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将来についての誇大妄想がきつかった┊︎読書感想

わたしは自力で人生を切り開く冒険者ではなく、組織の中での潤滑油でありたい。
例えば、せっかちさんとのんびりさんがぶつからないように、間に入ってペース調整するなど。
最近、働いててわたしの役割ってこういう感じなんだろうな~と思うときがある。

ストレングスファインダーでも個別化が1位なわたしは、バランサー向きだし、それが苦にならないのだ。
幼少期から家族間のバランス取りみたいなポジションにはいたんけど、いかんせん安心感がなかった。
安心感の持てる組織のなかで、潤滑油的な役割を担っていけたらいいんじゃないかな。というか、自然とそうなっちゃうんじゃないかな~。

ただ。八方美人ではありたくない。
嫌なことは嫌だというし、頼りたいところは頼る!

最近『私は私のままで生きることにした』というイラストエッセイを読んでいる。(読むのは3回目)

こんな文章があった。

将来についての誇大妄想と差別が、
平凡な自分に羞恥心として跳ね返ってくる。
だから、自分が彼らと同じだという事実を認められない。
労働者の連帯がなかなかうまくいかない理由も、
この自己嫌悪にある。

p63

これめちゃくちゃ心当たりがあって。
わたし、将来についての誇大妄想が強かったんです。
働きだしたらバリバリ働いて、毎日充実感で溢れるんだと思ってた。
実際はそんなことなく、学校で培ってきた常識は無意味同然、上司の性格はきついし、どんどん膨れ上がる不安、何をするにも過剰に不安がはたらいて全く仕事ができなかったし、自分自身にも対応できず、適応障害で休職。

以前も書いたんだけど、わたしは経営者の父に「従業員は駒だからやめた方がいいこと。特別な人間であるべき」と小さい時から教え込まれてきた。
それを信じ切っていたし、父の求める理想像でなければ自分には価値がないとさえ思っていた。
現実を知って、自分が平凡であると受け入れるのは本当に苦しかった。
特別であるために頑張ってきたことのすべてを捨てるようなものだったから怖かった。わたしには何も残らない。

平凡でいてもいいんだ、と今は思う。
特別な人間でいなければと張りつめていた時より、平凡でもいいんだとのびのびしている今の方が幸せ。
独立しなければ、と思っていたけど、組織のなかで働いていきたいと思う。
毎日会える安心をなるべく感じていたい。

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