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しにたいじゃなくて、しにたいくらい生きづらい、なのかもしれない


※センシティブな内容です。
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「希死念慮が強いとのことですが、手段を考えたりしますか?」




「はい、考えますよ、でも…」




診察室に入ってすぐ、症状をまとめたメモを手渡して主治医は尋ねた。




私はかなりショッキングな内容を淡々と、



平坦な声の調子で普通のことのように話す。





いや、でもじゃないよ、私、死のうとしてるんだよ? 



なんでそんなに冷静なの? さっきまでひとりで静かに泣いてたじゃん。



私はいつもそうだ。


いくら切羽詰まってても人前ではなかなか感情的になれない。




私が直近の一ヶ月のうち人前で泣いたのは、一年近くお世話になっている心理士さんやスタッフさん、両親の前で一回ずつ。




ひとりのときに泣く回数はどんどん増えていて、さっきまで泣いてたのに、人を前にすると泣けなくなる。



多分、小さな頃から人前で感情的になること、




特に泣くことはしてはいけないことだ、という思い込みが激しかったので、



言葉以外で感情表現するのが苦手なんだと思う。



あと、実は先日通院先を諸事情で転院したばかりで、



新しい主治医と話すのは2回目。



まだ信頼関係をつくっている最中だというのもある。




「あと一ヶ月で夏休みなんです。そこまで頑張ったら単位がもらえるので、なんとかそれまでは……」



そう話した私に、先生は難しそうな顔をして、




「二週間後まで様子を見ましょう」




「それまで希死念慮が強かったり、自殺を考える状態が続くようならドクターストップをかけるかもしれません」


と私に伝えた。


え? あ? ドクターストップかけるくらい私って客観的に見るとやばいんだーと他人事のように思う。



ありがとうございましたーと言って診察室を出る。




へえ、私ってそんなにやばいんだね。


でも普通に課題できてるし


授業にも頑張って行ってるし


課題は基本的に全部こなしてるし




できちゃうんだけどね。



そう思いながらも、



あ、でも小説が読めない時点でまあまあやばいかあ〜と思い直す。



そのときの私はもう死にたいな〜と思ってうっかり死んじゃっても


それはそれでしょうがないか! などと考えていた。



冷静に考えればいや全然しょうがなくないよ、



死なれる側に立ってみなよ……と数日経った今は思う。







この前切羽詰まって、くるしくて、ああ今死んじゃいたい、


そう思ったときに、たぶんこれはやばい、


死ぬくらいならその前になんかできることあるでしょ、と思って


寝室にこもりたい自分を半ば無理やり支度させ、外に出た。



そして出先で『なんでもできるとしたらやっていみたいこと』を


紙に書き出す。



書いてみると意外と多いことに気が付く。



そっか。まだやりたいことあるのか。



もうちょっと生きたいな。そう思った。



そのときに、


『たぶん、自分は死にたいんじゃなくて、


死にたいくらい生きるのが大変だったり、


生きづらさを感じてたり、


今の生き方が苦しかったりするから死にたくなるんだろうな』と思った。




具体的には


  • ひととうまく繋がれない(距離感を掴めない)




  • 話し相手というか、気軽に話ができる友達が身近にいない(好きなこともマイナーなものが多かったり、書いているものも少し珍しいものだったりするので共通の話題を作りづらい)



  • そもそも会話自体が得意ではない(話しすぎたり、逆に黙りすぎてしまう)


  • 例えば世間という大きい単位でも、ゼミという小さな単位のコミュニティでも、適応しようとしずぎるあまりに自分を押し殺しがちで息苦しい





  • 感情を言葉以外でうまく表現できないので、そもそも自分の気持ちを誰かと共有するのも難しいし、共感してもらいづらい。





  • 自分の持っている価値観と世の中の一般的な価値観のズレが大きいために、社会に居続けることが苦しい
    (死にたいと思っていたり、生きていることをうまく受け止めきれなかったり、恋愛をすることになんの疑問も持っていない周りと自分の違いだったり、いろいろある)






  • 自分が死にたくなるくらい生きていることに必死で苦しくて大変であるということを周囲の人に理解してもらいにくい(よくも悪くもやるべきことはできてしまうし、落ち込んだ姿を見せなかったりするので、周りから見るとそんなに切羽詰まって見えない)






  • いつまで経っても世界のどこにも馴染める場所がなくて、緊張しがちだし、不安だし、孤立しているように感じる




  • 周囲ができていることと自分ができることの落差に劣等感を感じる






  • この先への不安(就職/自立/大人になっていく自分への嫌悪感)



思い当たるのはざっとこんな感じ。



中学生のときはひとりぼっちだったし、



高校の時は通信だったので、そこまで日常的に同じコミュニティに



いないといけないみたいなことがなかった。


だから、大学生になってからこのようなことを強く感じるようになった。



ASDの診断を受けている今になって振り返ると、



どこにも馴染めないなという感覚は自分のその発達傾向にも


原因があったのかもしれないと思っている。(本当のところがどうかはわからないけれど)


でもどこにも馴染めないなあ〜ということや頑張って周りに合わせなきゃ、みたいなことは中学生のころから思っていた気がする。



ともかく、周りから見れば



『そんなことで死にたくなる?』




と訝しげに思われそうだけど、



自分にとっては十分死にたい理由になる。



一番つらいのは、自分のつらさをうまく表現できないために


『自分は誰かに理解してもらえている、孤独ではない』



という感覚を得られていないことだと思う。



自分のことは自分しか理解できないと思っているので、


常に自分のことは自分でやらなければと思うことが増えた。



誰かに理解してもらおう、みたいなこともなんだか押し付けがましいから



最近諦めた。(それでもやっぱり近い相手には理解してもらいたいみたいな気持ちがなかなか消えないのも悩み)





こうやって書いてみると、やっぱり自分の死にたいは


死にたいのではなく、



『生きるのが大変すぎてやめたい』


に変換できることに気が付く。


そう思うとなんだか少し落ち着いた。



まあもちろんそんなに簡単に希死念慮が消えてくれるわけでもないので、



死にたいなーとは思う。




でもそんなときこそ、ちっちゃい幸せとか、好きなこととか、できたことに



目を向けて、ポジティブな感情も大事にしたいなあと思った。



そんな気づきがあったので、記事にしました。







<おまけ>

最近ボカロ、とくに重音テト(SVも含む)の歌う曲にはまっています。


その中でも好きなのが、


『ライアーダンサー』/マサラダ


です。


初めて聴いたときは、自分の気持ちそのまんますぎてびっくりして、


でも私も毎日『世間的な常識』や『一般的に良いとされている価値観』を


装備して自分を演じる、みたいな部分が多いので、


よそゆきの私って嘘で出来てるよなあ〜と共感で泣きました。


よかったら聴いてみてください〜










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