世界を知る エゴを遠ざける
◆ゲストハウス シャンティクティ
今週末は、久しぶりに長野県の安曇野へ。
シャンティクティに行ってきました。
今回は、小学校教諭、原郁雄先生の講義の日でした。
「世界を知る」というタイトルで、
世界経済の仕組みについてお話しを聞く回。
世界で何故貧困は無くならないのか、緑の革命、先進国のお金の流れについて。
私たちの貯金はどのように使われているのか
知らず知らずのうちに加害者、被害者になっていること。
「政治、経済に興味無い。」と言っても、私たちはどんな生活を選択してもそれらの影響を受け、その流れの中にいます。
その現状を知ること。
原先生の総合学習の様子。
ストリートチルドレンの存在を知った小学生が同じように、外で段ボールで寝てみたり
寄付活動をしてみたり、その体験を通して出てくる子供達の感想。
最終的には、個人。
社会は個人の反映にしか過ぎないので、私たちがどのようなマインドでいたらいいのか。
宇宙的な視座、宇宙的な時間軸でみたらほんの一瞬の今をどんなふうに捉えたら良いのか。
社会、個人、権力、加害者、被害者
仏教で、「本当は上も下も右も左も無い」という教えがあるそうですが、
本当は何も無い中で、この世界をどう生きるか
そんなことを考える回となりました。
◆私の思うこと
私は、話しを聞いていて強く思うことがありました。
その話しを夜、シャンティクティの皆様とシェアする機会があったのでお話しさせて頂きました。
そのことについて、書きたいと思います。
原先生は、何度も
「自分のエゴを手離す」「エゴを遠ざける」ことが大切と繰り返し仰っていました。
それは、今まで偉人を始め、沢山の方が言い続けてきたことだと思います。
自分だけを優先せず、相手のことを考える。
平和にするには、エゴを遠ざけて、、、エゴを捨てて、、、
私が今中学生、高校生だったら
先生に言ってもらえたら嬉しかったこと みたいなのがあって。
エゴはいけないんだ とあらゆる本に書いてある。
でも、エゴをどうやって手離すのかは誰も言っていない。
甘えたこと言うならば、それを教えて欲しかった。と思います。
自分と世界が楽しく生きるために必要なものは、自分本位でないこと。
だとすれば、まず、本当は自分がどんな欲求を持っているのかを知ることが大切だったんだ、と今になって分かります。
自分勝手じゃいけない
低賃金労働で作られた服はいけない
添加物はよくない
でも、
本当は自分勝手がいい
本当は物の値段が下がったら沢山物が買えるから嬉しい
本当はお洒落な服を安く買いたい
腐らない、日持ちするけど、美味しいものを手軽に食べたい
本当はもっとお金が欲しい
本当はもっと綺麗になりたい
モテたい 人気者になりたい
一度自分がどんな欲望を持っているのか、自分がどんなに自分勝手な存在なのか、
こんなにもワガママでドロドロしている。
それを知らないでエゴを遠ざけるなんてできないと思うんです。
同時にそのような考え方に出会い、学びました。
私はそれを見ようとせずに、
ずっとずっと、見ないで蓋をし続けてきた。
そして、少し歪んだ解釈をした私は、
それを遠ざけるために自分を「つまらない存在」だと徹底的に思いました。
私は、幸せな家族の元に生まれて、大した苦労もなく、大学にも行けて、友達もいて彼氏もいて。
そんな日本の女の子なんて平穏すぎて、私が感じる苦労も文句も悲しさもひたすらに平穏なんだ。
もっと辛い人や、もっと色んな国のあらゆる環境があって、それに比べたら私は大したことが無い。
だから、文句を言わずに働いて いちいち落ち込まないで勉強して、良いデザイナーになって
少しでも生産性のある人間になりたい。
なので、ちょっとおセンチ気味のお友達や、
気分の浮き沈みが激しい子のことを好きになれなかった。
「黙って課題やれよ」ってずっと思っていました(笑)
そして、蓋をし続けたまま就職した私は、最終的に体調を崩して仕事を辞めることになります。
ある曲の歌詞で
「寂しいと思うには僕はあまりにくだらない」というフレーズがあるのだけど、
本気でそう思っていました。
けど、本当は全然そんなことなかった。
大切なことは、自分のエゴを遠ざける、罰することではなくて、
自分の欲望、自分本位のわがままな気持ちをきちんと知ること。
そして、それらは何からくるものなのか見つめること。
根本的なことは、寂しいとか注目されたいとか愛されたいとかだと思う。
そして、そのエゴと共にあること。
それを知って、自分のエゴを冷静に見つめられた時、
本当に望んでいるもの、平和って何かが少しずつ分かってくるんじゃないかと思います。
◆シェアリングでのお話し
私が話した後、みなさん色んなことを仰って下さいました。
エゴがあって個性。
自分が欠けていてよい。未完の完成。完成したら嘘なんだ。
欠けているから、課題があるから人間は楽しい。
みんなが全て完璧で天国みたいだったら、つまらないよねって。
ある方は、
子供が発展途上国の現状について知る時に、一定方向の考え方しかないような雰囲気はちょっと危ないかもねと。
例えば、 可哀想、なんとかしなきゃ、自分は贅沢だ とか。
そうじゃなくて、もっと冷静な子供の意見もあっていいし、
「可哀想」と思えない私は冷たい人間なのだろうかと、自分を責めちゃう子がいなければいいなと思いました。
それから、「発展途上国の人達が可哀想だから助けてあげたい」っていうのは嘘だよね、という意見も。
本当は対等なものなんだけれど、総合学習がそこに辿り着くきっかけとなる入り口であればいいよね。
そんな話しもしました。
もしかしたら、個人のエゴと教育と経済とごっちゃになっているように感じるかも知れませんが
全部が繋がっているので、私の中では自然です。
今の私は、切り離して書くことができません。
◆世界は自分 自分が世界
そして、その話しをした後の、
楽器を持ち寄ったみなさんの演奏もとても楽しかった。
どんな音でも、
みんなで集まって色んな音を鳴らして歌うだけでこんなにも幸せな気持ちになる。
本当はずっとずっと昔から歌ったり踊ったり人目を気にせず泣いたり、大笑いしたかった
でもずっと自分の気持を無視してきた
自分にごめんなさい。
そして、私はどんな自分の繊細で些細な感情も馬鹿にしないで、一緒に付き合うよと決めて。
私は私をもっと愛することを決めて。
再び固く決心をして、今、安曇野から名古屋への特急電車に乗っています。
世界を知ることは自分を知ること
世界を愛することは自分を愛すること。
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