誰かから優しくされた日の思い出とか。人を好きになったときの、胸がぎゅっとなる感じもそう。すぐにパッと出て来なくても、それは忘れているだけだよ。そんな丸裸の心があることを、わたしは知っている。







寒さの厳しい日々ですが、どうか皆様、お体ご自愛ください。


2020.12.14

すなくじら

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