中根すあまの脳みその256

洗い物を減らすべく、家族で(庭)バーベキューをした時に使った紙皿に、オリーブオイルを垂らし、 油の池の中に黄色いキャップのガーリックを心做しか多めに、そしてその上にカチコチの冷凍うどんを、どん。はみ出ているが、気にしない。そしてレンジで4分。
紙皿でレンジは危ない。わかっている。然し、あらゆるレシピに書いてある”耐熱容器”の存在を信じずに23年、どうせプラでも紙でも燃えやせん。万一家が家事になったとして、生き延びる自信はある。故に、紙皿を使用。洗い物の方が面倒臭い。ズボラは時に命取り也。
待つ間に、必要なメンバーを招集。
卵2個、めんつゆ、ピザ用チーズ、粗挽き胡椒。そして、コップに注いだ水に氷を5つ落とし、うどんを喰らう頃の自分に最も心地の良い状態に。
4分でレンジから出所の冷凍うどんは、真ん中がまだ凍っていて、しかし、混ぜれば丁度よくほぐれてくれる。表示通りの6分ではあちあちすぎて、舌に無駄な怪我を負う。
まずはチーズ、良い蕩け方を見越して真っ先に投入。めんつゆを回しかけ、これでもかと胡椒。
そして、麺から立ち上る湯気がひいたころに卵黄を落とす。固まってしまったら、気持ちが萎える。味は変わらない、しかし、気持ちが萎えるのだ。
そうしてできたのは、カルボうどん。
イタリア人と日本人を同時に冒涜し、尚且つ、賞賛する、傲慢な逸品だ。
わたしの胸は高鳴っている。
紙皿の中でてらてらと輝くうどんの艶めかしい姿に。
リビングでは夏休み中の妹がよく分からない人口音声が喋るだけの短い動画を、テレビに繋いだ携帯で延々と再生し続けている。
これでは台無しだ。私は、静かに食したい。たった今生まれたばかりの、この、”宝”を。
やむを得ず、私はこの宝を2階の自室に運ぶ決心をする。
キンキンに冷えたコップを右手、紙皿を左手に持ち、慎重に階段を上がっていく。
人生の失敗の8割は焦りである。
私は、これでもかと、落ち着いた態度で階段を上がっていく。
いちだん、にだん、さんだん。
ようし、ようし、あとすこしだ。
うどんをすする己の姿を夢想し、ほくそ笑んだ。
その瞬間、
びしゃん、
あろう事か視界が傾き、ゆっくり開いた瞳は
逆さまになった紙皿を捉えた。
我が家の階段は1段目と2段目、2段目と3段目の間に隙間が空いている。
7段目にいた私がひっくり返した紙皿の中身は、8段目からびろびろと垂れ下がっていた。
階段の下には妹の収納スペースが。
ぽつりぽつりと垂れるオリーブオイルの下には妹の教科書や参考書。
その光景を目にした瞬間、私はこの世の全てを呪った。

要するに足が上がっていなかったのだ。
スローモーションで傾く景色を思い返し私は憂う。
階段を、登ろう。
エスカレーターやエレベーターに頼りきるのはやめよう。
虚しく空腹の鳴き声をあげる腹をさすりながら私は心に決めるのだ。

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