中根すあまの脳みその260

京王線新宿駅3番ホームにあるトイレ。
さすが大都会。いつ立ち寄っても行列ができている。そこに並ぶ人々はみな冷静を装って、扉が開くのを待ち侘びている。
わたしもその中の一人になって、白い空間の中に佇む。
目の前に立ちはだかる人の壁が、ひとり、またひとりと少なくなって、視界が開けてくると、私はあることに気づく。
2列に連なった個室の中の、手前のひとつが空いているのだ。人々は皆、そこの存在を無視して他の部屋に入っていく。こんなに並んでいるのに。そこに入った方が、より早く列が短くなるのに。
もしや、あの個室は私にだけ見えているのか。
そんなファンタジーな可能性さえ浮上するほどに、その光景は違和感を放っていた。
思わず体を傾けて覗き込むと、すぐにその理由が分かった。和式なのだ。
まるで、某夢の国のアトラクションのような待ち時間を要する大都会のこのトイレに、今どき珍しい、昔ながらの様式が残されていることに驚く。もう、学校のトイレにもないんじゃないか?最近の子どもは和式トイレで用が足せないと聞いたことがある。少なからず需要があるから残されているのだろうが、そこが空いているのにその存在をまるで無視し、他の部屋が開くのを待つ人々の姿を見ていると、その需要というのは考慮しなくていいような気がする。
無論わたしも、洋式を使いたい。
心の中で首を傾げつつそんなことを考えていると、わたしの前に並ぶ人が振り向いて言う、
ここ、和式ですけど、空いてますよ。
えーーーー。
思いやり故の発言なのだろうが、
そんなことを言われてしまったら、そこに入るしかないじゃないか。
いや、わたしも和式はちょっと…。
なんてダサくて言えない。
いや、別に正直に言えばいいのだが、こういうときのわたしは本当に哀れで、いらん格好つけ精神を発揮して、自分の本意とは違う行動を咄嗟にとってしまう。
ああ、ありがとうございます!
とかなんとか、白々しいことを言いながら、
わたしは個室に入る。
なんだか少し情けない気持ちになりながら使う和式トイレ。
思ったより悪くない気がした。

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