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2005年、夏、ひたちなか -ROCK IN JAPAN FES.2005の記憶-

今週末はROCK IN JAPAN FES.2020が行われるはずだった。ロッキンと言えば晴れを引き寄せるフェスとして知られていて、今年もやっぱり快晴。代替のオンラインイベントをやっているけれど、現場が余計に恋しくなるか、物足りなさに冷めてしまうか、人によって温度差があるだろうなと思う。

かく言う私は、去年まで15年連続で夏フェスに行っている。今でこそ気持ちは冷めてしまったが、かつては大変なロキノン信者で、特にROCK IN JAPAN FES.2005は夏フェス人生における原点として強く印象に残っている。前年のCOUNTDOWN JAPAN 04/05で初めてロックフェスに参加した僕は、その流れで初めての夏フェスとしてロッキンにも足を伸ばす事になったのだ。

この年、今見てみてもとんでもなく豪華な面子で、夏フェス史に残る特別な年である事に疑いの余地はない。何と言ってもグラスステージ3日間のヘッドライナーが、RIP SLYME、Mr.Children、サザンオールスターズ。RIP SLYMEは現在活動していないが、当時の活躍ぶりからすればヘッドライナーに異論はなかったように思う。

それだけでなく、復活直後の真心ブラザーズ、現在に至るまで唯一のフェス出演であるSINGER SONGER(Coccoや岸田繁らによるバンド)、まさかの坂本龍一の出演銀杏BOYZ峯田のチン事件スネオヘアーの病欠と異様にトピックの多い年だった。

定番アクトもとにかく強かった。当時絶大な人気があったBUMP OF CHICKENASIAN KUNG-FU GENERATIONはヘッドライナーでなく普通の時間帯に登場している。更に新設ステージのSOUND OF FORESTにはブレイク前のマキシマム ザ ホルモンが初登場。更にメジャーデビュー前で知名度が低かったRADWIMPSがトップバッターで登場していたりと、だいぶフレッシュな扱いを受けていた。更にサザンの裏でLAKE STAGEのヘッドライナーを務めていたのはELLEGARDENという、字面だけでもクラクラするような豪華さだ。

00年代後半のシーンを牽引する事になるBEAT CRUSADERSDOPING PANDAもブレイク前夜的扱いで、現在でもフェスで活躍する10-FEETストレイテナーフジファブリックもメジャーデビュー1~2年程度の若手としてLAKE STAGEに登場していた。今振り返ってみると00年代前半の日本のロックシーンの集大成でもあり、後半の様相を占うような側面もあった。更にサザンや教授のようなレジェンドの降臨もあり、ロックシーンの猛者が世代を超えて集う一大祭典であった。

初めての夏フェス、豪華な面子。僕はとにかく興奮していた。最初に観たアクトは、LAKE STAGEの175Rだった。正直時代を感じるが、00年代前半に大変な人気があったのは間違いない。1曲目の「ハッピーライフ」で座っていたのを我慢できず、フロントエリアに飛び出していった。新曲として披露されたメロンパンの歌はとにかく変な歌だと思ったが、ラスト「空に唄えば」の時には軽飛行機による飛行機雲で文字を作るスカイメッセージを見る事ができた。これはフェスのスポンサーだったポカリスエットが夏のキャンペーンとして行っていたものだ。どこまでも広がる青空、これから始まる最高の日、邪魔してくる者など誰もいない。この日の自分に無敵を感じた。

開催6年目にして初めて登場したSOUND OF FORESTのこけら落としを務めたのが風味堂だ。「楽園をめざして」は森の中のロケーションが最高にハマり、途轍もない多幸感に溢れていた。GRASS STAGEのKREVAは「イッサイガッサイ」がリリースされた年で、"ひたちなかでライブをすれば 実際やっぱり楽しめた"と粋にリリックを変えていく。YUKIはソロとして黄金期に入り始めた頃だったが長男を亡くした年でもあり、涙ぐみながら歌唱する姿がビジョンに映し出された。「ドラマチック」の"失くした約束は星に 思い出はとけないでそばにある"というフレーズが、とても切実に響いていく。このフェスに縁の深い100sは名盤「OZ」中心のセットリスト。好きなアクトばかりを次々と平らげるバイキングのようで、半日経ってもボルテージは上がる一方だった。

LAKE STAGEをパンパンに埋めたm-floはlovesシリーズのゲストヴォーカルが次々に登場する豪華なステージだった。今となっては活動していない人ばかりなのが少し悲しい。GRASS STAGEのBUMP OF CHICKENは青春を彩ったバンドであり、生「天体観測」にはどうしたってグッときてしまう。ヘッドライナーのRIP SLYMEはDJ FUMIYAの休養によりサポートDJを迎えながらも、ベスト盤のリリースが控えていた事もありヒット曲ばかりの鉄壁のステージだった。ちなみに初日のグラスステージ出演の7組全てが、このフェス20年の歴史のどこかでヘッドライナーを経験していた。こんな日はそうそうあるものではない。

2日目はLAKE STAGEが充実していた。GOING UNDER GROUNDのライブが「トワイライト」で幕を開けると、「グラフティー」「センチメント・エキスプレス」「STAND BY ME」といった疾走感溢れる青春サウンドが続く。フジファブリックはこの年リリースの「虹」がロケーションにハマり過ぎていた!かと思えば「ダンス2000」ではねっとりと、不穏な「銀河」では怪しげに真っ昼間のレイクステージをダンスフロアに変えていく。余談だが、この日は会場でドラムの足立さんを見つけてサインを貰った記憶がある。翌年には脱退してしまった。

当時インディーズながらMステに出演するなど勢いのあった椿屋四重奏を観て、SOUND OF FORESTのSalyuに移動。今では考えられないが、この日の主要3ステージのうち、女性アクトはSalyuとSINGER SONGERのCoccoだけだ。森の中は柔らかな歌で包まれ、一服の清涼剤になった。当アカウントの由来でもある名曲「彗星」にはついつい泣いてしまう。

LAKE STAGEに戻るとTHE BACK HORNの山田が青空のもと暑苦しく絶唱。the band apartは時に涼やかに、時にエモーショナルにフロアの温度を引き上げていった。アッパーチューンでも勢い一辺倒にはならない、引き算の上手なバンドだ。続くBEAT CRUSADERSでフロントエリアに行ったが、フェスに慣れていないためポジション取りで苦戦し押し潰されそうになった。名盤「P.O.A. -POP ON ARRIVAL-」中心のセットで、初めてお面を取った顔を見る事ができた。

GRASS STAGEのSINGER SONGERは本格活動再開前のCoccoがステージに立った瞬間でもあり、あまりの腕の細さに驚いたのを忘れない。ヘッドライナーのMr.Childrenは、イントロ毎に歓声があがるようなヒット曲で固めたセットリストだった。どんなジャンルでもみんなが知っていれば盛り上がるのが昨今の夏フェスだが、この頃からヒット曲は当たり前に強かった。その中でも唯一のアルバム曲だった「雨のち晴れ」に大歓喜し、アンコールの「innocent world」の場内大合唱にはシビれた。今はライブにおける一体感などどうでもいいが、当時はそれが心地良いと感じていた。今でもこの日のセットリストは全て暗記している。

この年は夏フェス自体に慣れていなかったため2日間しか行かず、3日目のサザンオールスターズを観ずに東京へ帰った。しかしワイドショーでは夏フェス初登場のサザンの話題で持ちきりで、やっぱり行けばよかったな、と心残りな気持ちをずっと抱えていた。その後サザンが出る事は一切無かったが、2018年、デビュー40周年を記念し13年振りの出演が決まった。このフェスからは長く遠ざかっていたが、あの夏の続きを観に行く事に決めた。私のROCK IN JAPAN FES.2005は、2018年にやっと完結したのだった。

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