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読書感想文の思い出

東京オリンピックがはじまった。過去にみんながこぞって欲しがった開会式のチケット。運良く当たっても、外れても「結局誰も観に行くことはできませんでした」が正解だなんてなんだか皮肉。今年も花火は打ち上がらない。お祭りもなし。


この世界の一番の被害者は、小学生として今を生きる、特に低学年の彼や彼女たちだと思う。過去の夏休みの思い出。わたしは昔から運動も苦手、友達も少ない子どもだった。東京のくせに特別栄えている地域でもなく、いわば「下街」と呼ばれたわたしの故郷での夏休みの居場所は、家の裏の小さな図書館だけだった。


その寂れた区立図書館には、これまた小さな古い卓球台があって、わたしは妹を連れて本を借りるついでによく卓球もした。スポーツは全然好きではなかったけれど、何故か卓球だけは飽きることなく続いた。球を打ち返す乾いた音が部屋に響いて、球は決まったリズムで返ってくる。このこぎみよい音のやりとりは、わたしの夏の楽しみの一つでもあった。


夏休みの宿題の作文を書くと、大人が褒めてくれた。こういう言い方をすると嫌味っぽく聞こえてしまうかもしれないが、小学校から中学校まで、毎年読書感想文か、青少年の育成作文か、その他の各テーマの作文を先生が代表に選んでくれたから「わたしはもしかすると人より文章を書くことは得意なのかもしれない」と思ったのはこの頃だった。そして何より、学年を重ねるにつれて、学校で【作文が書ける子】のポジションを誰にも譲りたくないというプライドがわたしのなかに芽生え始めた。

今でこそ大人になって、わたしよりも文章が上手い人なんてごまんといるけれど、運動もできない、性格もとりわけ社交的では無いわたしにとって「夏休みの作文と表彰状」は自分の居場所を確保するための命綱だった。


どんな文章を読書感想文で書けば先生が喜ぶのかも、心の中でわかっていた。【ウケる】作文なんて本当は書くのは簡単。みんなは夏休みの作文なんてめんどくさいからテキトーに書く。でもわたしは一つの作文を3日かけて仕上げて、何度も何度も推敲して、それこそ命をかけて書いていた。自分に才能なんてないのはわかっていたから、「みんながテキトー」なのはありがたかった。そうでなければきっと、本当に光る誰かが、わたしの代わりに表彰を受けていた。


「星の王子さま」「西の魔女が死んだ」「夏の庭」……【新潮社の100冊】で出来上がったわたしの中には何が残ったんだろう。もっと、好きな本を、好きなように選んで、本当に思ったことを書いても良かったのかもしれない。「学校生活に活かしていきたいです」でまとめられないような本音を、もっと自由に描いて、比喩まみれになっても、駄文でも。そういう作文があってもよかったのかもなあなんて、思ったりもする。新潮社の100冊が悪い、ということでは全くなくて。もっと感じるままに、タイトルや表紙で本を選んでもよかったし、わたしの声を「感想」の中にたくさん散りばめて、ホチキスで止めてあげればよかった。

あれから12年経って、わたしはなんの縁か、大人になってから迎える今年の8月も文章を書いて、生活をしている。でも、あの時に比べればだいぶ、感想らしい感想を、書いてるんじゃないかな。きっと今のわたしの文章を読んだら、先生はちょっぴり眉をひそめてしまうかもしれないけれど。





2021.07.25

すなくじら

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