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自由という幻想『社会心理学講義』❷


最近、有名人の自殺が問題になりました。

それもひとりではなく、複数人です。

原因は明らかにされていませんが、
SNSによる誹謗中傷が原因だったのではないかと言われています。

とても胸が痛む出来事です…。

ここで、この記事を読むあなたに聞きたいのですが、

SNSにはどんな事を書き込んでもいいのでしょうか?


ある人は言うでしょう。

人間には言論の”自由”があり、それは法律で保証されているものだから、
自分の好きなことを好きなように書き込む自由がある、と。


自由な人、誰かの言いなりになる人、あなたはどちらを選ぶか?

そう問われたらほとんどの人が自由な人と答えるでしょう。
私もそう答えると思います。

自由というものは私達にとって、とても魅力のあるものです。

しかし、冒頭で述べたとおり、
その自由な行動が結果として人を傷つけることもあるのです。

では、自由とは一体なんなのか?


本日は今年読んだ本の中でダントツ一番面白かった本、
『社会心理学講義』の解説第2回です。

自由とはなにか、この本の解説を交えながら、
その奥底にある人間の本質に迫りたいと思います。

それではどうぞ。

意思の正体(前回のおさらい)

前回の『社会心理学講義』の解説で、
意思というものは周囲との関係に反応する形で生まれ、
実は自分のなかから湧き上がるものではないということを説明しました。

つまり、人間という生き物は、
自分のとった行動の辻褄を合わせるために理由をあとから無意識に捏造する生き物なのです。

理由があったから変わるのではなく、変わったことに理由をつけるのです。


気になる方向けに、第1回はこちら。


さて、その事実自体にもとても驚きますが、

仮にそうした前提に立ってみると、
人間の自由意思というものは一体なんなのかと疑念が湧いて来ませんか?

SNSに書き込んだのは自分の自由だ!と思っていても
実際は誰かの影響を受け、反応した結果としての投稿なのですから。

それって、自由なのではなくて、誰かに影響されただけなんじゃないの?

と、そのように考えるほうが自然な気がしてきます。


結論から言うと、”自由”というものは人間の生み出したただの虚構であり、
幻想でしかないなのです。

若しくは社会を円滑に運ぶための、
ただの仕組みといってもいいのかもしれません。


自由とは素晴らしいものなのか

ちょっと落ち着いて考えてみましょう。

本当に自由ってそんなに素晴らしいものなんでしょうか。

本当は、社会制度がある程度は個人の自由を制限したほうが
安定した生活が営めるのではないでしょうか。

例えば、他人を殺す自由、相手のものを盗む自由とか。

そんなことを自由だといって認めていたら
安定した生活なんて送れませんよね。

そんなことにならないように日本の法律には
公共の福祉というものがあります。

公共の福祉とはなにかをざっくり説明すると、

自由だったり平等だったりのいろいろな権利は他の誰かの迷惑にならないよう限りで有効ですよ、

ということです。

自由や平等というものはあくまで「社会全体の共通の利益」に貢献する場合に限って使えるものだ、ということが実はきちんと日本の法律で謳われているんです。

この説明で明らかになったように、実は自由というものは手放しに褒められるような素晴らしいものなどではないのです。


自由の裏にある人間の欲求

それにも関わらず、実際には自由が持て囃されているのは一体なぜか。

『社会心理学講義』では、
自由という概念の成立の裏には自己承認欲求があると説きます。


あなたはSNSに書き込むときに何を思いますか?

あぁ、あの芸能人、かっこよくて(可愛くて)羨ましいなあ。
あ、友達が海外旅行行ってる。自分も行かなきゃ。

なんて、思ったこと、一度は身に覚えがありませんか?


これらの思いの背景にあるものはすべて、他者との比較です。

自分に似ているけれど少し違うもの、
自分が持てそうで持てないものに人は憧れ、価値を見出すのです。
(海や時計、植物に憧れる人がいないように似ていないものに本来人は惹かれません)

他社と比較するとなんだか自分が惨めに思えてしまいます。

では、他社との比較を前向きに捉えるためにはどうしたらいいのか?

それに応えることができるのが”自由”という概念なのです。


自分より背が高い、自分より運動ができる、自分より勉強ができる…
本質的にはどう考えても世の中は不平等です。

でも、あなたの人生はあなたのもの。

他者と比べて自分が仮に劣っていたところがあったとしても、
あなたの自由意志で努力して変えていくことができる。

自分の意思で自由に変えていけると錯覚することで、
人は不平等な現実を受け入れるのです。


自己承認欲求を満たす手段として、自由ほど魅力的なものはありません。

ここからわかるように、自由とは、
実は”不平等”を正当化するための仕組みなのです。


さらには、警察に従う、裁判官に従う、政治家に従う…
これだってひとりひとり、もとを正せば1人の人間なのですから、
一方的に従うのは不平等です。

支配とは本来、不平等なものです。

自分は自由と考えている人は、自分の意思で決めたと錯覚します。
自由という幻想を信じるからこそ、不平等な現実、支配に従うのです。


自分は自由だ、と信じている人こそ実は誰かの言いなりなのです。

皮肉ではありませんか。


謙虚になること

自由というものに抱いていた希望が打ち砕かれて絶望していませんか?

私もこの本を読んだ直後はそのひとりでした…。

でも、大切なのは自分が自由になることでも、
誰かの言いなりになることでもなくて、
人間とはどういうものかという本質を掴もうとすることだと思うのです。

そのためには自分は間違えない、悪い人は許せないとか言う態度を捨てて
謙虚になることがとても大切だと思います。

人間の意思というものは、
決して自由なものなどではなく、周りに反応した結果です。
周囲との関係によって何が正しいか、何が正しくないかは変わります。


ここで、初めの話題に戻ります。

SNSの誹謗中傷が原因で自殺者が出てしまったということが事実であれば
とても悲しいことです。

そんなことが今後起きないようにしていくためには
被害者が変わるだけでもなく、加害者が変わるだけでもなく、
人間の習性や本質をよく知ったうえで、
人と人が傷つけ合わない仕組みをつくる必要があるのではないかな、
とこの本を読むとつくづく思います。

終わりに

自分の周りにいる人は自分のことを好きな人が2割、嫌いな人が2割、
そのほかの6割は、あなたのことなどどうでもいいと思っている

という説があります。

多少の差はあれ、どんな人間でもほとんど同じ比率とも言われています。

SNSに書き込むのであればこのことを知っておいたほうがいいと思います。

そうしないと、他者を攻撃する人間になってしまったり、
心無い人の言葉に傷ついてしまうことになります。

あなたが誰かを嫌いなように、他の誰かもあなたを嫌っている。

逆に言えば、あなたが誰かを好きなように、
他の誰かがきっとあなたを好きになってくれる。

そうであるならば、嫌うくらいなら繋がらないほうがいい、
ということです。

ヘイトの繋がりは虚しいです。

どうせなら好きな想い同士が繋がれる仕組みを作った方がいいですね。



…でも、世の中には社会規範を満足しない人は叩かれるべき、
という考えの人もいて、そこが難しい問題です。

それについてはまた、次回に。→❸も読んでね!

2020/7/29  sumi__



***

最近、いろんな教育本を読んでいるんですが、
教育って奥が深いですねー。

モンテッソーリ教育とか、子どもに教えてみたい。


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