中根すあまの脳みその263
自惚れではない、慢心でもない。
目を合わせた私に、なんて可愛いの?と言って泣いた人がいた。
女性である。大変な酔っ払いである。
なにかに絶望していた。
酒のせいで絶望的になった滑舌のせいで、原因は分からない。
しかし、その瞬間だけ、彼女の目は輝いていた。その時私は、生きていてよかったと思ったのだ。
自分の目が誰かに影響を与えたとして、
私はその瞬間を、何よりも嬉しく思う。
目は口ほどにものを言う、という言葉があるが、本当にその通りだと思う。
生まれてこの方、目にコンプレックスがある私はより一層その言葉の意味を噛み締めている。
私の持つ糸のように細い目では、何ひとつ伝えられないような気がして、ノリで張付け涙袋と目尻を書き足し誤魔化して。
お芝居を勉強するようになって知ったのは、
魅力的な役者はみな、目で語ることができるということ。
己の在るべき姿が分からなくて、ふと相手の目を見た時に、すべての答えがそこにはあり、身を任すだけですらすらと台詞が出てくる。
そんな体験をしたとき、ああ、私も自分の目に自信を持たなくてはと強く思った。
自信がなければとても、相手に与えることなどできない。
傷ついて、傷つき慣れて、酒に溺れているように見えたその人を、私はたくさん見つめた。
己の目に力があると信じて。
少しでもなにかを与えられたのだろうか。
そう思うと嬉しくて、瞳の中が輝くのがわかる。
カラーコンタクトは、瞳に反射する光を封じてしまうと聞いたことがある。
それからというもの、私の目には光など宿っていないものだと、思っていた。
なぜなら私は、己の弱さを誤魔化すべく毎日カラーコンタクトを着けていたから。
脳裏に思い浮かべる自分の顔に、オマケのように張り付いているのは、のっぺりとベタ塗りした黒の瞳。
しかしそんなことはない。
目の輝きは、心の輝きである。
心が輝いている時、人の目は光る。
光っている人の目からは、まるで小説のようにありありと、物語が読み取れる。
その目と対峙した時、人は、己の本心をさらけ出してしまうのだ。
私も、目で人を導いてやれる、そんな人になりたい。
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