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自分がないことの影響について

スガカオルです。

以前、境界性パーソナリティ障害ゆえに自分らしさを持てずに右往左往したという話をした。

まだお読みになっていない方で読んでも良いよって方はこちらから読んでいただけると嬉しいです。

今日は自分らしさがないとどうなるのかについて、その影響を中心に考察していきたい。

自分らしさがないと、様々なところでおかしなことになりがち。
自分らしさや自分を大事にできることは人間にとって大切なスキルである。

自分らしさや自分を大事にする技術は健全な自己愛を持てるかということに関係する。

主体性を持てるだけで色々な物事がスムーズにいく。

例えば意見を求められたとしよう。
そんなとき、自分の意見を言えない。
それは自分の意見など他人が聞いてくれるはずがないという自信のなさからくる自己卑下である。

さて、他にもどんな影響があるだろうか?

今回は自分の経験の中で感じた影響について考察していきたい。

お付き合いいただけると嬉しい。

他人の要求に従順になりがち

「今日何食べる?」

「んー、何でも良いよ、何か食べたいものある?」


こんな会話は日本のどこでも耳にするのかもしれない。
ありふれた会話といえる。

後者は前者の食べたいものを優先すると言っている。
他人のことを優先する、それは悪いことではない。

それを仕事にしている人もいるのだから、大切なことである。

しかし、先述の会話では、前者は後者に食べるものを聞いている。
後者は何でも良いよと、前者に食べたいものを決めるよう丸投げをしている。

果たしてそれは本当に優しさなのだろうか?

これだけでなく、他人を優先にするという場面に出くわすこともある。

たとえば、他人の要求を飲むという場面。
これは簡単に他人の言動を優先すること、好き勝手にしていいですよ、と承諾することを指す。

わたしはよくそういう場面になっていた。
なぜならば、断ることができないのだ。

逆ギレされることが怖いのが大きな理由だ。

本来ならば、違う言い方もできる。

先述の食べたいものならば、
「わたしは◯◯が食べたいと思うけど、あなたは何か食べたいものはある?」

こんな言い方もできるかもしれない。

すべてを他人の言い分を優先することは優しさではない。
まず、自分に対して優しくない。

win winの関係が好ましい。
相手はYES、自分はNOであっては不満が募るだけである。

もちろん、相手がNO、自分がYESでも成り立たない。
(自分も相手もNOならば、関係性から見直す必要がありそうだ)

自分も相手もYESであるために、自分の意見をきちんと示した上で相手の意見を問うのが、健全で対等な人間関係である。

もし他人の言いなりになっていたり、他人の要求にばかり気を取られていたとしたら、それはやり方を変える必要があるのだろう。

何をよしとすればよいのかわからない


とはいえ、自分に対してYES、つまりOKを出せない自分がいた。

自分に自信がないゆえに肯定感を持てないのだ。

しかし、周りを見渡してみるとどうだろう?
皆が好き勝手に言葉を発しているし、自分勝手な言動をしている人が多いと思わないか?

ある意味でうらやましい。
なぜ、周りと同じようにできないのだろう?

わたしの場合、他人の目が気になるというよりは自分の好きに動いた経験がないに等しいがために、自分を優先できないのだ。

何がよくて、何がよくないのか、その基準がブレブレになる。
そうなると、状況に応じた言動を取ることすらできなくなる。

もはや、何をよしとすれば良いのかの判断ができずに迷子になるのだ。

ここで大事なことは、せめて自分に対してYES、つまりOKを出せるかということだ。

自分を優先して良いと思えるのは、ある意味で心の強さだと思う。
しなやかさと言うべきか。
自分によしと思えるのは自分を大事にして良いと思える心の健康度に比例している。。

何をよしとすれば良いかわからなくなるとき、せめて自分自身をよしとしてあげたい。

いまのわたしはそう思っている。

先の不安ばかりに目がいく

自分がわからなくなるとき、よく起こることは自分の現地点を見失いがちになる。

そうなるとどうなるか。
将来の不安に目がいく。

残念ながら、将来のことは誰にもわからない。
これを見てる1秒後、事故に遭うかもしれない。
雷に打たれるかもしれないし、隕石が落ちてくるかもしれない。

ありえないこともありうる、その可能性は0.01%でもありうるのだ。
そのため将来のことは誰にも予想不可能だ。

将来のことに思いを馳せ、不安に思うことを予期不安と呼ぶ。
繰り返すが将来のことは誰にもわからない。
元も子もないことを言うが、その事に思いを馳せるエネルギーを使うことは不毛だといえる。

将来の不安に目を向けるよりも、目を向けるべきは今のわたしの現地点である。
「わたしが立っている場所」だ。

感情的にも、社会的にも、環境的にも、状況的にも、人間関係的にも、あらゆる自分の現地点を確認する。
それは役割や役職、環境だったり、立場や関係性の話かもしれない。

そこから自分がどういう状況下でどのような関係性の中で、どういう立場でどんな役割を持って関わっているかを知ることができる。

まるで白紙に地図を書くような作業だ。
自分の相関図から自分の立ち位置を見るようなものだ。

これから良い関係を築くためにどうすれば良いのだろうかと行動することができる。
今の状況を把握して自分が何をすれば良いのか、どんな生活をしていくことが最善か、策をとれる。

先の不安に気を取られ、今の自分を見失うこともない。
着々と地図の道順を辿っていけばよいのだ。
それが自分の人生となっていく。

自分を見失ったら、まず周りを見渡し、自分の位置を確認してみてほしい。
物事を客観的に捉えて、状況を把握してみてほしい。
おのずと自分の現在地を知ることができるだろう。

自分がないと、様々な影響を受ける。
しかし、その影響を最小限に抑えてより良く生きられることを証明したい。

自分をらしさを身につけることは簡単なことではないが、それでも自分を肯定して歩むはずのこれからの毎日を明るく生きたい。

自分がわからないけれども、自分だけは自分を信じてあげる。
そんな優しさを自らにプレゼントしても神様は許すだろう。

ではでは、またね。

スガカオル

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