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#096明治・大正期の農業統計から見る地域の特産物

 以前に、現在の奈良県から大阪府を流れる大和川について研究したおこがあります。その際に大和川を付け替えて出来た新田に木綿が栽培され、大阪府の東側に位置する「河内国」で特産物として発展し、明治以降には海外からの輸入綿に圧迫されて次第に産業として衰退していったことを統計から明らかにしました。

 河内木綿の衰頽に伴って、旧河内国にあたる地域ではどのような産業を生業にして地域の人々が生活していったのかについては、気にはしていましたが特に詳しく調べることが出来ていませんでした。
 以前から気になっていたものに、吉田初三郎の「大軌信貴山電鉄交通図絵」(昭和五年(一九三〇))という鳥観図があります。吉田初三郎の鳥観図は、国際日本文化研究センターの「吉田初三郎鳥観図データベース」で誰でも非常に気軽に見ることが出来ます。

 以前に史料調査をしていた際に「大軌信貴山電鉄交通図絵」が出てきたことがあり、現物を見たことがあるのですが、そのときに気になっていたことがあり、今回改めて見直してみたところ、現在ではない面白い記載が確認出来ました。

吉田初三郎の「大軌信貴山電鉄交通図絵」(昭和五年)(部分)

 上記写真は信貴山付近を描いたものです。この中央下部に「いちご園」という記載があります。現在ではこのあたりでいちご農家というのは聞かないのですが、昭和初年ごろにはどうやらあったようです。

「恩智」の文字の上に「いちご園」の記載が。

 この付近は「やまねき」あるいは「やまんねき」と呼ばれる生駒山地の山すそにある地域で、江戸時代の頃には河内木綿が盛んに作られていた地域です。「恩智」と記載さ入れている上に「いちご園」の文字が見えますが、この恩智より東へ行くと、現在の柏原市に入り、ぶどうの栽培の盛んな地域になります。これは木綿の栽培の衰頽後に、都市近郊ということもあり、このようなくだものも栽培するようになったのではないか、という予測が考えられます。そこで「大阪朝日新聞」を確認したところ、昭和四年(一九二九)の記事として恩智においていちじくやいちごを栽培しているとの記載を見つけました。これは木綿栽培衰頽後に都市近郊農業へと変わっていく景気が見れるのではないかと思い、『大阪府統計書』から気になる作物を抽出して表にしてみました。

『大阪府統計書』に見る明治・大正期の農作物

 とりあえず明治期から大正期にかけての収穫量をみたところ、米や麦などの穀物は当然継続して栽培しているのですが、まず継続的に甘藷(さつまいも)が増産されています。これは、他の作物よりもどんな土地ででも収穫出来ることや肥料や手入れが少なくてするという点から増産されていったようです。都市近郊作物としての果物は梅、桃、梨、葡萄、西瓜が多く作られていたことが見て取れます。西瓜は明治末年より増産が図られているようです。桃、梨は増加と減少を繰り返しつつ漸増していっています。葡萄は現在の柏原市域にあたる地域で明治中期から盛んに作られるようになっています。ここではいちごは統計上出てきませんでしたので、どうやら昭和に入ってから地域的に栽培量を増加させていったのでしょう。

 今回はきまぐれに統計資料をみることから明治・大正期の地域の農作物について見てみました。ここではそれぞれの作付面積にまで触れることが出来ませんでしたが、その点も踏まえて、より詳細な検討を加えてみる必要がありそうです。面白い事実が明らかになれば、また紹介してみたいと思います。

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Nobuyasu Shigeoka
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