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本当の心は売らない。


海外ドラマでは「glee」が好き。

言わずと知れた大ヒットドラマで、全6シーズンに渡る人気作。

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初めて見たのは大学生の頃。友達の家で目にしたことがきっかけで、作中でふんだんに使われる素晴らしい音楽、個性強めの愛すべきキャラクターたち、ツッコミどころ満載のくせに ついつい見届けちゃう展開・・・すぐに夢中になった。


久しぶりに見返すと、よくできたドラマだなと改めて思う。そしてまた好きになる。今日はそんな魅力たっぷり、gleeの話。



舞台はアメリカ、とある高校。

「学園ヒエラルキー」という言葉のとおり、ドラマの舞台となる高校でもそれらは健在。


チアリーディング部やアメフト部に所属する学生はいわゆる「イケてる」組で、見た目の冴えない文化部の学生は「イケてない」組。

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イケてない奴らはイケてる奴らに からかわれ、見下され、バカにされる。学園モノによくある「素敵な出来事」(恋人同士のトキメキとか、青春っぽいキラキラとか)は、すべてイケてる奴らのモノ。甘酸っぱい青春の1ページなんて、ヒエラルキーのトップ層にしか訪れない。これは日本と同じ。

学校という空間の中で陽の目を浴びない「イケてない」組のひとり、主人公・レイチェルは、大スターになるのが夢。歌を歌い、踊り、大きな舞台でいつかは主役へ躍り出る。そんな大きな夢を持つ女子高生だった。


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日本と大きく違うのは、「イケてない」子たちの迫力たるや!

私はこうしたいの!こんなにも大きな夢があるの!と、1ミリも恥じることなく言う。そしてそれが最高にカッコイイことだと、彼女たちは知っている。

学校でどれだけバカにされようが、何度 嫌がらせを受けようが、とにかく堂々と生きている。


やがて「glee」という、自らを解放し歌って踊るパフォーマンスに魅了され、イケてるとか、イケてないとか、そんな枠組み取っ払って、音楽や恋愛やその他もろもろに真剣に向き合っていく。gleeはそんな日々を描いたコメディドラマ。


この作品の素晴らしいところは数あれど、私は「多様性」の話をしたい。


gleeに出てくる「イケてない」人たちはマイノリティ。

ゲイ、身体障がい、アジア血統、吃音症・・・

「多様性」って今でこそ日本でもメジャーな言葉になったけれど、gleeの放送が開始されたのは2009年。約10年前に、ここまでポップにダイバーシティを表現した作品は(少なくとも日本には)なかったと思う。


とりわけ存在感を出しているのが「潔癖症」の女教師。人が手にしたものには触れられず、食事前には徹底した消毒を行い、日に3度もシャワーを浴びる。彼女はずーっと恋人も作らなかった。なぜなら「自分の問題と向き合ってくれる人を探していた」から。これはジェンダーレスだって、身体障がいだって、吃音症だって、同じだと思う。「人とは違う」ことを「自分の問題」とし、まずは自分自身がその「問題」とやらに向き合う。向き合ってから初めて、今度は他人との付き合い方を模索する。

gleeでは分かりやすく「目に見える」マイノリティを扱っているのだけど、人は大なり小なり「問題」を抱えている。もちろん、作中に出てくる「イケてる」人たちだってそう。家庭問題や独自の価値観、マジョリティとは違うそれぞれを抱えながら、それでも素敵な音楽とともに、物語は進んでいく。


私が一番好きなのは、ちょっぴりふくよかな黒人生徒・メルセデスが「私は美しい」と歌うシーン。



メルセデスは「イケてる」チアリーディング部の一員になったことで、ダイエットを決意。1週間で5キロという目標に向けて減量を始めるのだけど、無理なダイエットのせいで倒れてしまう。そんな時、過去に同じ経験をした友達から「あなたはあなたのままでいい」と言われて目を覚ます。

誰がなんと言おうと「私は美しい」。

言葉で私を傷つけることなんて、誰にもできない。デブだろうが、黒人だろうが、イケてなかろうが、美しい。それってgleeの代名詞みたいなもの。国籍も性別も体型も宗教も、みんな違う。でもそれぞれが美しいこと。なによりも、自分が自分を「美しい」と知っていること。だからこそ歌える。だからこそ踊れる。だからこそ、堂々と生きられる。


日本では「謙虚に振る舞うこと」がマナーみたいになっている。それは美しい文化だし、上品なことかもしれない。褒められたら「いえいえ、そんな」と返すし、認められれば「恐縮です」と発言したりする。「私なんて・・・」と言うと「もっと自信を持って!」と励まされるし、「私って素敵」なんて言おうもんなら「あの人って、ナルシストだよね」と陰口を叩かれる。自信は内に秘めるもの。才能は謙虚に持つもの。それが日本におけるマジョリティ。

自信がないと生きていけない。自分で自分を好きじゃないなら、生きている意味なんてない。私はそう思う。それを外に出すか、出さないかだけのこと。

でも言葉の力って絶大なもので、「私なんて、全然だめです」と仕事で言いまくっていると、だんだんそれに染まってく。その言葉は「日本という社会でうまく泳いでいくための嘘」に過ぎないのだけど、ふと失敗をした時に、「ああ、私なんて」と思ってしまう。

これって当たり前のことで、結局 社会人に求められる「メンタルの強さ」って、どれだけ うわべで嘘をついても、心まではヤラレないことを指すんじゃないかと思う。

本心ではない嘘がいつの間にか心を侵食してしまったり、「本当はこんなこと、思っていないしやりたくない」というギャップがストレスに。自分に嘘をつくことは、想像しているよりずっと辛いことだと思った。


うわべの言動はいくらでもくれてやる、お世辞も謙虚さも忘れない。ただし本当の心だけは売らない。なんだ、働いてる人はみんな女優みたいなものだと気づく。




周りからの意見も大切。だけど、一番大切なのは「周りが何を言うか」じゃなくて、「自分がどうしたいか」。もちろん誰かを傷つけてはいけない。でもそれ以外のことなら、もっと自分を解放したっていい。やりたいこと、欲しいもの、行きたい場所。マイノリティな自分も、自分が愛す。「私は美しい」と。

これからも私は私を愛して、本当の心は忘れずに居よう。だれがどう思うか、ではなくて、私の気持ちを私自身が大切にしよう。gleeのキャラクターたちが、そうやって人生を楽しんでいるように。





大好物のマシュマロを買うお金にします。