どうぞ迷いなさい。あちこち森への誘い
こんにちは、最近出没しがちなすけおです。
今日は研究室来ています。偉い。
僕はあまり軸のある思考回路ではありません。
何かについえ考えるとき、基本的には思考があちこちいきがちです。
瞬間移動を習得した後の孫悟空くらいあちこちいきます。
今も頭の中が突然あちこちオードリーでいっぱいになったくらいにはあちこち行きます。
一つの物事を考え始めた時、その幹をのぼりながらもたまに枝へ移ることは皆さんもよく経験されるでしょう。
例えば、
僕は今日健康診断を受けたのですが、身長・体重の記録がなかなかデータに反映されず2度も測り直しをしたんです。そのたびに列に並ぶ必要があったので暇で暇で。隣で視力検査用の機械を覗いて何かしている後輩がいたので小さな声で呼びかけていました。視力検査ついでに聴力検査も。
彼が終わる前に列は進み話ができなかったので、聴力検査の結果はわからなかったですけど。
コロナ感染防止のためか、今年は一時間帯当たりの受診人数が少なかったようなので、あまり待ち時間は長く感じませんでしたが、長い行列に並ぶのって好き嫌い分かれますよね。僕は平気な方ではあると思います。1,2時間並ぶラーメン屋に移動時間1,2時間かけて行くのにもワクワクできる性格なので。
ただ、それが好きなラーメンではなくタピオカだったり、パンケーキだったりしたら個人的には苦かもなとも思います。となると、得意不得意ではなく目的が何なのか。自分の中でどれだけ楽しみな物かが大事なのか。とも思いましたが、多分一番は一緒にいる人ですね。人だったり本だったり。
その時間をどのように過ごすか。
その過ごし方が自分にとっていい時間かどうかっていうのも大きいかもしれません。
ところで、昨日の記事で時間の密度を決めるのは「経験の種類」だという話をしました。密度の大きさで時間の流れの速さの感じ方が変わると。
年々「今年は一段と早く過ぎたな」って感じるのは、昨年までに比べて新しい経験や体験が少ないからだと思いましたが、こういう待ち時間って人との会話や読書などで色んな感情を揺さぶられ、色んな経験をしている方が短く感じたりしますよね。
ここには短期長期の違いがあるのか、もしくは過去と現在で違うのか。
そもそも僕の感じ方が特殊なのか。
行列の待ち時間もそうですが、部活のラントレーニング、持久走やシャトルランのように苦しい時間って、終わりが見えてくると心が軽くなって地の果てに消えたと思っていたモチベーションが息を吹き返すことってありませんか。
行列に限っていえば、そんな時に役立つのが『リトルの公式』です。
これはどこかの大学の頭のいい人たちが生み出した、行列の待ち時間を算出するための計算式です。
待ち時間=行列の人数÷1分間の到着人数
らしいです。試してみてください。
こういう身近で役立つ研究ができることってとてもやりがいだとかモチベーションにつながりそうですよね。どんな研究も何かに役立つものだとは思いますが、それが自分の生活にどれだけ身近かっていうのはやりがいに影響を与える一つの指標かもしれません。
そうなると、次は好きを仕事にするべきかどうか論争に僕も参加しなければいけなくなりますかね。
僕の意見はどっちでもいいと思います。結局、それぞれの考え方次第です。
好きなことを仕事にできれば、好きなことに生活の多くの時間をかけることができ、好きだからこそモチベーション高くできる。
という意見もあるだろうし、
仕事にすることで義務的になってしまうことが、自分が好きでやっているのかやらなければいけないからやっているのかがわからなくなってくるって考えも。確かに、不必要なことを時間を使ってまでやっているという事実が自分はそれを好きなんだって再確認することにつながっている節もありますもんね。
でも、仕事もそもそも人生レベルで観たら同じようなことにも思います。
やらなくてもいい。別にそれでなくてもいい。
それなら、それだからいい。ものをお仕事にできたら幸せじゃないかな。
そんなことより、どんなことも時間をかけて一生懸命やっていればそこに自分で考える余地はあって、楽しみを見出すことはできる。何事もやっていたら好きになるんじゃないかっていう思いもあります。
結局は何をやるかではなくどうやるか。
通らなければいけないといわれている道を、素直に通るのか。義務的にただ歩くのか。踊ったり、道草したりしながら楽しんで歩くのか。
実はたくさん選択肢が転がっていると思います。
だから、「好きを仕事に」でも「好きは趣味のまま」でも、「仕事を好きに」でも「趣味を仕事に」でも何でもいいと思います。考え方、感じ方はそれぞれなので、正解を求める必要は多分なくて、でも、正解を求めるために考えてみることは大切かもしれません。
と、思えば、あの「例えば」から2,30分つらつらと書き続けてここまで来てしまいました。当初書きたかった身長の変化については未だ書くことができていません。
僕の思考回路はそういうものです。変かもしれません。
幹から枝に移って進んでいたらいつの間にか隣の木の幹につながっているような。当時はまだ芽も出ていなかった木の上にいることも。
というのを証明したかったのですが、長くなりすぎたのでいったん打ち切ります。次回は、そんな僕の思考法をご紹介します。(こんな役に立たないもの誰も知りたくない)って誰か言いましたね。( )で聞こえないようにしても見えるんですからね。
どうぞお楽しみに。
(あれ、次回は最近観た映画の話するって前々回言っていたような。。。)
「次回」のストックが溜まっています。
では。
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