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十九歳の憂鬱とピアスホール

駅から少し離れたスターバックスでキャラメルなんちゃらラテを啜っているとき、たとえばそういう気分はくる。

八月。灼熱のコンクリートを踏みしめてたどり着いた店内は、冷房が効きすぎていて寒気がする。上着を持ってこなかったことか、ホットではなくアイスを頼んだことか、過去のどちらの自分に非があったか考えているうちに、たとえばそういう気分はくる。

遠くに行きたいのにここを離れたくなくて、なにか始めたいのになにも終わらせられない。一人で居たくないのに誰かと過ごすのは面倒で。そんなとき私はじっと待つことにしている。そういう気分が過ぎ去るのを、只じっと。

昔は黙々と本を読み漁ったり、恋人とは違う男に電話をかけてみたりした。今とは正反対で、じっとして居られなかったのだ。けれど何をやってもその気分は一日中続いた。眠ってしまえば終わるのだけど、もともと寝つきのよくない自分は結局夜中まで眠れない。この気分が「寂しさ」にすごくよく似ているのに気が付いてから、あれやこれやと行動、というより反抗するのを諦めることにした。

待つ。それが寂しさのようなものに打ち勝つ最大の武器だと知った。十九歳だった。


十九歳の私はただ空虚の中に居た。

大学に通い、アルバイトをし、好きな服を着て好きな音楽を聴いた。好きな友達と朝まで遊んだ。手帳にびっしりと予定を詰め込んでさえしまえば、空虚であることには見て見ぬ振りができる。この世は自分の為だけにあった。あるいは自分以外の全ての人の為だけに。


ある日も友達と始発電車を待っていたら、朝方の繁華街で男に声を掛けられる。かわいいね、という言葉は  よもや繁華街ではマナーでしかなかったのだし、夜のお店で働いていた時は「かわいいと言われるのも仕事」だった。ナンパは普段ならスルーするくせに友達が珍しく行きたいと言ったので、私は腕を掴まれるまま安い居酒屋に吸い込まれていく。こんな時、ちっとも楽しくないくせに、楽しい振りをするのはなぜだろう。友達の為?男の為?自分の為?

朝方の居酒屋で、脂まみれのサーモンの刺身がまた私の気分を悪くする。かわいいね、と呪文のように繰り返していた男が、安いごはんを口移しで与えようとした。私がその手を拒否したら、行きずりの男は瞬く間に憤怒して帰ってゆく。愉快だった。女である私に、初対面であるあなたの言うことを聞く私に、簡単に股を開きそうな私に、男は群がってくる。愉快だった。


たとえばもう一つの話もある。真夜中のクラブで、一緒に踊ろうよっていう誘いを無視したら、五分後には違う女と薄っぺらなキスをしているのを見掛けた。愉快だった。

嫌悪に近い愉快。いや、嫌悪は通り越してしまえば愉快になるのか。アルコールの入った頭では うまく思考が回らない。むしろ思考を回らせたくないがために、酒を呑んでいる気さえする。

日本文学を愛し、ロックンロールな音楽を愛し、本気でタイムマシンの開発を待ち望む私には誰も群がらない。丈の短いスカートを履き、髪を美しく伸ばし、くそみたいにつまんねー会話にうんうんと可愛く相槌を打つ私には虫のように男が群がった。

私はそういう十九歳だった。


やりたいことは別にない。なりたいものも別にない。ただ親には泣いて欲しくないし、いつかはこんな私も会社員になるのだろう。なんとなくそう思っていた。

欲しい現実の手に入れ方が分からなかった。だからいつも文章を書いた。文章の中の「私」は、私が会いたい人に巡り会っていた。現実世界には居ない、私の会いたい人。

日本文学について語り合い、ロックンロールな音楽へと共に身を浸し、「タイムマシンは、開発されたとしても、開発された日までしか戻れない。」と教えてくれる人。

靄がかかったような毎日を、いつも霞んでいた毎日を、閉じ込めていた「本当の私」を、ぶち壊してしまいたい。ぶち壊していいよ。だれか私にそう言ってくれ。

そんな「だれか」に出会えたら、私はもう人生なんていらない。会いたい人に出会えたのなら、私はその幸福を閉じこめるように、人生の幕を閉じたい。臆病だった、投げやりだった、与えもしないくせに求めるばかりのワガママだった。「そんな人には出会えない」そう分かっていたから、人生を捨てられると信じた。



社会人になって、若かりし頃の憂鬱はすっかり忘れてしまった。いや、忘れてしまった振りをした。日々舞い込んでくる仕事の数々に、思考や感情をいちいち巡らせていては生きてゆけない。「忘れた振り」をする方が楽だった。いつの間にか文章も書かなくなった。「普通」に染まっていくことは、創作意欲を失くすことと引き換えだった。書かなくなった自分に安心したし、悲しくもなった。もう私は書けない。二度と書くこともないだろう。「普通」は楽だったから。


二十三歳の時、仕事で偶然出会った人と意気投合した。私が長い間 閉じ込めてきた思考をずらりと並べても、興味深く聴いてくれる人だった。
いろんな話をした。時に生きることについて、時に都市伝説について、時に日本の政治について。

彼は男性だったが恋人ではなかった。私たちのおしゃべりが延々と続くので、場所を変え、時間を変え、真夜中まで話すことさえあった。別のだれかに目撃された時にはよく噂されたけれど、友達と呼ぶには歳が離れていたし、この関係に名前を付けるのは難しかった。「同志」、無理やり名前を付けるのならば、そういう感じの二人。


とある冬、どういうわけか若い頃に閉ざしたピアスホールをもう一度開けたくなった私は、彼に電話を一本かけた。私の耳に、穴を開けてくれませんか。電話越しの彼は突拍子もない依頼を普通に受け取る。そういう人だったし、同志とはそういうもんだった。


人生は自分でつくる。この頃には強くそう思った。だから誰も私の人生を奪えない。だから誰も私を救えない。十九歳の頃に抱いた憂鬱も、それらのもやもやを「ぶち壊してくれる」人も、全部全部、私の中にある。でも、自分の体に穴を開ける瞬間、私はこの人に開けて欲しいと思った。次に開けたら、二度と閉じないと決めたピアスホール。死ぬまで開く、数ミリの穴。私がこの人に出会えたことを、私は絶対に忘れない。忘れたくない。忘れた振りすら、したくない。


ピアッサーがド派手な音を立てて耳を貫通した瞬間、かすかな爽快感がこの身を包んだ。体に穴を開けた二十三歳の私に血は出ないのに、無傷な十九歳の私は確かに流血していた気がした。だれもわかってくれない虚しさに?出会いたい人に出会えない歯がゆさに?着飾ることで男の気を惹く愚かさに?

「きれいに開いたよ」と言う同志に、ありがとうと返した。出会ってくれてありがとう。十九歳の私を、思い出させてくれてありがとう。もう一度、私に「書いてもいい」と思わせてくれてありがとう。


「出会いたかった人」は、自分が描いた理想そのまんまじゃない。当たり前だ、そんな人は存在しない。日本文学の話はしないし、ロックンロールな音楽は一緒に聴かないし、タイムマシンの発明話だって自分で調べた。でも私は確かに、この人と出会いたかった。

出会いたい人に出会った今も私は人生を捨てていない。捨てるとか捨てないとか、そういうスケールじゃなくなってしまった。十代の頃によく考えた、「生きている意味」は未だ分からない。でも別にいい。投げ出したくなる日も、やってらんねって思う日も、あったっていい。人生は自分のものだ。それは何年生きたって、ずっと変わらない。


私の左耳には今も一つだけピアスホールがあって、今日もゆらゆら輝いている。「あなたと出会いたかった」そんな人にもしもまた出会えたら、私の耳はピアスだらけになってしまうかもしれない。



大好物のマシュマロを買うお金にします。