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#日記
中根すあまの脳みその268
京王線。
冴えない顔で座る、1両目左端。特等席。
そこに座れたことで、朝だというだけで傾きまくっていたご機嫌がいくらかマシになる。きっとこれから昼にかけて、ご機嫌の鋭角が鈍角になってゆくのだろう。確信している分、気が楽である。いつだって、確信のできない未来は苛立ちを呼ぶ。いつだって緩やかに、未来を確信していたいものだ。
目の前に人が座る。
革ジャンで決め込んだ、中年の男の人。
そういや昨日、夏の
中根すあまの脳みその267
深夜に帰宅する。
中に入らずとも伝わる、しんとした空気に家族がみな寝静まっていることがわかる。
夜ご飯は外ですませた。
たどたどしい会話とともに摂る食事は味があまりわからない。他人事のように、おいしい、と言って、実はあまりわかっていない。
量はしっかりあったはずなのに、心許なく感じる腹の中。
しかし、まるで着ぐるみのように分厚く己の体を包み込む脂肪のことを思うと、欲望のままに行動するのはやめたほう
中根すあまの脳みその265
私にも、嫌な記憶というのは存在する。
家からひとりでどこかに移動することが多い私は、街というものを非常に濃く意識していて、記憶は街に染み付いていく。
浅い歴史の中を年表にした時に、太字で書かれるような出来事があった街というのは、当然、印象深いものとなっていくのだ。
嫌な記憶が染み付いている街には行きたくない。歩くだけで当時の匂いが蘇り、思わず目を瞑る。しかしそれはまた、その記憶を塗り替えるチャン
中根すあまの脳みその264
突如真っ暗になるリビング。
何事かと視線を彷徨わせれば、電気のスイッチに手を伸ばす母親。4つのそれが連なるその場所で平然と立ち尽くす彼女。
22時をすぎ、煌々と輝きを放つ白い光をいくつか消し、やわらかなオレンジの光だけにしていたリビング。その残されたひとつの光を、彼女は誤って消してしまったらしい。
なんの予兆もなく真っ暗になることが、ある一種の可笑しみを生み出すことなど知る由もなかった私と妹は、そ
中根すあまの脳みその263
自惚れではない、慢心でもない。
目を合わせた私に、なんて可愛いの?と言って泣いた人がいた。
女性である。大変な酔っ払いである。
なにかに絶望していた。
酒のせいで絶望的になった滑舌のせいで、原因は分からない。
しかし、その瞬間だけ、彼女の目は輝いていた。その時私は、生きていてよかったと思ったのだ。
自分の目が誰かに影響を与えたとして、
私はその瞬間を、何よりも嬉しく思う。
目は口ほどにものを言う
中根すあまの脳みその262
信じられないほど大きなぬいぐるみを抱えたサラリーマンに頭を抱える。
愛おしさの許容量を超えているのだ。
ゲームセンターのUFOキャッチャーで手に入れただろうそれは、殺伐としたホームの中でぽわんとそれだけが浮かんでいるようだ。
あたかも、抱えているのが巨大なぬいぐるみではないような顔をして平然と進んでいくその足取りに、ほんの少しだけ、高鳴る心を滲ませて。
女房子どもに託すのか、それとも己が癒されるた
中根すあまの脳みその260
京王線新宿駅3番ホームにあるトイレ。
さすが大都会。いつ立ち寄っても行列ができている。そこに並ぶ人々はみな冷静を装って、扉が開くのを待ち侘びている。
わたしもその中の一人になって、白い空間の中に佇む。
目の前に立ちはだかる人の壁が、ひとり、またひとりと少なくなって、視界が開けてくると、私はあることに気づく。
2列に連なった個室の中の、手前のひとつが空いているのだ。人々は皆、そこの存在を無視して他の
中根すあまの脳みその258
なにか、大規模なコンサートの演出のようだ。
西武新宿駅に沿って歩く道、おあつらえ向きにつくられたちょっとのひさしで雨を凌ぐ。
差している傘が、まるで意味をなさない。
道が途切れたとき、どしどし降り注ぐ雨はまるで壁のように、目の前に立ち塞がっていた。
ここを超える勇気など、ない。
幸いなことに、帰り道。
急いで進む必要はない。
私は観念して、静かに白旗を上げ、その場に留まることにした。
ついさっき
中根すあまの脳みその257
名古屋から東京に帰る。
たった2日間の雲隠れであった。
しかし、頭の中はつねに、向き合うべき課題に向き合えていないことへの罪悪感。
これでは、たとえ、車で片道5時間の場所に移動したとしてもきっと、隠れていない。
雲隠れられていない。
選んだ手段は高速バス。
一文無しに新幹線なぞ贅沢すぎる。
炎天下の中待つ名古屋駅の裏側。
汗をふきふき、やっとの思いで乗り込んだバスは大変快適なものだった。
まず
中根すあまの脳みその256
洗い物を減らすべく、家族で(庭)バーベキューをした時に使った紙皿に、オリーブオイルを垂らし、 油の池の中に黄色いキャップのガーリックを心做しか多めに、そしてその上にカチコチの冷凍うどんを、どん。はみ出ているが、気にしない。そしてレンジで4分。
紙皿でレンジは危ない。わかっている。然し、あらゆるレシピに書いてある”耐熱容器”の存在を信じずに23年、どうせプラでも紙でも燃えやせん。万一家が家事になった
中根すあまの脳みその255
真面目に生きていたら終電に間に合わなかった。
じめじめむしむしの熱帯夜、3時間の時間をかけて徒歩で帰宅した、つい先日。23歳の誕生日のあの日の経験から気が大きくなっていた私は、このくらい歩いて帰ると息を巻く。
しかし、その覚悟は母親による、何がなんでもタクシーで帰ってきてくださいー!!というメッセージによって、宇宙の彼方に吹き飛ばされてしまった。
タクシーに乗り込む。
いつもと違う駅から乗るタク
中根すあまの脳みその254
何億年ぶりの高熱にうなされて、腰が痛くなるまで寝込む。
辛うじて人間としての生活を取り戻したその日、私は、断末魔のような咳に悩まされていたた。
喘息のために幼児期のほとんどを小児科病棟で過ごしたといっても過言ではない(過言)私は、未だに息苦しくて眠れないことがあり、それを心配した母親が最近ゴリ推ししていたのが、飴でない、粉のタイプの龍角散である。
”おじさんを飲み込んだよう”だと、その味を繰り返し
中根すあまの脳みその253
ひとつのプライドと言っていいだろう。
以前働いていた摩訶不思議な古着屋で手に入れた紫色のワンピースは、私にはサイズが小さい。いや、ぴったりすぎると言った方が良いかもしれない。あくまでも、着ることはできる。しかし、余裕がないのだ。
連なった、レトロなボタン。辛うじて留めることはできるのだが、どうにもこうにも無理やりだ。大きく息を吸うとパチンと微かな音を立てて、腹の最も膨らんだ部分に位置するボタンが外
中根すあまの脳みその252
私の母親は、かれこれもう何年も、某有名海外ドラマの虜である。生ける屍の総称、ゾンビと呼ばれるそれが現れては脳天を突かれ、現れては脳天を突かれてゆく、かの有名なドラマだ。
しかし、その実、作品の中で描かれるのは実はゾンビではない。ゾンビという存在を通して浮かび上がる、人間という生き物の本質を描いているのだ。
シーズン3でもはや、ゾンビなどどうでもよくなってくる。むしろ、ゾンビが邪魔になってくる。もう